番外編【海水浴】5
「よし、それじゃあそろそろ行こうかしら」
子供たちがそれぞれ海に入ったのを見届けて、シンシアは立ち上がった。
日焼け止めも余すところなく塗った。髪もしっかりとまとめて結んだ。準備万端だ。
着ていたガウンを脱ぎ捨てて海に向かって歩き始めた。
「シ、シンシア……!」
ライアスが急いで追いかけてくる。
「なあに?」
「本当に入るのですか……?」
「ええ。見守ってくれるんでしょう?」
にっこりと笑って見せれば、ライアスは諦めたような顔をする。
「これを……」
差し出されたのは、今脱ぎ捨てたガウンだ。
「やだ、そんなの着ていたら泳げないじゃない」
「私がきちんと支えますので——」
「よーし、いくわよー」
シンシアは聞こえないふりをして進んだ。
ガウンを着て身動きが取れないまま入水——それに何の意味があるんだろう。
こういう意味が分からなくなっている時のライアスは、とにかく放っておくに限る。そうすると今みたいに、迷いながらついてくる。近くの女性騎士に仕方なくガウンを渡していた。
「——わあ、つめたい」
海の水はひやりと冷たくて気持ちいい。砂もきめ細かくて心地よかった。
すぐそばでソフィアはダリアと共に浅瀬で遊んでいる。特に水を怖がったりもないようだ。マリーヴェルは——早くも陸に上がって来た。
「あら、マリー。もう終わり?」
「魚が足に頭突きしてきたの。信じらんない」
魚が、頭突き……?そんなことあるんだろうか。まあ、当たっただけだろうけれど。魚の方がよほど驚いていたんじゃないかと思う。
それでも、肩までしっかり水に浸かっていたようだ。大進歩である。
「アルロは……」
一緒に行ったはずのアルロを探していると、マリーヴェルが指を指した。
はるか遠く、エイダンと共に海面に浮かぶ影が二つ。岩場に向かっているようだ。二人とも泳ぎが上手いようだ。すいすいと進んでいる。それを追いかける騎士数名。一定の距離を置いて取り囲まれているのが、何やらちょっと不思議な光景だ。貴族の海水浴というのはこういうものなのだろうか。
シンシアは水面が胸のあたりに来る深さまで歩いて進んでから、ざぶんと顔をつけてみた。そのまま体の力を抜けば——うん、問題なく泳げそうだ。
「シンシア!!」
悲鳴に近い叫びが聞こえたかと思うと、ライアスに抱き上げられた。
せっかく水の中を浮遊しようとしていたのに——と思ったら、なぜかライアスが青い顔をしている。
「ど、どう——」
「ライアス?潜ってみただけですよ」
「も、もぐっ……」
シンシアは顔の水を手で拭った。
「わあ、しょっぱい!——そうだ、海の水って、こんな風に塩っ辛いんだったわね」
ライアスが目を白黒させていたけれど、それよりも何より、久しぶりの海で一気に興奮する。
前世でも病気になってから、海なんてとんでもなかった。本当に久しぶりだ。
水の中で潜って浮いて——こんな感覚、かなり楽しい。
「ライアス!泳ぎましょう!!」
シンシアが高い声を上げたから、ライアスは目を丸めて、それから恐る恐る手を緩めた。
「水を飲んだりしていませんか?耳に入ってませんか」
「大丈夫だから、ほら……!」
シンシアが力を抜いてぷかぷかと水に浮いているのを見て、ライアスは気が抜けたような顔をしていた。
とにかく心配はいらないという事を見せるために、シンシアはその辺りをすいすいと泳いで見せた。見せているうちに楽しくて、我を忘れて泳ぎ続けた。
海底まで潜っても綺麗な砂が続いているし、向こうの方まで透明な海面が続いている。魚も貝も見られるし、少し泳ぐとサンゴ礁のエリアもあって、色とりどりの魚までいた。時折聞こえてくる子供たちのはしゃぐ声がまた、嬉しかった。
ピタリとくっついてくるライアスは少し気になったが、1時間も泳ぎ続けるともうへとへとになったくらいだ。
泳げても、体力はかなりなかった。明日は筋肉痛かもしれない。
そうするとライアスはシンシアの体を片手で抱きながら器用に泳いでくれて、それもまた楽しい。ライアスもこっちの方が安心できていいようだ。
「筋肉は浮かないって言うのに、貴方は泳げるのね」
「それは……迷信か何かですか」
逞しい腕や肩の筋肉にしがみついているとふと思ったが、そうか、迷信なのかな。
シンシアは不思議に思ってその筋肉の隆起を撫でた。
「——っ、シンシア……」
「あ、ごめんなさい。くすぐったかった?」
耐えるような声がして慌てて手を離す。そうするとライアスがシンシアの腰を強めに抱いた。
「——だいじょうぶ、なので……しっかり捕まっていて下さい」
日焼け止めのせいで滑りやすいのだ。
足が着くところまで戻ってきて、そっと離れる。ライアスは子供と騎士等に視線をやっていた。
どうも気がそぞろというか……さっきから目が合わない。
「ねえライアス」
「はい」
「この海岸線は、そんなに危険に満ちているの?」
「——え、いえ」
いつもの旅行以上に周囲に目を配っている。何か気がかりがあるのだろうか。ライアスにも楽しんでほしいのに、ずっと周りを警戒しているのは、申し訳ない。
