26.戴冠式
周辺諸国、大陸中の国々が注目する歴史的な一日が始まった。
新ブラントネル王国、初めての戴冠式の日。
式典会場には限られた貴族しか入ることはできなかったが、多くの国民が遠くから見守っている。
まずは式典によりブラントネルの建国を宣言し、その後戴冠式によりアルロの戴冠による即位、という流れだった。
間に休憩を挟みつつ、午後になって戴冠式が始まった。
城で最も広い大ホールは荘厳に装飾され、ブラントネル建国を盛大に各国に知らしめる、立派な会場となっていた。
初代国王即位時は戦時下であったため、事実上建国式典の意味合いも大きい。
この後も数日かけて祝祭が開かれる予定だ。
一段高い所にシンシアはライアスと並び立った。二人ともシンプルな白い装いだったが、それがかえって厳粛な雰囲気を出し、新国王を際立たせていた。
それを見守る形で同じく壇上にペンシルニアの一同が見守り、立位で参列者たちがそれを見上げた。
アルロは黒地に赤い刺繍紋様の入った伝統衣装を身に着けていた。そこに式典様式の長いマントを装着している。
聖歌も讃美歌もなく、素朴な戴冠式だった。その簡素さが、国のはじまりに相応しい戴冠式のようにも思われる。
静寂に包まれる中、アルロはシンシアの前に跪いた。その頭上へ、シンシアの手にある王冠がゆっくりと降ろされる。
取り囲むようにして参列者はそれを静かに見守った。
「貴方なら必ず良い国王になるわ」
お決まりの言葉は特にないと言われていたから、かなりフランクな言葉になってしまったが。
シンシアは立派に王冠を被るアルロをまじまじと見下ろした。
アルロは軽く頭を下げてから、ゆっくりと立ち上がった。少し視線が上になる。
元々アルロのものだったかのように、その王冠はしっくりとアルロに似合っていた。
「立派に・・・なったわね」
「全て、奥様と公爵様のお陰です」
アルロが静かに答えた。
誰が想像しただろう。
出会った頃の痩せ細った少年が一国の王になるだなんて。
シンシアはアルロをゆっくりと抱きしめた。涙が出そうになってしまう。
「アルロ。本当によく頑張ったわね。ここまでの道は全て貴方が、自分自身で切り開いたものよ」
誇ってほしい。誰よりも努力して、それを苦とも思わずここまで来たことを。傷つけられる痛みを知っているからこそ、それを人に向けるのではなく、護ることを選んで来れた心の優しさも。
そっと離れてから、アルロは参列者の方を向いた。
すでに王の威厳すら感じるその出立ちに、参列者が静寂の中息を呑むのが分かる。
特に緊張している様子もなくアルロは会場の、一人一人の顔を順に見つめた。
「自由の礎を築いた先人たちの、勇気と不屈の精神を引き継ぎ、今日、我々は新たな時代へ歩みを進めます」
アルロの声は静かに、ゆったりと会場に響いた。
「ブラントネルはこの歴史的な今日という日に、また一歩、平和へ向けて前進した。磐石なる平和な世がもたらす恩恵は、それを知らなかった我々こそ渇望しているものです。その尊さを誰よりも分かっているはずだから。——だからこそ、今日、私は皆に誓いたい」
しん、と会場は静まり返った。
「戦争を起こさないだけではない。過去の教訓を忘れず、迫害のない、抑圧されない自由な治世を。それこそが国を繁栄へと導く真の平和だと、私は信じたい」
泣いている者も多かった。それは悲しみだけではなく、たくさんの犠牲への哀悼だけでもなく。間違いなくこれからの未来への大いなる期待を持っていた。
この場にいる誰もが、意志の強い目をアルロに注ぐ。
「——故に、ここに私、アルロ・ペンシルニア・ブラントネルは、ブラントネル王国二代目国王として、この身を国民に捧げ、真の平和をもたらし、この国の本来の姿を取り戻すことを宣言します」
アルロがそう言った途端、辺りが閃光に包まれ、眩しさに会場の誰もが目を開けられなかった。
やがて光は闇に包まれ、強すぎる閃光から温かな光へと変わっていった。
