50.
翌日の夕方、アルロは謁見が終わって帰宅したライアスとシンシアを訪ねた。
訪ねて来るだろうと分かっていたのか、二人はアルロを待っていたかのようにソファに座らせた。その対面に座って、謁見は滞りなく終えたと教えられる。
「陛下の返事は熟慮する、だったが。——要するに、支援をするための調整を家臣と行うという意味だ。早晩決着が着くだろう」
流れは確実に解放軍にある。アルロは姿勢を正した。
「お二人に、お願いがあります」
アルロのただならぬ様子に、二人は顔を見合わせた。それから、アルロの話を最後まで静かに聞いていた。
シャーン国に行って、革命を終わらせたい事。マリーヴェルには許可をもらった事。
「——昨日あれからヘルムトに勧誘された訳じゃないのね」
「はい」
ヘルムトを支えて宿まで行ったというのは、門番から聞いていた。
「今日聞いたら、ヘルムトは疲れが出ただけだと言っていたわ」
「そうですか」
シンシアは何かを察しているようだった。ライアスも深刻な顔をしている。
「ああいう鬼気迫る目をされると、こちらも心が動かされたりもするだろう。何かしなくてはと思ってしまうものだ」
「でも、それとこれとは別よ。流されているわけではないって言える?」
「僕の意思です」
アルロはきっぱりと言い放ち、まっすぐに二人を見つめ返した。
「——姫様にも、できるだけすぐに帰ってくるとお約束しました。確実に、早期に現王国を斃したいだけです。それができれば、僕は戻ってきます。ここで、ペンシルニアで受けたご恩を、忘れたことはありません」
「アルロ」
ライアスが名前を呼んだ。いつも、この低い声で名を呼ばれるとアルロは背筋が伸びるようだった。今も前のめりになりそうだった身体が、ピンと伸びる。
「——我々に対し何かをしなければならないと思うことは、何一つないんだ」
ライアスが念を押すように言った。
「これは何度も言った事だったな。アルロ、やりたいことをやる。自分の人生を後悔なく、自分のために生きる。——それが我々にとっての恩返しになると」
ペンシルニアで育ったことで、それを足枷には感じてほしくない。勝手に飛び立って、振り返らなくても構わない。
一大決心のつもりのアルロだったのに、二人とも笑っていた。反対されるだろうと思っていた。それでもアルロの話はちゃんと聞いてくれると思って勇気を出してここへきたのに。
「ここに来てからの宿題。やっと答えが出たのかしら」
シンシアはそんなアルロをじっと見つめていた。
アルロは久しぶりに言われたこのセリフにはっとした。
——自分が無価値な人間だって、まだ思っているのかしら。
かつてシンシアがそう言った台詞に、アルロは何も答えられなかった。繰り返し、たくさん迷惑をかけるたびに何度も聞かれた。いつもアルロはその質問に答えられなかった。
それが今は、自分が大切な存在だと、間違いなく思える。
「姫様のお陰です」
自然とそう言っていた。
マリーヴェルの愛している、の声が、アルロの中を満たしてくれた。これまでもずっとそうだったけれど、昨夜のその言葉は、今までにないほどの力を与えてくれる。
「僕が姫様を大切に思うのと同じだけ、姫様も僕を大切に思ってくださっている。僕にもできることがあると思えるんです」
たったそれだけの事なのに、ライアスもシンシアも心の底から喜んでくれているようだった。アルロがこうして口にするのは初めてだった。
「僕は、マリーヴェル様を愛しています」
ライアスの笑顔が凍り付いて、顔色が変わった。開きかけた口を素早くシンシアが制した。
「アルロにしかできないことだって思ったのよね。自分からやりたいって言うのは初めてじゃない?」
ライアスは押さえられていたシンシアの手を掴んで離した。
「まて、今のは——」
「実はね、ライアスと話して決めていたの」