「そんなに周囲に気を配って。何か気になることでも」
「いえ……」
ライアスは言葉を濁した。それでもまだ視線はテラスの方——マリーヴェルだろうか。
「ライアス?」
不思議に思って呼ぶと、やっと目が合った。その途端ライアスの耳が真っ赤なのに気付いた。
もう日に焼けたのかしら。
「ライアス、貴方この耳……痛くない?」
「いえ!」
ライアスは自分で耳を押さえた。
「違います、シンシア」
ライアスが目を伏せた。観念したように声を絞り出す。
「貴方が眩しくて……直視できないだけです」
「まあ」
それはこの銀髪が反射して——ではないわよね、と思い直す。
「そんな。——本当に?」
「貴方は女神だと思ってましたが、ひょっとすると人魚だったのかもしれません」
何を言い出すのかと思ったら。
でも確かに、泳いだこともないのに急に泳げたらおかしいかもしれない。
「そうなのかしら」
曖昧に言ってみたら、ライアスは真面目に頷いた。
その本気さになにやら急に疲れてきて、シンシアは呆れたような溜息をついた。
「——私、ちょっと休憩しますね」
「はい」
陸へ向かって歩き始めるとライアスも付いて来たので、シンシアは片手でそれを押しとどめた。
「ライアスはまだ元気でしょう?子供たちと遊んでやってください」
「は……」
子供と遊ぶ、という事を今思い出したような顔だ。
やれやれ、と思いながら、シンシアはもう一つの疑問を口にした。
「ところで、本当にいつもと変わったことはないのよね」
「はい……?」
「ペンシルニアの騎士等がよそよそしいと言うか……」
何かを隠しているというわけではないだろうが。何というか、視線が全く合わない。ここまで合わないと普段との違いに何かあるのかと思ってしまう。
「あ、それは」
ライアスはなんでもない事のように言った。
「騎士等には、貴方を見るなと厳命しておりますので」
その後ライアスがソフィアに泳ぎを教え、エイダンとアルロが岩場からまた泳いで帰って来た頃には、テラスに昼食が用意されていた。
それぞれかなり楽しんでいるらしく、海で見つけたものの話で盛り上がる。
「アレクも来れたらよかったのに」
ソフィアがそう呟いていたが、流石に第一王子を気軽にここまで連れて来るのは難しいだろう。
午後からは騎士等と子供が交じって、砂浜競走なるものを開催した。足を取られる砂浜でただ全力疾走するだけの競技だったが、それが意外と難しいらしく、皆が転がりながら走り回っていた。意外にも一等はオレンシアだった。すんでの所で負けたエイダンがかなり悔しがっている。
ソフィアとマリーヴェルが砂浜でお城を作り始めると、いつの間にかエイダンとアルロもそれに加わり、城はみるみる立派になっていった。あまりに精巧なお城が出来上がっているから不思議に思っていたら、エイダンが土魔力で作り上げたお城だった。
海の水を引いて水路まで精巧に再現しすぎて、ライアスが少し難しい顔をしていた。国家機密に近いからだろうか。最後に壊せば問題ないだろう。そこでひとしきり遊ぶ様子をシンシアはテラスから眺めていた。
日が暮れ始めてから屋敷に戻る頃には子供たちは疲れ切っていた。
体力お化けのエイダンですら、目がトロンとして今にも寝てしまいそうだ。
「明日もあるから、もう寝る?」
「うん……。明日はボートで無人島行こうね」
結局夕食まで保たずに、子供達は全員就寝してしまった。
「こんなに全力で遊び続けたの、初めてかしら」
シンシアもまだ興奮が冷めないで、子供を見送ってからライアスと笑い合った。
夕食を摂った後、子供達がいないので随分と静かになっている。
シンシアは窓を開けて、さざ波の音を聞いていた。
日陰のテラスにいたし、泳いだのも少しなのでそこまで疲れてはいない。
「シンシア。——よろしければ、少し散歩しませんか」
ライアスが提案してくれて、手を差し伸べてきた。
「いいですね」
シンシアはその手を取って、暗くなった夜の海岸をゆっくりと二人で散歩した。
「——今日は本当に楽しかったです」
「はい」
「連れてきてくれて、ありがとう、ライアス」
「いいえ。私の方こそ。素晴らしいご提案を、ありがとうございます」
歩きながら、今日の子供達の笑顔を思い出す。
興奮しきりだったエイダン、嫌々そうに見えて、結構楽しんでいたマリーヴェル。初めての海に挑戦しながらも、しっかり泳ぎをマスターしていたソフィアの嬉しそうな顔。そして、いつもより少し表情のやわらいだアルロ。
それから。
満月に近い月明かりの下、自分をじっと見下ろすライアスと目が合った。
相変わらずちょっと重くて愛情の示し方がおかしい所もあるけれど、こうして目が合うだけで嬉しそうに目を細められて、ああ、私はこの顔に弱いなと思う。
立ち止まって、ライアスの体にぎゅっと抱きついた。
ライアスはそっと髪を撫でてくれる。
「愛してるわライアス。大好き!」
波の音に負けないように大声で叫べば、苦しいくらいにライアスがシンシアを抱きしめ返した。
お読みいただき、ありがとうございました。
海水浴編、終わりです
外伝準備に入らせていただきます。




