2.エイダン16歳
そして、アルロが帰ってこないまま、ファンドラグに冬が訪れ、エイダンは十六の誕生日を迎えた。
「——あら、エイダン。お帰りなさい」
屋敷のホールでエイダンとすれ違い、シンシアが声をかける。
「・・・ただいま戻りました」
すっかり声変わりを済ませ、低くなった声が響く。青年らしくなった体つきも姿勢も、ライアスに非常によく似ている。後ろ姿だけ見れば間違う時もあるほどだ。
エイダンは汗をタオルで拭きながら歩いていた。手には剣を持っている。
「訓練の帰り?」
「はい」
「今日は何をしたの?」
「いつもと同じです」
「そう・・・順調?」
「はい」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
会話が続かない。
エイダンはぺこりと頭を下げ、自分の部屋へ続く階段を昇って行ってしまった。その後ろ姿を見て、シンシアはため息を飲みこむ。
近頃、エイダンはほとんど喋らなくなってしまった。
アルロがシャーン国へ向かっていってすぐはそうでもなかった。屋敷は少し寂しさに包まれていたけれど、それでも活気はあったし、日常が忙しく流れて行った。
アルロがいなくなって子供会はなくなったけれど。エイダンの口数が極端に減って来たのは、やはりヘルムトの訃報以降だろうか。
別に機嫌が悪いわけではない。ただ、話さないだけ。
以前はよく喋る性格だっただけに、会話が続かないエイダンというのはどうにも変な感じがする。
これが反抗期というやつなんだろうか——いや、何も反抗されていないが。
そもそもエイダンには反抗期らしいものはなかった。訓練で発散しているのか、ものすごく打ち込んでいた時期はあった。
エイダンが何を考えているのか分からないという感覚は初めてで、少し戸惑う。前世で育てたのは娘だけ。そして、上の娘が十六になるより前に自分は世を去った。
——だからか、本当にわからない。エイダンが何を考えているのか。
ライアスに相談しても、そんなものでしょう、と言われた。会話がないと言っても、話すことがあれば話すのでは、と首を傾げるくらいだった。それはそうだ。用事があれば普通に話す。無駄話をしないだけ。
同年代の子を持つ母親に聞いてみても、よく喋る子もいれば一切喋らない子もいる。あまりに違いがありすぎて参考にならなかった。
そして、明日は、ついに。
新成人の式典パーティーの日。
式典を終えれば社交界デビューを大人として認められるようになる。
「ああ、どうしよう。私、泣いてしまうかもしれないわ」
ディナーの席で明日のことを思い浮かべるシンシアだったが、明日の主役は全くいつもと変わらなかった。
いつも通り器用に魚を口に運んでいる。
「エイダン、緊張してない?」
「はい」
「そうなのね・・・」
パーティーには今までもエイダンを伴って参加することはあったが、子供可のものだけ。正式に明日の式典で新成人として社交界デビューを済ませれば、大人と同じパーティーに一人でも参加できるようになる。婚活も本格始動し、家門の後継者としても見られることだろう。
振り返ればあっという間だった。どんどん成長してしまって、なんだか寂しいような気になる。
「明日は誰かと行くの?」
「いえ」
「・・・・・」
仲のいい友人同士で行く子もいれば、一丁前にパートナーと参加する子もいる。女の子の方はデビュタントといって白いドレスを身にまとう。婚約者がいれば共に入場して男の子はエスコートを行う。
そうでないなら、屋敷から馬車で会場である王城に向かうことになる。
エイダンはもともとアルロと行くつもりだっただろうから、寂しく思っているだろうか。
「お父様は明日はお仕事らしいの。じゃあ、私と行く?」
「はい」
即答してくれて、ちょっと嬉しい。
誰かが、母親がパートナーだなんて恥ずかしいって言って友人と参加していってしまう、とぼやいていた。そんなものかと覚悟していたのに。
「え、いいの?本当に?お母様がパートナーでも、いいの?」
「はい。エスコートします」
ガチャ———。カトラリーが音を立てて落ちてしまった。
みんなの視線が集中する。
シンシアは両手で口元を抑えた。
「どうしましょう・・・」
「シンシア?」
「ライアス、どうしましょう!エイダンの、エスコートですって」
あ、やばい。涙出そう。
「良かったですね」
ライアスは少し低めの声で言った。
結婚後、シンシアのエスコートを誰かに譲るのは初めてだ。しかも、シンシアがものすごく嬉しそう。
やや不機嫌になられても、シンシアは感動してそれどころじゃない。
だって、息子の晴れ舞台に仕事を入れたのはライアス自身だ。この話はもう終わったから蒸し返さないが。
「エイダン、明日の衣装・・・やっぱり変えようかしら。揃えちゃダメ?・・・あ、駄目か。やりすぎよね、ごめんなさい」
「いえ」
いえ?どっちのいえ?