シンシアは、ね、とライアスに無言の圧力をかけた。
「ヘルムトが無理に誘ったわけではなく、貴方自身が自分の目で見て判断して、故国を救いたいと言うのなら、私達はそれをサポートするつもりよ。ね、ライアス」
「あ、あ・・・。しか——」
「今のあなたなら、送り出せるわ。自分の人生の手綱をちゃんと握っているものね」
ここに来た時のアルロを思い出す。無感情で、ただ生きていることを申し訳ないと言っていた、痩せこけた子どもだった。何も持っていなかったし、持ってはいけないと思っていた。
それが、喜びを知って、涙を知って、怒りを知って。そして今、愛を口にした。それも護り抜くと誓いを立てた、自分の主君に対して。何ていう成長だろう。
アルロの将来を思い養子にこそしなかったが、気持ちの上では自分の子供だと、シンシアはずっと思っていた。その子供が、こうして成長した姿を見れたのが本当に嬉しい。
愛していると口にするのは、自分に自信がないと出来ないから。
ライアスが余計な口を挟むのを止める必要がなかったら、涙腺がきっと崩壊していた。
今は余計なことを言わないようにライアスの手を握っておいた。
ライアスがシンシアの圧を感じ取って、諦めたように息をついた。
「・・・ヘルムトは、明日発つらしい」
「急ですが、僕もそれに同行したいです」
本当に急だ。だが、行動は一緒にした方がいいだろう。
「ライアス、どう・・・?」
「——今から用意すれば大丈夫でしょう」
何の事かと思うアルロにシンシアが説明する。
「貴方が言い出した時のために、準備はしていたのよ。一年前からね」
「え・・・」
まさか、アルロが行くかもしれないと思っていたなんて。驚くアルロにシンシアはまた笑った。
「だって貴方、熱心に会計報告書を読み漁っていたじゃない。ブラントネルの歴史も調べて、各地の地理諸々の情報も取り寄せて。興味がなかったらそんなことしないでしょう?もしかしたらいつかはって思っていたの」
そんなに前から、行くかもしれないと思って備えていただなんて。
「どこででも、どんな形でも活躍できるように支援するのが後見人で親代わりだもの。——だから、ね。貴方がどこへ行ってもペンシルニアの肩書きは持っていなさい」
「でも、それでは」
より本格的にペンシルニアがブラントネル王国の背後に立つことになる。ただ経済的な支援を行うのと、人を送るのとではやはり重みが違う。アルロが外国でする、しかも革命という事にペンシルニアが責任を持つと公言する事になるかもしれない。
「国がらみで支援が始まるだろうから、構わない。お前には一個小隊をつける」
「そんな・・・!」
「連れて行って欲しい人がいるのよ。——小隊長にね、ベンを任命したの。本人も了承して、準備を進めているわ」
「ベン卿・・・」
思い浮かぶのは、ベテランで頼りがいのある騎士の顔だった。風の噂に、その昔、アルロが馬車襲撃をした時指揮を執っていたと聞いた。アルロは複雑な心境だったが、ベンの態度はいつも優しかった。
「ベンはね、すごく優秀なの。心身ともに強い人でね、マリーの事件の責任を負って降格処分となったのに、腐ることなく、今日まで、十年近く実直に平騎士として職務をこなしてくれた。私達は彼にもう一度、機会を与えたいの」
敵国に渡って、臨機応変に任せられる人物。腕も立ち、経験豊富——ベン以上の適任者はいない。
「貴方を守り抜いて帰ってきたら、ベンには騎士団長の職が待っているの。だからちゃんと連れて帰ってきてちょうだいね」
「は・・・はい」
「さあ、そうと決まったら、急いで準備をしなくっちゃ」
シンシアはベルを鳴らした。
「執事長に伝えるわ。タンに手伝ってもらいなさい」
まるで旅行の用意のように言う。
アルロは呆気にとられた気持ちのまま、深く頭を下げた。




