1.
「い、た———い!!」
私は叫んだ。
あまりの痛さに。
「えっ、なに!?いた、いたい!なに!?」
目に飛び込んできたのは白。
白い服を着た人たちが私を取り囲んでる。
「奥様、気をしっかり!寝てはなりません!」
「息を、息を吐いてください、目を開けて!」
え、なに?奥様?
下腹が痛い。骨盤が割れる。あそこが裂ける。
これ、知ってる。この世で一番痛いやつ。
「はっ、ああああ———!!」
叫ぶしかない。叫ばないと絶対気を失う。
瞬間。すっと痛みが引いた。
激しく乱れた息を整えて、私はとりあえず周りを見渡した。
豪華な天蓋付きのベッド。そこに寝かされた私、それを取り囲む、1,2,3・・・5人の白い服の女の人。
「水!」
喉が痛くて、とりあえず手を伸ばす。瞬時に水が渡され、それを一気に飲み干した。
「奥様、ここを握って。暴れてはなりませんよ。もうすぐです」
「もうすぐ、なに!?」
わかってるけど、聞かずにはいられない。
「もうすぐお子様に会えますから!」
やっぱり!?ですよね、この痛み、陣痛ですよね。
うん、もう二度とないと思ってた。懐かしさすらあるもん。
「あと何分?」
「えっ・・・」
「陣痛間隔!今何分で、次まであと何分!」
「あっ、3分間隔で、あと、50秒です」
時計係のような人が、手元のレトロな時計を覗いて答える。
あとちょっとじゃない!
「いきんでいいの?」
「——え、あの・・・」
早く答えなさいよ、こっちはもう時間ないのよ。
「もう出していいのよね!」
3回も産んでるから、もう分かる。この割れてるんじゃないかって骨盤の痛みと、とんでもないものが挟まった感覚。
もう出てきてるわよね。
「きた、きたきた、いたたたたーいー!!」
私は静かに産む妊婦って言われてたのに。こんなに叫ぶだなんて。
だって突然なんだもん、許してほしい!
「奥様、お上手です!そのまま、力を入れて!!」
「ううんんん——!!!」
血管が切れるんじゃないかってくらい、いきむ。絶対この1回で出してやる!
この痛みをあと何回も味わうなんて、絶対に、
「いや————!!」
そして。
ちゅるりんっ、と。
あ、頭が出た。
「奥様、頭が出ました!力を抜いてください。息を吐いて!」
私は手を握りしめて、必死で下半身の力を抜いた。
「った、いたた、いたい!もっとやさしく!」
ここまできたら余裕が出てきた。
「——っ、出ました!お生まれになりました!」
助産師・・・というか、産婆さん?の、叫び声が聞こえる。
「んぎゃ、んあ、んぎゃ・・・」
動物の鳴き声みたいな、赤ん坊の鳴き声。
やった。産まれた。泣いてる。
「奥様、おめでとうございます!立派な男の子でございます」
「あー、うん・・あ、いた、いたい」
こっちはまだまだ痛いところなんで。息も絶え絶えだし。
急激に空虚になったお腹の感覚と、痛みと、全身汗びっしょりで、筋肉が軋む感じ。
出産・・・した。
えっと・・・?
と思う間も無く。
私はまた世界が暗転する感覚に襲われる。
「奥様・・!?奥様!!お気を確かに、奥様!」
「出血が・・!」
「治癒師を!止血を!」
遠くに声が聞こえる。
私、また死ぬのかな・・・?