聞きたいが、聞いたら面倒くさいと思われるだろうか。
「クラバットと私のリボンを合わせるくらいだったらいいかしら」
「はい」
「いいの!?」
シンシアは一気に興奮した。
「いっそ刺繍を合わせたいけど、それだと今からは間に合わないし・・・。どうせ式典後からはサッシュを身に付けるから、隠れちゃうものね。うちのサッシュは派手だからチカチカしちゃうし」
式典以降は、サッシュと言われる家門を表す帯の様な布を肩から腰まで斜めに下げる。
ペンシルニアの色は黒地に白と紫の線が入る。更にはペンシルニアの徽章を入れるのだが、双頭の獅子なので、本当に厳めしい。だから衣装はごくごくシンプルにした。
「シンシア。衣装を合わせるなら私と——」
「貴方は騎士服でしょう」
「・・・・・・」
ライアスが黙った。
何かしら、さっきから。参加しないって決めたんだから話に無理に入ってこなくていいのに。
「いいなあ。お母様、パーティー」
パーティー好きのマリーヴェルが羨ましそうに言う。
マリーヴェルはいつも参加できるパーティーには積極的に参加している。仲のいい友人たちとそれは楽しそうに遊んでいる。
「パーティーならこの前も行ったじゃない」
「何回でも行きたいの」
「何が楽しいの?」
冷めた台詞を言うのはソフィア。もうすぐ八歳になるが、まだ学園には行かないと言っている。アレックスと一緒に行こうと思っているのかもしれない。二歳差だからいけなくはない。
髪も伸びてドレスも着るようになった。家庭教師も一通りスタートしている。最低限の社交はしているが、とにかくマイペースである。
「あの楽しさが分からないのは、ソフィーがおこちゃまだからよ」
「お姉さま、シスイ先生が歴史に古典が混じると途端に課題が遅れるって言ってたわ。手伝ってあげましょうか?」
「い、いらないわよ!」
「ペンシルニアの起源でしょう?双頭の獅子について調べたらいいのよ」
「余計なお世話!」
「——こら、ご飯中よ。やめなさい」
まったく、この二人は。すぐにこうやって口喧嘩を始める。これもシンシアの最近の頭痛の種である。
少し前まではエイダンが仲裁に入っていたのに、最近ではディナーで「はい」「いえ」以外喋っているのを聞いたことがない。
今も、二人が口論をしても無関心なようで水を飲んでいる。
こと、とそのグラスを置くとさっと口元を拭って立ち上がった。
「ごちそうさまでした。お先に失礼します」
そう言って出て行ってしまった。食べるのも早いし、最近はデザートも食べない。
「かっこつけてるのよ。絶対好きよ、甘いの」
とマリーヴェルはエイダンの態度に冷ややかだった。昔はあんなにべったりでエイダンのあとを追いかけまわしていたというのに。
子供が成長するにつれて、また違った難しさがある、とシンシアは軽くため息をついた。
ちなみに、シンシアは34、ライアスは42。
まだまだ若いですね。