19.
貴族の間でも、王権に近しい派閥と、貴族派閥とがある。
ペンシルニア公爵家は代々騎士団を務め、言うまでもなく王権派閥。
長く王権が続けば、やがて権力を持ち、何かと反対したりする勢力が出てくるものだ。
それがいわゆる、貴族派。
それでも、これまではそれなりに上手くやって来れていた。
バランスが崩れたのは、やはり先の戦争以降だろうか。
「パーティーでの若者達は、揃って拘留しました」
「それは・・・随分厳しめの処置ですね」
なんと言っても貴族の子息令嬢達である。よくて謹慎かと思いきや。
翌日の、夜である。
ライアスは休みだったのに出勤し、事後処理を終えて帰宅した。夕食の席で会うと、パーティーのその後を教えてくれた。
「どういった者たちだったのですか?」
「伯爵家当主2名、伯爵家令息令嬢が5名、子爵令嬢2名でした」
「まあ。なかなかの・・」
まさか当主までいるとは。
「若くして爵位を継ぎ、自由になる金も権力もあり、それに貴族としての学ぶべき素養も責任も追いついていない現状です」
「・・・よく、あることなのですか?」
だとしたらかなりの社会問題じゃないか。
育児に忙しいからなんて言い訳して、新聞も読んでいないから。
前世ならご飯食べさせながらテレビつけておけば、最低限の情報は耳に入ってきたけど。
「多いですね。特に貴族派で若い当主らが、何やら定期的に集まっているようで」
「それはなにやら・・・不穏なような」
「そうですね。対して王権派は、結束が固いとは言いづらい面もあり・・・」
「なぜですか?」
「それは・・・」
ライアスが言葉を選んでいる所へ、エイダンがやってきた。
「ままっ!」
ぎゅっとしがみついてくる。
ふわりと花の香りがした。
「あら、エイダン。お外に行ってたの?甘い香りがするわ」
「おかし?」
「いいえ、これは・・・お花の香りね」
「おかし、たべう?」
食卓に連れて来られたら朝昼夕のどれかかお菓子、というのは分かっている。甘いという言葉だけ拾って、お菓子の時間だと勘違いしてしまったらしい。
「まずは晩御飯よ」
エイダンは乳母に促され、自分の席へ向かった。そのまま抱き上げて椅子に座らせてくれる。
「エイダン、お父様に、お帰りなさいは?」
「・・・・・・・」
「エイダン?」
「——さいっ」
「ただいま、エイダン」
もうちょっとちゃんとお帰りなさいは言えるはずだが。
ライアスがそう言ってしまうとそれで良しとなる。まあいいか。
家族の晩餐が始まった。
エイダンはだいぶ食べこぼしが減ってきた。
相変わらず主に手づかみではあるが、3歳に近づいてくるとフォーク使いもなかなかのものだ。
食べているところを見ていると、ぷにぷにのほっぺをついつつきたくなる。
動きが活発になって体の肉が引き締まってきたけど、このほっぺだけは失われてない。
「尊いほっぺ・・・」
「——なんです?」
ライアスが、聞き漏らした、とグラスを置いた。
しまった。声に出ていた。
「あ。いえ・・・」
ライアスは時々エイダンの口に食事を運んでやっていた。
王族育ちのシンシアにとって、貴族界のマナーは知らないこともある。しかしきっと当主が食事をしながら子供に食べさせるというのは相当珍しいのだろうけど。
私はそれを見ると、幸せになれる。
よく似た二人が、楽しそうにご飯を食べているところを見るのは、なかなかに幸せだ。
「貴方もすっかりお上手になりましたね、見ていて安心感があります」
「エイダンがいい食べっぷりなので。やっているうちに楽しくなってきました」
それは分かる気がする。
「エイダン。よく食べて偉いですね、って、お父様が言ってますよ」
「・・・いぃこ?」
「そう。いいこ、いいこ」
エイダンは嬉しそうに笑う。
ああ、天使。
「実は、ライアスに相談したいことがあるのでした」
この天使の顔を見て思い出した。
「何ですか」
「エイダンももうすぐ3歳ですし、街に行ってみたいのです」
「街、ですか・・・」
ライアスは表情を曇らせた。
「以前も申し上げたと思いますが・・・街は危険です」
「私もそう言われてこの年まで、街へ行ったことはなかったのですが。首都だというのに、この街はそんなに治安が悪いのですか」
「治安は・・・特別悪いというわけではありません。ですが、人が集まる所には、良いところもあれば、悪いことを考える者も集まるものです」
「貴方と一緒でも駄目ですか?」
「私と」
ライアスが思いもよらなかった、という顔をしている。
「ええ。——家族のお出かけですね」
ライアスはしばらく考え込んだ。
一応王国一の騎士だというのだから。これ以上の護衛はいないだろう。
「それではいっそ、最少人数で参りましょうか。その方がかえって良いかもしれません」
