番外編【はじめてのおつかい】6
銅貨を握りしめて帰って来たエイダンに、タンもオレンシアも、狭い店内からお帰りなさい、と言ってくれた。それほど長い間いなくなっていたわけではないが、店は開店時間を過ぎてにぎわっていた。
アイラの母がすぐに二人に気づいてテーブルのない一角に手招きしてくれた。
接客はどうするのかと思ったら、タンが料理を運んでいた。エイダンの相手をする分、手伝っているらしい。
オレンシアもいつもの笑顔だったが、ゲオルグだけは疲れた顔をしていた。
「坊ちゃん……俺を置いていくなんて、ひどいじゃないですか」
やや大げさに言っているが、エイダンは素直に受け取って、しまった、という顔で固まった。
「あ、ごめんなさい……」
「坊ちゃんがいなくなって、俺がどれだけ驚いたか」
一瞬だった。本当に、数秒目を離しただけのはずだ。それなのに二人があまりにも忽然と姿を消したから、ゲオルグは本気で誘拐かと思った。大人が子供を抱えて走り去ったのだとばかり思って、血の気を失った。
即座に警笛を鳴らそうと笛を取り出したところ——その手を、ルーバンによって止められたのだった。
かつて副官で、シンシアに暴言を吐いて『影』に追いやられた男だ。ライアスの、シンシアへの信仰ともいえる重い執愛を知っている騎士等からすれば、そのシンシアに対しライアスの前で暴言を吐くなど、正気じゃない。聞いただけで戦慄する。が、ルーバンが少し変わった奴だというのはペンシルニアではよく知られている話でもある。
「お前……追ってるのか!?」
ゲオルグが鬼気迫る様子で尋ねるのに対し、ルーバンは飄々としていた。
「貴方が女性に囲まれて鼻の下を伸ばしている間に、影の者が裏通りの店に入って行くのを確認しています。危険はありません」
心底ほっとして肩の力が抜けて——ん?とゲオルグはルーバンを睨みつけた。
「おい。俺は鼻の下伸ばしてねえぞ」
「比喩です」
そんなことも知らないんですか、というような言い方だ。
「お前……相変わらず感じ悪ぃな」
比喩かどうかじゃない。任務を前に気をそらしたわけではない——と言いたいが、事実見失っただけに、反論しづらかった。
ゲオルグは顎を撫でた。この顔のせいで任務中に声を掛けられることは、今までも時々あった。
「ヒゲでも伸ばすか……」
「羨ましい悩みですね」
いつの間にか出てきたオレンシアがにこにこと答える。ルーバンはさっと姿を消した。
「どこがだよ。帰ってから……ハァ、公爵様になんて言われるか。降格かもしれない」
「やめたいって、いつも言っていたじゃないですか」
ペンシルニア騎士団の副団長は、現在ベンとゲオルグの二人体制だ。ライアスが王立騎士団と公爵の仕事で忙しくしている為、ペンシルニア騎士団の役割は大きい。団長、副団長も軍隊を預かる重職だった。
「ヒラになりたいとは言ったけど、失敗してなるのはちょっと違うだろ」
「すみません、ちょっとよくわからないです」
失敗による降格以外で副団長を辞すことになることは普通ないはずだが。
オレンシアは取り合わず、エイダンの無事が分かって安心したのか店の手伝いに戻った。
——といったことがあった。
エイダンは必死で首を上げてゲオルグを見た。背が高いから見上げるのも大変だ。
「ゲオルグ、ほんとうに、ごめんね。ぼくがごめんなさいだったって、ちゃんというから」
「ま、いいですよ。ご無事でよかったです。でも、次にされたらゲオルグは泣いちゃいますからね」
「え、ゲオルグ、ないちゃうの?」
エイダンの目が丸く見開かれた。ライアスとはまた違った優しい茶色のその目が可愛くて、ゲオルグはいつも、ついからかいたくなる。
「おとなでも、なくの?」
