51.分かれ、旅立ち
「僕は反対だ!」
アルロのシャーン国行きを猛烈に、一番反対したのはエイダンだった。
夕方、王国騎士団から帰ってきた所、屋敷が少し騒がしくて不思議に思っていたところだった。タンから事情を聞かされたエイダンはアルロの部屋に駆けこんだ。既に荷造りは済んでいた。
「父上と母上が許可を出したのも信じられないけど。アルロ、あんなに嫌がってたじゃないか!」
「エイダン様・・・」
アルロは申し訳なさそうな顔をした。
「急に決めて、申し訳ありません。でも・・・その、時間がなくて」
「時間がないって・・・何が?」
「・・・・・」
「じゃあ、僕も行く。行って速攻で終わらせて、一緒に帰ってくる」
「馬鹿言わないでください」
背後からタンが呆れたように言った。
「馬鹿って言った?今」
ペンシルニアの公子が行けるわけないと分かっている。分かっているが、それでもこう言いたくなる気持ちをタンも分かっているはずなのに。
タンはエイダンに言い聞かせるように言った。
「——アルロが自分で決めたんですから」
「決めたって・・・だって、アルロ・・・本当に?」
アルロは頷いた。その決断した顔に、エイダンは勢いを失っていく。
「だって、戦場だろ?アルロ、人殺しは嫌だって言ってたじゃん」
誰よりも優しいアルロが。誰かを傷つける事なんて想像できなかった。
「僕、やだよ・・・アルロがいないなんて。——寂しいよ」
「はい。僕も」
エイダンは見る見るうちに元気を失っていった。
それを見ていると、思わずアルロの方から、がばりと抱きついた。がっしりとした恵まれた体躯が、今はアルロに抱きしめられて、頼りなく揺れている。
「マリーは・・・」
「許可は頂きました。早く帰ってくるようにって」
「信じられない。何でみんな許可するの」
「ありがとうございます。エイダン様にしていただいたこと、言っていただいたこと、全部忘れません」
「ちょっと!やめてよその言い方!」
じんとアルロの眼の奥が熱くなった。
エイダンの方がもう泣いているようだった。
「惜しみなく使いなよ、その能力」
「はい」
「困ったらすぐに呼んで。それだけは約束して」
「はい」
「かすり傷でも、怪我をしたら一度帰ってくること」
「はい」
「・・・・・」
言う事がなくなったのか、これ以上話せなくなったのか。エイダンはアルロにがっしりと腕を回して、ぎゅうっと力を入れた。苦しいほどの抱擁にアルロが笑う。
ごしごしとアルロの肩にエイダンは目を擦り付けた。涙を拭いたのだろうか。そのまま、動きを止めて深呼吸していた。くすぐったいのを我慢していたら、ようやくエイダンは体を離した。
「僕の兄弟」
赤くなった目元で、輝く黄金の目がじっとアルロを見つめている。
アルロは姿勢を正した。
「僕の同朋」
アルロの目も、赤く充血していった。
お互いに、お互いの腕を掴んでいた。
「かつて、僕の唯一の理解者だった人」
エイダンがそう言ったのは、何度も見た夢の、もう一つの世界線の自分とアルロだった。倒さねばならない魔王が、唯一の自分の理解者だった。どちらも愛されたことのない子供だった。
光と闇で、勇者と魔王——剣を向けたくない、葛藤。
昔からアルロに感じていた妙な感覚が、今は不思議としっくりと来る。
とてつもなく深く繋がりを感じる、同じ道を歩む同志。
「君は誰よりも優しくて強いから、きっとやり遂げられる。どんな困難も、君なら必ず乗り越えられる」
ガチャガチャと音がして、エイダンは自分の剣をベルトから外し、アルロに差し出した。ペンシルニアの公子が持つ、紋章入りの剣だった。
「受け取って」
「——いけません、これは」
「この剣がきっとアルロを守ってくれるから。せめてこれを受け取って、僕を安心させてよ」
アルロは何かこみあげてくるものを感じた。ぐっと喉が痛くなって、唾を飲み込む。
