21.
結局その子供のいるお店に入ることにした。
「いらっしゃいませー」
女の子がにこっと笑いかけてくれる。
ヒロインでいいんじゃないかな。ってくらい可愛い。
「・・・女の子はやっぱりいいですね」
前世での娘たちを思い出す。5歳にもなると急にお姉さんになっちゃって、家の手伝いをしてくれたり、お姉さんぶった言い方をしたりして。
そんな風に思いを馳せていたせいだろうか。
「シンシア、まさか・・・いや、そんなわけないですよね」
ライアスの台詞を聞き逃した。
「ライアス?何か言いましたか?」
「いえ。その・・・シンシア、まずは貴方の体が大切ですから」
「・・・・・?私は元気ですよ」
そんな話をしているうちに、店の中に通される。
お昼時なので少し混んではいたが、タイミングが良くてすぐに座れた。
店内は見渡せる程度の広さではあるが、清潔感があって、気持ちのいい店だ。
値段設定は少し高めになってはいるが、この場所と材料を見れば無理はないのかもしれない。ちらほらと貴族らしい客もいる。
夫婦でやっているらしく、厨房からは男の人の声がする。ホールは奥さんが一人で担っていた。
子供を育てながら飲食店だなんて・・・尊敬しかない。
下調べを完璧にしているライアスおすすめのシチューを注文し、エイダンにも子供向けのシチューを作ってくれる、と言われ注文する。
程なくしてパンとシチューが運ばれてきた。
少し酸味のあるパンと、濃厚なシチューが非常によく合う。
美味しくてあっという間に食べてしまった。
エイダンもくたくたに煮込まれた具材をしっかりと食べ、おかわりまでしていた。
残りのパンをかじっているエイダンを見守りながら、食後のワインを飲み干す。
幸せだ。
豪華でなくても、こういう素朴な一品も嬉しい。
「美味しかったです。また来たいですね」
「部下にも伝えておきます。シンシアがそう言ったと知ったら、天にも昇る気になって喜ぶでしょう」
「そんな、大袈裟な」
ライアスは忘れた頃に冗談を言うので、本当にわかりにくい。
一応笑ってみたが真顔なので、これは本気だったらしい。
やりづらいわ。
エイダンも食べ終わり、そろそろ店を出ようかと思った時。
突然斜め後方から大きな音がした。
咄嗟にライアスが立ち上がり私とエイダンを背後に庇う。
どうやら客が一人、椅子ごと床に倒れ込んだようだ。
急病人だろうか。
身なりを見れば、おそらく貴族。
「お客様、大丈夫ですか!?」
お店の奥さんが慌てて駆け寄る。
客は体を起こそうとしているが、フラフラして立つこともままならないようだった。
「よくも・・・やっらな!」
————ん?
呂律が回っていない。
病気だろうか、と思ったが、明らかに真っ赤な顔。
酔っ払いだ。
「おれに、こんなことをしえ・・・ただですむと思うなよ」
「あ、あの・・・私はなにも」
奥さんは一歩後ずさって距離を取った。
酔っ払いはますます興奮した。床を叩き、喚き散らしている。
「おれを、誰だと思ってるんら!」
今一迫力に欠けるが、とにかくご立腹のようだ。
エイダンもびっくりして固まり、そちらを見ている。私はとりあえずエイダンを抱っこした。向こうが見えないように抱え込む。
ここは端の方の席なので酔っ払いからは離れているが。店はさほど広くないから、被害が及ばないとも限らない。
ライアスを見れば酔っ払いではなく、他の客と視線を交わしていた。若い男二人組だ。
頷き合ってこちらにくるから、どうやら護衛の二人だったらしい。
見かけない顔だった。他にもいるのかな。普通に景色に溶け込んでいた。
「奥様、こちらへ」
強面のガタイのいい二人に誘導され壁側に寄せられる。
2人が私を壁に挟んで立つから、もう何も見えない。
人2人で壁って作れるんだ・・・。
じゃなくて。
店内の様子が見たいのに、声しか聞こえない。ざわざわと人の声もするからよりわかりにくい。
「きゃあっ・・・!」
誰かの悲鳴が聞こえ、物の割れる音が響く。
怒号の様な声、悲鳴。普段静かな屋敷で過ごしているから、そう言う声を聞くだけで身が竦む思いがする。
エイダンが怖がってはいけないから、必死で笑顔を取り繕った。
