18.
私たちが入場するときには貴族はすっかり揃っていた。
国王の挨拶から始まり、舞踏会と言うだけあって華やかな音楽が始まる。
懐かしいと思ったのは一瞬で、久しぶりの空気に開始5分で疲労を感じる。
幸いスポットライトを浴びる国王と王太子の後方で、乾杯さえ終われば椅子に座ることができた。
国王への挨拶の列をなんとなく眺めながら、知り合いの顔を記憶と照合させていく。結構知っている顔が多い。
「何か飲み物を取ってきましょうか」
「いいえ。少し休んだら一緒に行きましょう」
ライアスは気遣ってくれたが、会場に降りた途端取り囲まれて帰って来れなそうな気がする。ちらちらとたくさんの目がこちらを見ている。
「どうでしょうね・・・」
夫婦関係が良いことを強調できただろうか。なんといってもお揃いコーデだし、ライアスが片時も側を離れないんだし。
しかし。会場の女性たちの視線が、痛い。
「素敵です」
ライアスの回答は質問の答えではなかった。
あとそれは、もう屋敷を出るときから何回も聞いた。
「この世の誰も貴方の美しさには敵いませんね。白金の輝く髪に金の瞳。その美貌、眩しくて目の毒です。先ほどから視線が集まっているのが分かりますか?この会場の男どもの目をくりぬいて来たい・・・」
「もう黙って」
浮かれている。
ものすごく浮かれている。この人。そして不穏。
ここにいてずっとライアスの台詞を聞いていたら疲労が蓄積しそうだ。自分に向けられる視線には無頓着なんだろうか。
「——さあ、行きましょう。それなりに挨拶して、おいしいものを食べに」
「はい」
ライアスは優雅に微笑んで腕を差し出した。
練習の成果もあって、自然なエスコートである。
実は、この舞踏会は小説でも描写があった。
エイダンが3歳になろうとする頃、シンシアは国王の生誕祭に出席した。
エイダンを狭い部屋に閉じこめて出席したそのパーティーで、シンシアは夫ライアスも父である国王も無視して、お酒を飲み、若い男たちを侍らせながら独身時代のように楽しんだ。
そして酔ったまま屋敷に帰り、部屋で静かに待っていたエイダンを見ると、シンシアはご機嫌で抱き上げる。
初めての母からの抱擁はお酒と不思議な薬草の様な香りがした、とエイダンの記憶にある。
そしてその後すぐ、シンシアはエイダンを投げ捨て、二度と抱き上げることはなかった・・・。
エイダンの視点で書かれているから、実はシンシアの描写はさほど多くない。
小説の記憶もあまりないのは、前世で病状が悪化してもう本も読めなくなっていったからだろうか。
そもそも、生まれて半年経ってから以降、小説とは全く関わり方が変わっている。参考にはならないと思うのは、思うんだけど。
「——考え事ですか」
肩を抱き寄せられて、耳元で囁かれる。
一度ダンスを踊った後もこうしてぴったりとくっついてきてるから、誰もダンスに誘いに来ない。それはいいんだけど。
慣れないダンスで疲れたので、グラスを傾けつつ少しぼうっとしていた。
「いえ、大丈夫です」
視線を合わせて笑い合っていると、すすす、とまた人が寄ってくる。
「ペンシルニア公爵閣下、公爵夫人、ご無沙汰しております」
もう何人目の挨拶だろう。
ライアスが相手をしてくれるので、私はにこにこしながら相槌を打つだけでいい。
「シンシア様」
後方から声をかけられて振り向くと、昔から知った顔。
確かラン・シーフォ。同い年の、社交界仲間だ。
特別仲が良い訳ではなかったが、出会えば普通に話をする仲。——まあ、大体みんなそうだけど。
「お久しぶりですね、ラン嬢」
ランは愛想のいい笑みを浮かべ、少し離れたところから小声で話しかけてきた。よく聞こえなくてそちらへ数歩進むと、ランは扇で口元を隠しつつ低い声を出した。
「一緒に休憩室に行きませんか?」
————ん?
「何か、お話でも?」
「必ずや、お喜びいただけると思いますわ」
意味深な言い方である。
そしてかなり酒の匂い。
そんな怪しすぎる人についていく奴がどこにいるだろうか。
「ごめんなさい、夫の側を離れるわけにはいかないわ」
「まあ。公爵はお厳しいのですね。・・・お花摘みに、と言ってみてはどうでしょう」
「何がありますの?」
そんな怪しさ全開でついていくほどの仲でもなかろうに。
「若者達で楽しんでいるだけですよ。もう少しだけ羽目を外して」
はあ・・・なるほど。
え、王宮のパーティーで?