そこから私は起き上がれない日が続いた。
生死の境をさまよっているんだろうな、ということはわかる。
全身が怠くて、痛くて、朦朧としていた。
現実と夢の違いが判らなくて、うわごとに何度も家族の名前を呼んだ。
けれどそれに応える声はなくて、ああ、私は死んだのだったと思い、また涙した。
たまに意識が戻るときはあるけれど、あまりの気怠さに体は起こせず、ベッドに横たわるだけだった。
そうして朦朧としているうちに、もう一つの記憶が断片的に、浮かび上がるように入ってきた。
私は生まれ変わったんだろうか。
だったらどうしてまたこんなに動かない身体なんだろう。
いろんな人が訪れては去って行って。
いったい何日そうしていたかわからないくらい長い間療養して。
ようやく一日目を覚ませるようになったころ。
記憶が混ざり合って、身体に馴染んだ。
シンシア・ペンシルニア。
それが今の私の名前・・・。
シンシア・ペンシルニア。
それは、前世で私が、入院中の暇つぶしに何か貸して、といって娘から借りたファンタジー小説の悪役の名前だ。
シンシアは主人公の母親だった。
白い髪に金の瞳を持つ、光の魔力を宿した王国の第一王女。その血筋と能力を買われペンシルニア公爵のもとに嫁いだのは17の時。
18になって義務的に息子を出産する。
いま、ここ。
夫婦仲は険悪で、夫は屋敷に寄り付かず、その陰で息子を虐待して育てた。
息子のエイダン・ペンシルニアは15歳で母を遥かに凌ぐ光の力を覚醒させる。
そうして早々に公爵を継ぎ、魔王討伐の筆頭として活躍する・・・だったか。
物語の前半はエイダンの苦難の日々。結局、シンシアは最後息子に殺されていたような気がする。
今日はだいぶ調子がいい。
起き上がって、スープを飲むことができた。
この世界には魔法があり、治療も魔法で施される。栄養も魔法で補充されたりする。
だが、自分の口で食事を摂るというのは格別だ。
手がぶるぶると震えてスプーンもろくに持てなかったけど。それでも起き上がって料理を食べられたのは初めてだった。
「姫様。良かったです。随分と回復されて・・・」
そう言って手伝ってくれながら涙ぐむのは、私の専属のメイド。名前をメイアという。
黒に青の混じる髪をしている、中年の女性だ。子供のころからずっと仕えてくれている。
「心配、かけてごめんなさい」
か細い声を出してなんとかお礼を言う。
「いえ、なにより姫様のお身体が大事ですから」
「今日は、調子がいいみたい」
「はい。これからどんどん良くなります。治癒師もそう言っていました」
出産に3日くらい苦しんで、その後大出血して、命が危なかったらしい。
驚くことにもう半年も寝込んでいるという。
「ねえ、メイア。夫はどこにいるのかしら」
「旦那様は・・・王宮に詰めていらっしゃいます」
そうよね。一回も見てないもん。
いくら意識がもうろうとしてたって顔の判別くらいつく。
寝込んでいた記憶の中には夫ライアス・ペンシルニアの姿はなかった。
信じられない。
命を懸けて出産した妻を半年も放置するって、ありなの?
記憶を辿ろうとすると、少し頭が痛む。
まだシンシアの記憶を思い出すのは、少し違和感があった。
「赤ちゃんは?」
「お元気です。乳母が育てております」
「そう。——とにかく。子供に会いたいわ」
「えっ・・・」
メイアが思わず、と言ったように声を上げる。
「ご、ご無理をなさらなくても」
「昨日までは座ってることもできなかったけど、今日は気分がいいもの」
我が子ながら、顔も見ていない。半年も会わないでいて大丈夫だっただろうか。
乳母がいるっていうし、大事な跡取りだからちゃんと育てられてはいるだろうけど。
「名前は?もう決まったの?」
「あ、いえ・・・」
いえ、ってなんだ。
「——夫は?」
「姫様のご意向に沿う、と」
はあー?
とんでもないなほんと。
いくら何でも、半年も名前もつけてもらえてないって?
確かに、記憶の中にある私は・・・うん、そうだね。勝手に名前つけたら、後で私に何言われるかわかったもんじゃない感じ、かもしれない。
それにしても。
「連れてきてちょうだい」
「姫様——」
「今、すぐよ」
きっぱりと言えば、メイアは視線を泳がせながら、それでもお辞儀をして出て行った。
病床にあったのだから、名前くらい付けてあげるべきじゃない?病気の妻に代わって愛情を注いで然るべきじゃないか。