23.宰相ヒューケ
一方、午後になり、シンシアとライアスは宰相ヒューケのお茶の誘いに応じた。これまでも手紙のやり取りはあったし、それで言うとそれなりに長い付き合いになっていたが、顔を合わせるのは今回の訪問が初めてである。
ヒューケは長い髪を後ろで結い、丈の長い服を着た長身の男だった。見るからに文人といった雰囲気の男だ。ルーバンですら武術の心得のあるペンシルニアではあまり見かけないタイプだ。
細やかに気配りをする人のようで、お茶会ひとつにも配慮が行き届いていた。
手紙のやり取りでも非の打ちどころのない書類を揃えてくる人で、人を褒めることのないルーバンが珍しく絶賛していた。
ヒューケとしては、ペンシルニアに頼りすぎない、独立したブラントネルの王権確立を目指したい、という思惑がある。そのためにもここでしっかりとお互いの展望を確認しておきたかった。
「心配しなくても、必要以上に干渉するつもりはないのよ。その余裕もないの」
これからの事は——とヒューケが切り出すと、シンシアはそう言った。余裕はない、とはいっても、周辺諸国でもっとも強大になりつつあるファンドラグの、その中で一強とも言えるペンシルニアである。勢力を伸ばそうと思えばいくらでもそうできるだろうに。ヴェリントの時といい、ペンシルニアにその気がないことは既に何度も言われていた。
「属国にというようなご意志がないことは、よく分かっています。本当に、どれ程感謝してもしきれません。ただ・・・」
「貴殿の言いたい事は分かっている」
ライアスが片手を挙げて制止した。
「何を心配しているのかも、分かっているつもりだ。分かった上で、心配ないと敢えて伝えたい」
「・・・・・」
ヒューケは思案顔で少し黙った。
本当に自分の言いたい事を言葉にしなくてもいいのだろうかと思うものの、どう言えば角が立たないのかずっと考えても答えが出なかった。
これから益々支援を得ようと言う今、それでもどの程度の干渉をペンシルニアは干渉と捉えているのか——それを話題にするのは、やはり厚顔すぎるだろうか。
「——あ、アルロからも釘を刺されているのよ。自分達は独立して歩んでいく、って。もちろん、アルロは私たちの子供も同然だから。親としてできる限りのことはするつもりよ」
「親、ですか・・・」
ヒューケは静かにそう呟いた。
アルロが事前に話していたと聞いて、ヒューケは肩の力を抜いた。アルロは自分に何も言ってこなかった。思えば今回の訪問に関して、王城の貴賓室を補修して警備を厳重にしたいという点以外、アルロ自身が何か言って来ることはなかった。
ヒューケの中では、アルロはまだペンシルニアの人間だった。だから、ヒューケからもペンシルニアとの関係性については相談していなかった。
——ペンシルニアの人間はすべてこうなのかと、ただ驚くばかりだった。
「そうですね・・・。そんな貴方がたの元で、陛下が育ったというのが——今の陛下たり得たのだと。納得しました」
「ペンシルニアで過ごした期間としては、短かったけれど」
ヒューケはふと笑った。
「時間ではないんでしょうね。血のつながりでも。——私の妹は、黒髪黒目でした」
「まあ、では闇の・・・?」
「いえ、まさか」
ヒューケはほとんど他の村とも交流がないような田舎の農村出身だった。
「家族からも村からも魔力のある者が生まれた事はありません。おそらく妹も魔力なしだった」
だった、という言い方をしたのは、もうこの世にはいないのだろう。それを察したシンシアとライアスの顔をまた、ヒューケも読み取った。
「三つになるまでは、何とか。——しかし村が貧しくなるにつれ、人々の怒りの矛先は妹へ向けられました。両親でさえも」
ヒューケは胸元のペンダントに触れた。ロケットペンダントだ。妹の遺品が入っているのだろうか。
「結局、妹は両親の手にかけられた」
しばらく沈黙が流れた。
解放軍の初期の構成メンバーは、ほとんどこういった闇魔力に起因する迫害を受けた者の集まりだった。
「——貴方が国を継ぐ算段だったようよ、アルロは」
「あり得ません」
話題を変えると、ヒューケは即答して薄く笑った。
「私はそのような器ではないのです」