「・・・はい」
アルロはしっかりと剣を受け取った。エイダンも少しだけ安心したように見える。
「決戦は、冬って言ってたよね」
「はい。帰ってきたら、マリーヴェル様に求婚します」
そう言ったのと、馬屋番が顔をのぞかせたのが同時だった。
「——アルロ、馬具の準備できたから、確認してくれるか?ベン様達も来てる」
「あ、はい!」
アルロがそう言ってするりとエイダンの手を離した。
「——え、ちょっと待って。今何か、聞き捨てならないこと言った」
エイダンの事はタンが押さえて、早く行けと手を振ったので、アルロは頭を下げて馬屋番と去って行った。
「失礼します」
「いやいやいや、待って!僕そこまでは許さないよ。アルロ?それ父上に言った?アルロ・・・!?」
「坊ちゃん、しー」
「しーじゃない、何だよタンこんな時だけ!離して・・・え!?」
エイダンは混乱したままだった。
早朝。屋敷の正門に馬とアルロらが並び、見送りの人が並んだ。
フードをかぶって馬に乗る一行はやや目立つが、一目見てただ者ではないと分かる。
ここから約二日かけて馬を走らせ、西へ向かってシャーン国へ向かう予定だ。
慌ただしく用意したから、屋敷の人達にゆっくりと別れを告げる暇はなかった。
マリーヴェルともあの夜以来ゆっくりと話せなかったが、別れの朝には笑顔で見送ってくれた。
「姫様、行ってきます」
「約束、守ってね」
「はい」
「姫様、もしできれば・・・」
少し声を小さくして、アルロは言った。
「トーマ様からお誘いがあっても、断っていただきたいです」
こんな出立の朝に何を言うかと思ったら。マリーヴェルは笑った。
「わかってる。——昨日、お断りの手紙を書いたわ」
マリーヴェルは笑った。思っていたよりあっさりと、わかった、お幸せにと返って来た。同時に送ったベラへの報告の手紙を見たのかもしれない。
「だから、待ってるわね」
「はい。手紙を書きます」
「うん。私も」
これ以上は、ライアスとエイダンの視線がますます厳しくなってきて、二人は離れた。
ライアスはシンシアが、エイダンはソフィアが手を繋いでいる。ソフィアはアルロがシャーン国へ行くと聞いても、特に驚いた様子はなかった。
「アルロなら大丈夫」
じっとアルロを見つめてそう言ってくれた言葉が、アルロだけではなく、ペンシルニアの皆の心を軽くした。
「——行ってまいります」
アルロは馬に乗った。ベンら騎士団も続けて馬に乗る。
アルロは胸にマリーヴェルからもらったブローチをつけていた。腰からは、エイダンにもらった剣を提げる。どちらもペンシルニアの紋章が入っている。
「ご武運を、お祈りしています」
マリーヴェルが大きな声で言った。
アルロは深く頭を下げた。
そのまま、ゆっくりと出発する。街の外でヘルムトらと落ち合う手筈だった。
アルロら一行が小さくなっていくのを、ペンシルニアの屋敷の皆は黙って見送っていた。中にはすすり泣くものもいる。
姿が見えなくなって、屋敷に戻ろうとして——シンシアはこの場で唯一、不満げな顔をしたままのルーバンを見かけた。
「——なんて顔してるの貴方」
「よろしかったのですか」
「そうね、心配よね。見送りご苦労様」
あまり取り合う気はなかったが、ルーバンはぶつぶつと続けた。
「——アルロに教育を施すのに、一体どれ程の人と金銭がかかったか。それを返すこともなく、他国に・・・」
「まあ、ルーバン。貴方、相変わらず小さいのね」
「ち、ちいさい・・・?」
「私達はそんなつもりで教育を受けさせたわけじゃ無いわよ」
シンシアはライアスに肩を抱かれたまま、くすくすと笑っていた。
「教育ってそういうものでしょ?ふふ…ほんと、そういうところ、しょうがないわねえ」
シンシアは笑いながら屋敷に入って行った。
その様子は本当に嬉しそうに見えて、ルーバンにはやはり理解できなかった。