どの程度羽目を外してるのかはわからないが、この言い方では若干のいかがわしさを感じる。
「それにね」
私の沈黙を迷いととったのか、ランは少し勢いづいた。
「今日は少し良いものがありますの」
「いいもの?」
「ええ。気持ちのよくなれるお薬が」
あらあらあら、それは大変だ。
そういえば小説でも、シンシアから酒と薬草の匂い、と言っていた。
ティティ・・・。
頑張って準備していたのに、どうやら警備配置か段取りか、とにかく隙があったらしい。
まだ15歳だもん。仕方ないよ。
落ち込まないで欲しいけど、落ち込むだろうなあ。
「シンシア様。昔のよしみで、是非おすすめしたくて参りましたの」
ぐい、とさらに一歩近づかれる。
「やっと出てこれましたパーティーですもの。先ほどのダンスを見て、昔を思い出すようでしたのよ。お変わりなく美しいシンシア様と、お近づきになりたいと申している者がたくさんいますの。何より、シンシア様には、以前のように幸せでいていただきたいですもの。そのお手伝いができると思いますの」
余計なお世話だ。
私は幸せだ。
こうして夫婦でパーティーに参加しているのに、不仲で私が不幸と見られているということか。
残念だ。
何が足りないんだろう。
「ね、もっと楽しいことしましょう?」
「——何のお話ですか」
ライアスが向こうの会話を終えてこちらへ来た。
私は再びライアスの腕に手を乗せる。
「ライアス、こちら、以前からの友人のラン・シーフォ嬢です」
すすす、と距離を取るランに、ライアスはお決まりの礼をした。
「ラン嬢が、休憩室でゆっくりお話をしたい、と。行ってもよろしいですか?」
「もちろんです」
ランは嬉しそうに扇を閉じた。
「嬉しいですわ!どうぞ、こちらです」
そう言って意気揚々と会場の休憩室へ続く出口へ向かう。
私とライアスはそのまま少し離れて歩き出す。
ランの足取りはフラフラしている。だいぶ酔ってるな。
いつ気づくのかな、ライアス付きってことに。
ていうか振り返りもしないで、当然ライアスと離れてついてくるって思ってるのは、なぜ。
「ライアス」
今のうちに。
私はライアスの耳元で囁いた。
「羽目を外した若者たちと、気持ちよくなれるお薬があるらしいです」
ライアスは微かに目を見開き、ちら、と視線を私に向ける。
間違いない、そう言っていた。
私が頷くのを見て、ライアスはどこか遠くに視線をやった。
ライアスが片手をあげるだけで、警備の騎士の視線が集まる。それらと視線を合わせ、ライアスは指で何かを合図している。騎士たちも頷いた。
「さあ、こちらで——あ、あら?公爵もご一緒で?」
ランが会場の出口でようやく振り返って、ライアスに気付いた。
今更慌ててもね。
私はとぼけたふりをして首を傾げた。
「ええ、夫婦ですもの。私達はどこへ行くのも一緒ですわ。——ねえ、ライアス」
「ええ」
微笑みかけ視線を交わすと、若干のぎこちなさは感じるが、ライアスも当然のように頷いてくれる。
「あの・・・で、でも、どうでしょう。休憩室は女性だけで」
「あら、先ほどの言い方ですと殿方もいると思ったのですけれど」
「それは、その・・」
「いいじゃない、行きましょう?楽しく過ごせるのでしょう?——私はライアスと一緒ならどこでも楽しいけれど」
そう言ってこてん、とライアスの腕に頭をくっつける。
「仲が、よろしいのですね・・・?」
「ええ。ふふ、お恥ずかしいわ。ライアスはとても優しくて、素敵な夫ですの」
「シンシア」
ライアスが感極まった声を出す。
「貴方こそ、私にはもったいない妻です」
グッと腕の筋肉に力が入ってる。——どうどう、演技だからね?
「さあ、案内してくださる?」
「いえ、その・・・」
ランは目を泳がせた。
ライアスが上から見下ろす。
「どうしました?」
私の大事な妻を、どこに連れて行こうとしてるのか、言えないのか?
とでも言いそうな視線の圧だ。
ライアスが目線で侍従にドアを開けさせる。
どちらにしろ、この先の休憩室は2つしかない。
ドアを開けると、廊下に笑い声が響いていた。
会場の音楽で打ち消される程度だが、格式ある王宮の舞踏会には些か不釣り合いな嬌声。
休憩室近辺に配置されているはずの騎士や侍従も見当たらなかった。
「あらためろ」
ライアスが低く言った途端、音もなく数人の騎士たちが脇を通り抜けて行った。
ランが青い顔をして、そわそわと落ち着かなく動いている。
「シンシア」
ライアスが肩を抱いて会場に方向を戻した。
「ライアス、行かなくて良いのですか?」
「今日はあなたのパートナーですから」
さっきまで座っていた椅子は目と鼻の先だ。国王もいるので騎士も多く配置されているんだから、ちょっとくらい離れても大丈夫なのに。
そう思ったが離れる気はないようなので、そのまま一緒に、元の国王らのいる方へ向かった。
多少のざわつきを感じつつも、パーティーの喧騒に紛れて他の参加者らは騒ぎがさほど気にならないようだ。
「王太子殿下」
私を椅子に座らせながら、ライアスがティティに何事かを言っている。
ティティは険しい顔をして、その後頭を抱えた。
「——どうなってるんだ、最近の貴族連中は」
そう言って私に断ってから事態の収拾に向かった。
ライアスもなんとなく視線をやりつつ、私に食べ物を運んでくれた。
しばらくそれをライアスと食べる。
コルセットなしのタイプのドレスでパーティーに参加しているので、楽に食べられる。
軽食を愉しんでいると一段落したのか、国王が横に座った。
「まあ、多少のトラブルは想定内だ。あいつもいい経験になっただろう」
事情は聞いているらしい。
「数年ぶりの社交界でしたけれど、これがよくあることというのなら恐ろしいことですね」
「——たしかに貴族らの奔放ぶりは近頃少し目に余るのだが。違法というところまでのことはしていないところが難しい」
「ご安心を、シンシア。貴方は私が守ります」
なんだかすっきりしない気持ちのまま、パーティーは終わった。