壇上のペンシルニアと新国王の姿が光に包まれ、その残光に闇が融合しているようにも、余韻を残して見えた。
一同の中からどよめき歓声が上がる。
「ブ・・・ブラントネル、万歳!」
「新国王陛下万歳!」
あまりの神々しさに跪く者まで現れた。むせび泣く者も、雄叫びを上げる者もいた。
間違いなく熱狂の中心はアルロで、それを静かに受け止めている。
祝福の大音量に包まれながら、シンシアが脇に立つエイダンに視線をやった。
「貴方ね」
「ちょっと出しすぎましたね」
エイダンはそう言ってぺろりと舌を出して見せた。そんな小声のやり取りはペンシルニアの家族にだけ聞こえるほどの小ささで。アルロは重い王冠を頭にのせたまま、こんなに楽しい戴冠式があるのかと笑った。
戴冠式も無事終わり、やがてゆっくりと日が落ちていった。
会場には音楽が鳴り始め、食事が運ばれ、舞踏会が始まった。
アルロの元には入れ代わり立ち代わり挨拶に、貴族や周辺国の使節がやってくる。そのアルロの側にはマリーヴェルがずっと張り付いていた。
マリーヴェルのドレスは赤地に黒の刺繍の、明らかにアルロの対となる衣装である。
シンプルな深紅のワンピースの上に、漆黒のベストと数か所スリットの入ったスカートを重ねる。その黒い厚手の布には一面に金銀の刺繍で紋様があしらわれていた。
「あからさますぎない・・・?」
とエイダンがぼやいていたが、マリーヴェルは押し通した。
アルロの執務室に乗り込んで行って、用意してあるんでしょう、と詰め寄り、お揃いの衣装を引っ張り出して来させた。マリーヴェルは一目見た瞬間にこれを着ると決めた。
基本的に身に着ける衣装は普段から各々自分たちで決めているから、今日だけ駄目と言われることもなかった。
シンシアが素敵ね、と言ってくれたのも大きかったと思う。
ブラントネルの広大な厳しい山岳地帯には遊牧民族が多く、その民族に代々伝わる刺繍の技術だった。刺繍は部族や自然の様々なものを象徴的に意味して複雑に施される。
この刺繍の紋様に『繁栄』『豊穣』に加えて『番い』という意味もあるのは、内緒だ。
「マリー、いつまでここにいるの?」
エイダンがそろそろアイラと会場を回ろうと思い、付いてくるか尋ねる。マリーヴェルは険しい顔のまま首を横に振った。
「ここにいるわ」
「何か食べる?」
「いらない」
「もう少し愛想をふりまいたら?顔が怖いよ」
「だって・・・」
マリーヴェルはそう言いながら会場にいる華やかな一団に目を向けた。
ブラントネルの貴族女性たちが着飾って並んでいる。その目は——明らかに、アルロをチラチラと見ながら様子を窺っている。
闇の力という事で貴族女性には敬遠されるかと思ったが、アルロの優しい物腰は既に社交界で有名らしい。
「油断も隙もないわ。こんな・・・」
ファンドラグにいた頃からアルロはもてた。平民で何も持っていないアルロであっても、その魅力は見る人が見れば分かるんだ。当然だと思う。
今、国王という肩書ができて更に——となると、マリーヴェルは気が狂いそうだった。
衣装を合わせておいて心底よかったと思う。それでも兄妹のように仲がいいんですねと言われたりする。マリーヴェルが見るからにまだ子供だから。
エイダンは呆れたようにアイラと去っていった。
ファンドラグの静かでクラシカルな舞踏会と違って、派手な音楽と速いリズムの不思議な舞踏会だった。下町の酒場のような気安さで歌いながら踊る者もいる。お祭りのような、ワクワクと心躍りそうな雰囲気の中、ライアスとシンシアも向こうに溶け込んで踊っている。
ソフィアはどこに行ったのか、姿は見えない。
「姫様」
女性陣を視線で牽制していたら、いつの間にか触れ合うほど近くにやって来たアルロが、そっと身を屈めて耳元で呼びかけた。
「少し、外に出ましょう」
「え」
いいの?そう聞こうとしたが、アルロはいつもの微笑みで頷いた。腕を差し出し、視線の先には、テラスに続くガラス戸があった。