「ちょっと、いい加減にしてくれよ!ここは貴族も平民もなく食事を楽しむところだぞ!」
「そうよ、貴族だろうと、出て行ってよね!」
店にいた人たちから非難の声を浴びせられている。一対多勢だというのに、酔っ払いがクールダウンする様子はなかった。
うるさいうるさい、と叫び、さらに興奮して物を投げつけているようだ。瓶の割れる音、お皿の割れる音が響いている。
ひどい騒ぎだ。
「け、警備を・・・っ」
「はっ、呼んでみろ、無駄だ!」
店の中の誰かが放った声に、酔っ払いは高笑いをした。
「ここら一帯が誰の支配下にあるか、知らないのか?」
どういう意味だ。王都なんだから、当然国王の支配下ではないのだろうか。
「誰の支配なんだ?」
落ち着いた声が店内に響く。ライアスの声だ。
「ライアス、まさか一人で酔っ払いの相手を!?」
「奥様、ご心配には及びません。閣下は私達2人がかりでも敵わないお方です」
護衛の2人が振り返りながら言ってくれるが、まるで安心できない。
「そんな・・・刃物を持っていたらどうするの」
「刃物どころか。爆弾くらいないと、閣下は倒せないかと」
そんな。倒し方を聞いているんじゃない。
そういわれても心配なものは心配だ。
「なんだお前、偉そうに。見下ろしてるんじゃねえ!」
酔っ払いはライアスに叫んだようだ。
「いい加減にしたらどうだ。お前の身柄は警備隊に引き渡す。器物破損、営業妨害に貴族も平民もない」
「警備隊がなんだってんだ!おれを誰だと——」
「モンテキュー伯爵だろう?見るに耐えない醜態だ。明日からは伯爵を名乗れないと思え」
「んだとぉ?だ、誰だお前」
「お前が言う警備隊の所属部署の長だ」
王都の警備隊は王国騎士団の下にあるから、まあ間違いではないが。名乗る気はないのだろうか。
「——はっ!何言ってんだ、お前。警備隊長はな、俺らの・・・」
「ほう。君たちの・・・?」
一瞬の、静寂。
なんだと思って身を乗り出してみる。酔っ払いの側にはライアスしかおらず、他の人が遠巻きに見ている。
酔っぱらいは口を押えていた。まるで自分の失言に気づいて慌てて口に蓋をしたような。
割れた酒瓶を持つ。それを大きく掲げながら、ライアスに一直線。
「こんな、店、ぶっ潰してや——」
「ライアス・・・!」
ドゴッ。
鈍い音がして、辺りは急に静かになった。
「奥様、制圧いたしました」
「もう大丈夫です」
思わず目を瞑ってしまっていた。だって、暴力沙汰なんてほとんど目にすることがないから、やっぱり怖くて。
2人の壁が少し離れて、前が見えた。
酔っ払いは床に倒れていて、ライアスが何食わぬ顔でこちらに歩いてきていた。
「シンシア、驚いてしまいましたね」
「・・・ライアス、怪我は」
ライアスは不思議そうな顔をしている。
「怪我、ですか」
「奥様は閣下にお怪我がないかずっと心配されていました」
護衛がそう言うのを聞いて、ライアスが少し照れくさそうな顔になって笑った。
「ご心配をいただけるとは。——ありがとうございます。一般人に後れをとるような事はありません」
そっか。軍人だもんね。
本当に、何でもないことなんだ。
「帰りましょう」
ホッとして気が抜けた私からエイダンを抱き上げ、ライアスは私の肩を支えた。
そして護衛の2人を振り返って指示を出す。
「——警備隊に引き渡しておけ。ペンシルニアに手出ししたものだ、分かるな?」
「は」
どういう指示なんだろう。不思議に思っていると、ライアスが補足してくれた。
「少し、引っかかる物言いでしたので。私の方で調べようと思います」
「そうですか」
警備隊に任せず、騎士団直々にということだろう。
店から出るとき、店の夫婦が揃って頭を下げ、何度もお礼を言ってきた。
貴族に難癖をつけられたら、やっぱり商売を続けるのは難しい。下手をすれば投獄されることもある。
ライアスは店の修理費用等は騎士団を通じて酔っ払いに請求するので、請求書を騎士団に届けるよう説明していた。
貴族の横暴——それがこのことなら、ヒロインの危機はこれで去ったということだろうか。
だとしたらよかったけれど。
初めてのお出かけは、何とも後味の悪い終わり方になった。