お忍びのように行くということかな。
「私が、命に替えてもお守りします」
護衛騎士じゃないんだから。
苦笑が出そうになるのを微笑みに変えた。
「楽しみです。——ライアス、私、街は生まれて初めてです。いくら光の魔力が狙われやすいと言われても。このまま死ぬまで屋敷で過ごすなんて、やっぱり寂しいですもの」
「・・・・っ」
ライアスははっとしたように表情を改めた。
「——そうですよね。私の考えが足りませんでした。貴方は外に出るのが好きではないのだと勝手に思って・・・」
「せっかく王族ではなくなったんですもの。もう少し今までより自由に過ごせたら嬉しいわ」
「そうですね。たくさん出かけましょう」
ライアスはそう言ってくれた。
言ったことは違えない人だから、これからもっと外に出ることを提案してくれるかもしれない。
エイダンの成長に合わせて行動範囲を広げて行けたらいいなと思った。
エイダンが13になった年、母親の監視を逃れエイダンは街に繰り出す。そこでヒロインの聖女と初めて出会うことになる。
「首都に来るのは10年ぶりなの」
と言っていたヒロインは、10年前に首都で飲食店を営んでいた両親を亡くしている。貴族の横暴で亡くしたから貴族を恨んでいる、というような設定だったような気がする。
初めは貴族であることを隠していたエイダンと仲良くなり、その後再会して貴族であることを知って、紆余曲折、やっぱりお互い好きで・・・というような。
この先エイダンとその子がどうなるかなんてわからないし、事件がいつどこで起こるかもわからないからどうしようもないかもしれない。
でも、一度見てみたかった。
少しでも助けられる可能性があるのなら、手助けしたい。
ここが本当に小説の世界なのか知りたい気持ちもあるのかもしれない。
両親を失ったヒロインは5歳で、その後孤児院を転々としたと言われていた。
夕食が終わりエイダンが去ってから、私は食後に飲んでいたカップを置いた。
2歳児との食事で紅茶を楽しむ余裕があるなんて。
しみじみとありがたい。座っていれば出て来る料理と、食べさせるのが上達したライアスと、食後すぐエイダンをデザートから寝かしつけまでスムーズに行ってくれるたくさんの乳母をはじめとする使用人の皆様のおかげ、の一杯。
日々、感謝だ。
「——先ほどの話ですが」
「王権派の結束の話ですか?」
エイダンが入ってきて中断した話だ。
「はい。あまりご心配にならないでください。王権筆頭たるペンシルニア家と王家の結束が強固である事が示されれば、また自ずと足並みは揃います」
「このパーティーでも強調しましたものね。ティティも乗り気だったわ。少し前までは、夫婦仲の悪さが王権派の弱体化にまでつながっていたのね」
「はい。戦争以降、王権派も貴族派も代替わりが多く行われたのは確かです。その陰で新たな結束を見出した貴族派に対し、王権派は我々の結婚を基盤にしようとしていたところがありましたので」
夫婦仲の険悪さが、そのまま王権派の揺らぎに影響するだなんて。ライアスに対し重臣たちが子供を早く作れとプレッシャーをかけたのもそれが影響したのかもしれない。
ライアスも代替わりして若かっただろうし。
では、先ほどの話と総合すると。
「ペンシルニア公爵が王権派筆頭として王家と固く結びつき、バランスが取れれば、更には貴族派を抑えることにもつながっていく・・・?」
「はい。ですが、シンシアに頼るばかりではなく。私がもっとしっかりと公爵家当主としての役割を果たさねばならないと思っています」
婚姻に頼ろうとしないのは、ライアスのやさしさだろう。私にプレッシャーを掛けまいとしているのも感じる。
「無理はしないでくださいね。ただでさえお忙しいようなのですから」
ライアスは何でもないことのように笑った。
この笑顔がいつの間にかエイダンと重ねるのではなく、夫として頼りがいがあると思うようになった自分にも気づく。
いつの間にか夫婦として、信頼できるようになっているんだ。
だったら。私ももっとちゃんとしないと。
「私も、そろそろちゃんと公爵夫人としての仕事も行いますね。今まで甘えてばかりでごめんなさい」
「いえ、とんでもない。シンシアこそ、無理はしないでください。貴方が元気でなければ、この屋敷はもう立ち行かなくなります」
そんなことはないだろうけど。
前世で自分が病気になって、嫌というほど感じた。
母親は元気でないといけないんだ。
子供が子供らしく、のびのび育っていくためには。
だから、健康第一で行くのは変わらない。
「はい。無理せず、頑張りますね」
私が笑いかけると、ライアスはすこし悩まし気な顔で、そっと私の髪を取って口づけた。




