20. 街歩き
中世ヨーロッパの町並みは、見ているだけでもとても楽しい。
独身時代には海外旅行が趣味だった。
結婚してからは、そのうちまた行きたいなと思いつつ、パスポートの期限も切れて、いつしかそんな夢も忘れて日々に追われて・・・そして、病気になった。
元々は家にこもってる性格でもなかったから。こうしてお出かけできるのは本当に嬉しい。
目立たない馬車から降り、いつもより少し質素な格好で街を歩き始めた。
変に隠そうとする必要はない、と言われたので特に目も隠していないが、ライアスはいつも以上に距離が近かった。
私がエイダンの手をつなぎ、その私の腰をライアスが持っている。
——腰、だ。
確かにそうすると片手は空くけども。こういう歩き方って慣れないからどうしていいのかちょっと戸惑う。
パーティー以降、ライアスが私に触れることにすっかり慣れてしまったみたいで。
いいのか悪いのか。
手を握るだけで赤面していた時も可愛かったのに。
今ではさらりとくっついてきたりして。
エイダンが暴走した時のために、乳母が後ろからついてきている。あとは隠れて騎士が数名ついてきているらしいが、私からは見えない。
「商店が立ち並ぶのはこの通りですね」
ライアスが案内してくれた通りを歩く。
王都と言うだけあって、人は多いが道も広く舗装されている。
玩具店、文房具店、子供服と見て回ると、あっという間にお昼になった。
特に玩具店ではエイダンが大興奮してあれもこれも欲しいと騒いで大変だった。
「こえ、えーたんの!」
といって必死で我が物にしようとする姿は、ぜひとも動画に収めておきたかった。
「では、あの子が持っているものをすべて」
「ライアス、エイダンは今遊んでいるだけですから」
屋敷に似たようなものも中にはある。
「では、ここからここまでを——」
「ライアス」
買い物下手か。
大人買いすればいいってものでもないでしょうに。お金もあって、置き場所もあったら、買わない理由はないのかもしれないけれど。
ライアスもいつもこうというわけじゃない。自分のものであれば必要なものをその時々に買っている。無駄遣いしている風でもない。
ただ、何を買えばわからないのだろうか。
「たくさんあって使い捨てのように遊ぶよりは、気に入った一つを大切に扱うようにした方がいいと、私は思うのですが」
「素晴らしい教育方針です、奥様!」
店員にもそうよいしょされ、ライアスはそれなら、とエイダンに向き合った。
「エイダン、一つだけ買ってあげよう。どれか一つ選びなさい」
「ひとちゅ?」
「そう、一つだ」
指を一本立てたライアスに、エイダンは満面の笑みでおもちゃを持ったまま、走り出した。
目当てのものがあったのかと顔を見合わせた私とライアスをよそに、向こうからおもちゃケースを取ってくる。その中にそれまで遊んでいた見本のおもちゃを5つくらいぽんぽんと放り込んだ。
そしてぎゅうぎゅうで蓋が閉まっていないのに乗せて、満足そうに差し出した。
「こぇ!」
「まあ・・・っ、エイダン!!」
一つと言われて、一つにまとめるなんて。
この子はもしかして天才なんじゃないだろうか。
私が感動で言葉を失っていると、ライアスはいつもの調子で重々しく説明を始めた。
「エイダン、いいか。これは一つではない。数えるぞ。一、二、——っあ、エイダン——」
「っめ!とっちゃ、めっ!」
「とらない。数えるだけだ」
「めっ!パパ、わるい!あめっ!」
「あっ、エイダン!」
エイダンはおもちゃを数えようとしたライアスを睨み付けつつ、おもちゃを抱え込んだ。
小さな背中の脇から、抱えきれなかったおもちゃがはみ出ている。丸い背中がより丸くなっている。
「くっ・・・可愛い」
思わず呟いてしまった。
幸い、乳母以外には聞こえてなさそうだ。
「エイダン。一つ、と言っただろう?」
「ぱぱひとちゅってゆった!ひとちゅ、ちたのに」
「それは一つじゃない。エイダン、たくさんを集めてまとめても、それは一つとは言わない」
「パパいや!あっちいって!」
あらあら、だめよエイダン。その人がお財布なんだから。
ふふふ、と思いながら見守っていたが、説得に入ろうとするライアスとおもちゃを死守するべく興奮したエイダンでは、決着がつかない。
せっかくのお出かけが残念な結果にならないよう、仲裁に入ったほうが良さそうだ。
「エイダン、そんなにプンプンしてたら、パパ悲しくなっちゃいますよ」
「なぁない!」
「エイダンが、可愛くちゃんとお願いしたらどうかしら?」
「・・・・・」
エイダンはおもちゃをじっとみつめ、次にライアスをじっと見た。
少しそうやって見てから、おもちゃを小さなお股で挟んだ。そうすると両手が空く。