そうだろうか。
解放軍立ち上げ時から土台を支えて来た人だ。
策略家で、人の心を読むのにも長けていると聞いている。数で劣る解放軍が多くの街を落としたのは、間違いなくヒューケの功績だろう。
「私が王になったら、粛清が始まるでしょう。国から貴族という貴族がいなくなることでしょう」
顔は穏やかだったが、目が笑っていなかった。
「どうしても陛下に立っていただきたかった。それは解放軍主要メンバーの総意です」
総意、とヒューケは断言した。ヘルムトが死んだのは、それこそアルロがここへ来て数ヶ月の話だ。十六の子供に、反対はなかったのだろうか。
「アルロに何を見出したのか、聞いても良いかしら」
「王気を」
ヒューケは即答した。それから、自分の考えに笑うように、表情を緩めた。
「抽象的ですよね。そう思うのですが、他に適当な言葉が思いつきません。あの日——ヘルムトが帰還した日。その肩を支えて馬から降り立った陛下を見たとき、我々は文字通り、固まった」
決して威圧的ではない、物腰の柔らかな青年だった。ただ目を見張るほどの黒を持ちながら堂々とした佇まいは、シャーン国ではあり得ないものだった。
「畏怖か、崇敬か——何かはわからない。まだ若い青年に確かに何かを感じたんです。その上彼が影の大君だったとヘルムトに明かされて、話せば話すほど、我々は彼に夢中になった」
冷静沈着なヒューケが、少し熱を持って語っていた。
「戦場に出れば誰よりも豪胆、それでいて弱い者を見過ごさない——これはペンシルニアからお越しの方々皆がそうでしたが・・・。陛下には、慈悲があります」
慈悲——年下のアルロに使う言葉としては、少し違うのかもしれない。しかし、殺伐とした集団の中で、そこだけはアルロが他と違っていたところだったのだ。
「我々に最も欠けていたものです。戦争ですり減った民衆の心に、陛下の心情や態度が伝わる、じわりと染み込むような温かなものをお持ちなのです」
「それが、アルロを王にと望んだ理由?」
ヒューケは頷いた。
「とは言え、何度説得しても応じてくださらなかったのですが。ある日——公女様の誕生日までにはペンシルニアに帰りたい、と言い出して。一同、顔面蒼白になって引き留めました。力づくでは止められませんし、情に訴えるしか・・・陛下は困り果てていました」
実際、まだ荒れ果てたブラントネルを置いて帰る程、アルロにも踏ん切りはつかなかった。
「国王になってくれるなら自由にペンシルニアに行っても良い、何なら一人で身軽に行って良い、という話になり、ようやく首を縦に」
「まあ。マリーで釣ったのね」
シンシアがおかしそうに笑った。手紙のやり取りで、なかなか帰れないと苦悩していたのは知っていたから。戦争をきっかけに気持ちの変化があったのかと思ったら、家臣らとの交渉があっただなんて。
「公女様は我らにとっても既に国の恩人です」
既に。その言い方では、輿入れが決まっているかのような。
「必ずや大切にお守りし、永劫の繁栄をお約束——」
「その話はまだ早い」
ライアスが切り捨てた。
険悪になりそうだったのでシンシアはドレスに隠れた靴でライアスの脚を蹴った。
「——それはそうと、アルロの顔を見て私も安心したの。いい人達に囲まれているようだし。ね、ライアス」
「ああ。無理をしている様子がない」
「性に合っていたのかしらね。気負い過ぎることもなく、本当に自然に自分の役割だと思っているようで」
「それにしても、ペンシルニアの方々のお陰です」
アルロがシャーン国で迫害されていたのは何となく知っている。そのままだったら、とても王になろうなどと思わなかっただろう。
アルロの原動力がペンシルニア——いや、ただひたすらにマリーヴェルにあるせいだろう。
「アルロはね、もともと優しい子なの。だから私達がアルロに助けられたのよ」
何かを教えたりしたわけではなく、アルロは元々優しくて強かった。
シンシアらは、その本質が擦り減って隠れてしまわないように手伝っただけだ。
「ブラントネルは夜明けを迎えたのだもの。その国民全てにも、早く陽の光が差すといいわね」
「はい。一日も早くそうなるよう、努めます」