「坊ちゃんが心配で、泣いちゃいますね。普段は全然泣いたりしないんですがね。さっきも泣きそうになって、必死でこらえてたんです」
「あ……そ、そうなんだ。ご、ごめんね」
必死で謝る様子に、ゲオルグは笑いを堪えるのが大変だった。貴族の子供というのは、もうこの年頃になると人を使うことに慣れ、おいそれと謝ったりはしないものだ。が、エイダンはいい意味で貴族らしくないところがある。元々素直な性格ではあったが、それが、擦れることなく育っているのはシンシアの包み込むような愛情を感じる。
そんな話をしていたら、アイラの母がエイダンに包みを見せてくれた。
既にスープは出来上がっていて、布でしっかり包んで、紐で固定してくれている。ガチャガチャと音がしているが、この容器は魔道具の一種で、持ち帰りを希望する人のためのものである。
アイラの母からそっと手渡される。
「この外側の容器は魔道具なので、また次回持ってきていただけますと嬉しいです」
「うん」
「壊れない、こぼれない、冷めないという魔道具です。軽くなる、というのがついていないので、やっぱりちょっと重いのですが……」
差し出された荷物を受け取って、片手で紐の部分を持つ。もう片方の腕で支えて、何とか持てる、という大きさと重さだ。
エイダンは、わあ、と嬉しそうに笑顔になった。
「もてるよ!ありがとう」
このずっしりとした重さが、すごくいいものを得たような気にさせる。シンシアの喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。
「良かったです」
「あ、これ——」
ずっと銅貨を握り締めていた手を開く。荷物で腕がふさがったので手だけを開いて見せた。
アイラの母がその手に乗っていた銅貨を受け取った。ずっと握り締めていたから、エイダンの手の温度ですっかり温かくなっている。それにほっこりと頬を緩ませた。
「ぴったり、ちょうど5枚ですね。確かに、頂きました」
「へっへ」
エイダンはたまらなくなって笑い声が漏れた。
「じゃあ、ぼく、かえるね。ありがとう!」
「はい。ありがとうございました。また来てくださいね」
エイダンが両手に荷物を持って、挨拶をする。手も振れなかったが、精一杯の笑顔でアイラの母はつられるように笑った。店の客達までほっこりとした雰囲気に包まれた。
オレンシアがドアを開けて、タンはエプロンをアイラの母に返す。
エイダンの小さな体がひょこひょこと歩くたびに揺れながら店から出て行く。つい、店にいる全員がそれを見守っていた。
銀貨3枚の代わりに、パンと茶葉とスープを手に入れて、エイダンの瞳は輝いていた。
両手に荷物を持って前が見えるのかと心配になる程だったが、重そうにはしていない。
馬車まで送るよ、とアイラがエイダンに付いて来た。
アイラとエイダンの二人は並んで馬車への道を一緒に歩き、その後ろにゲオルグとオレンシア、タンが続く。
オレンシアとゲオルグは気が気ではなかった。
石畳みに足を取られるのではないか、重い荷物にバランスを崩すのではないかと思い、後ろから手を伸ばしながら恐る恐るついて行く。
時折、あっと躓くものだから、二人ともぎょっとして腕を伸ばし——踏みとどまって手を引っ込め、ほっとする。その繰り返しだった。
馬車乗り場に着く頃には、エイダンよりも二人の方がよほど汗をかいており、そんなに暑かっただろうかとタンが不思議に思ったほどだった。
馬車乗り場には、来た時に使った馬車とは違う馬車が停まっていた。
もう少し大きめの、豪華な馬車だ。
エイダンが近づくと、カチャリと扉が開いて、ライアスが出て来た。そして中に手を伸ばして——。
「あっ。ははうえ!!」
ゆっくりと、シンシアが馬車から降りた。そしてエイダンを見て、笑いながら大きく手を振る。