エイダンはその両手を組んで、こてん、と首を傾げた。
「パパ、おー、にぇ、がぃっ!」
ぐぅっ・・・・。
か、可愛すぎて。私は思わず胸が痛くて押さえた。
ちら、とライアスを見れば、少し驚いたように目を見開いたあと、口元を押さえている。
「ライアス?」
「ふっ・・・」
ライアスが、笑っている。
「おかしかったですか」
「そんな・・・犬の芸のような」
あ、これも私が教えたやつだった。
公爵家子息がこんなに簡単にお願いしてたらダメなのかしら。芸を仕込むようなのがいけないのか。
「シンシアですよね。いつの間にこんなことを教えていたのですか」
「自然と・・・私の真似、でしょうか・・・」
誤魔化しつつ言ってみると、ライアスが少し考えるようにしてから私を見た。柔らかな表情のまま、私の髪に触れて一房を掬い取り、いつものように後ろに流すように撫でていく。
「あなたにそんなふうにお願いと言われたら、誰でも言う事を聞いてしまうでしょうね」
——ん?なんで私のお願いの話になっているんだろう。
「どうしますか?」
ライアスが苦笑に変わった。
「今日のところは、エイダンの作戦勝ちと言うことで。買ってやりましょうか。如何ですか?」
「よろしいのではないですか?そこまで多いわけではないですし、本人が必死に考えた成果ですもの」
ポン、と頭の上に手を置かれ、エイダンがくりくりの目でライアスを見上げた。
だいたい、「おねがい」をすれば希望が通るので、期待に満ちた目をしている。
「大きな一つ、買ってあげよう。可愛いお願いも聞いたしな」
「こぇ、えーたんの?」
「ああ、お前のだ」
エイダンは歓声を上げた。
今日をもって、ライアスの株が急上昇したようだった。
「何か昼食のご希望はありますか?」
いつのまにか飲食街に来ていた。
「どこでも入ってよろしいのですか?」
「そうですね、この辺りは比較的富裕層が多いので」
確かに、見渡せば貴族、平民の差なく店に入っているようだ。
「少し歩いてみたいです」
「お疲れではないですか?」
「大丈夫です。エイダンも平気そうですし」
エイダンのテンションはまだ高いまま維持されている。
しばらく街並みを歩いていても、どこも美味しそうな店が立ち並ぶ。
「ライアス・・・どこも美味しそうで、決められそうにありませんね」
屋敷の料理もそれは美味しいんだけど。やっぱり外食の楽しみは別格だ。
「あなたがこういった店を好むとは思いませんでした。もっと早くにお連れすれば良かった」
パスタ、魚介、ステーキ・・・あとは多国籍な料理も立ち並ぶ。時折スパイスの香りもしたりして、本格的にお腹が空いてきた。
「また来ましょう」
ライアスがそう言ってくれるのが嬉しい。
お店は全く見当がつかないが、今日見つかるとも思ってない。そもそも、王都の飲食店というだけあって限りなくたくさんあるということはわかった。
私の自己満足だ。
時々訪れてみたらいいかな、と思った時。
店先で小さな女の子がおもちゃで遊んでいる。どうやら店の子供らしい。看板娘のように、時々いらっしゃいませ、と言っている。
「あら、可愛らしい呼子さんがいるわ」
「あそこはシチュー専門店ですね。評判も良く、貴族もリピーターの多い店です」
「行ったことがあるのですか?」
「いいえ、部下に聞きました」
だよね。外食しないもんね。昼は知らないけど、大体いつ差し入れを持って行ってもいるし、忙しそうで王宮から出る様子がない。
——もしかして、この日のためにわざわざ調べたんじゃないだろうか。
「どうかしましたか?」
「もしかして、街の飲食店全て調べた、なんてことは」
「いえ」
だよね。流石にね。
と思ったら。
「念のため、王都にある店は全て調べました。ですので、ご希望があればおっしゃっていただければ、ある程度は対応できると思います」
「全部・・・!?」
「そもそも王都の警備も仕事のうちですので、元々知っている店も多いですから」
それにしても。
私が街へ行きたい、と言った一言でライアスが余計な仕事を増やしたのなら、それはかなり申し訳ない。
軽い気持ちで言ったわけではないが・・・。守ります、と言った以上、本当にできる限りのことをしてくれるのだと思うと、感謝しかなかった。
「たくさん調べて、こんなに楽しいおでかけにしていただけたのですね。ありがとうございます」
「い、いえ。当然のことですから」
感謝を言われる方が予想外のことだったらしい。
思いの外できる男だった。ライアス。
3人育てた後なのと、人手が多い中で育児なので、
シンシアは大変余裕がありますね。
現実ではこうはいきません、まったく。