48.
ヘルムトは午前中の内にやって来た。今日も供も護衛もなく一人だった。
そろそろそんな身軽な動きもできない立場だろうに、ヘルムトはこうしてあちこち動き回るのをまだやめていないようだった。
応接室に通されてライアスとシンシアの対面に座った途端、ヘルムトはきょろきょろと辺りを見渡した。
「ご無沙汰しております。——今日は、アルロ君は」
「普通に仕事してるわよ。アルロに用事だったの?」
「いえ、そういう訳じゃないんですがね。会いたかったな、と」
「まだ諦めてないの」
シンシアの呆れたような声に、ヘルムトは真剣に答えた。
「私は一度も諦めた事ないです」
アルロを仲間にしたいという思いは、最初よりももっと強いようだ。
「いつまでこの制約は続くんですかね。アルロ君を勧誘しちゃダメっていう・・・したら支援を打ち切るっていうのは」
「アルロが成人すれば、取り敢えずは止めない」
「アルロ君の成人まで、あと二年・・・」
ライアスの返答に、ヘルムトは何とも言えない顔で苦笑した。絶望的、のような。
「あと二年が待てないのか?」
「そうですね・・・それなら、ブラントネル建国を宣言して、正式にファンドラグ国王に謁見を申請し、支援を頂いて——そうすれば、誘ってもいいでしょうかね」
国からの支援があるのなら、ペンシルニアの支援を打ち切られても何とかなる。
「——そこまでしてアルロを連れて行きたいのか」
「そうですね。是が非でも」
「そこまで深刻な人材不足だとは聞いていないがな・・・」
ライアスは腕を組んでヘルムトを見据えた。
「今日の話はそれか?」
「——あ、いえ。決着をつけようかと思いまして」
世間話の延長のように軽く言う。ライアスもシンシアもはっとした。
「決着」
「はい。色々考えたんですが、冬を前にと思っています。来月の初めに、ブラントネル王国の建国宣言をします。とりあえずは今拠点にしている街を本拠としてできる限りの勢力を集結させる。建国の宣言で勢力が最大になったところで王都に攻め入り、この革命を終わらせます。——つきましては、最終決戦に際し、支援をお願いしたく、お願いに参りました」
「支援は・・・やぶさかではない」
ライアスは重い口調で言った。
「一度陛下にも謁見できるよう取り計らい、国としての話になるかどうかお伺いするといい」
そこまでしてくれるのかと腰を上げるヘルムトを、ライアスは片手を挙げて制した。
「だが、この冬まで、とする理由は何だ?急ぐ理由が知りたい」
「兵は拙速を尊ぶ、というでしょう?」
ヘルムトはいつもの飄々とした笑みを浮かべた。
「今が一番士気が高いんです。この流れを消したくない。軍を預かる閣下なら、お判りでしょう?戦場にある空気ってのが、兵の数だとか武器の数より物を言うってのが」
現地での空気の事を言われると、ライアスは一先ずは納得するしかない。
「——その言葉を信じていいのか」
「私はペンシルニアに頂いた恩義を、必ずやお返ししたいと思っています。解放軍への支援の事だけではなく、何より、アルロ君を救って育てていただいたことにも。私達の同胞を護って下さった。——信じていただきたいとしか言えませんが・・・」
ヘルムトのその灰色の眼は、ぎらついていると思った。戦場にいるからだろうか。
何かに追い立てられ、余裕のないものの眼だと、ライアスは思った。
とりあえずソフィアの発言のこともあったので、ヘルムトのオルティメティへの謁見は翌日には秘密裏に、という事で決められた。
また明日来るという事で話がついて、ヘルムトは屋敷を出た。正門のところで道の向こうから帰って来たアルロと出会った。
アルロは軽装で街に用事に出ていたようだった。
「ヘルムトさん」
今日は珍しく、アルロの方から声をかけて来る。
ヘルムトは嬉しそうにやあ、と手を挙げて挨拶した。
「アルロ君。元気そうだね。今日は、仕事?」
「はい。手紙を出しに行って、今帰ってきました」
「そっか。僕も面会が終わったよ」
門を出たところからは、人の目がある。ヘルムトは身を隠すためにフードを頭に被った。そうするとちょっと汚れた旅行者に見える。シャーン王家は王城に立てこもるばかりで密偵を放つ余裕はなさそうだが、一応警戒はしている。
「明日、国王陛下に謁見させてもらえることになったよ。結局ね、十一月辺りで最終決戦に持ち込むことになるかな」
じゃあ、とヘルムトは帰ろうとする。今日は随分と口数が少ない。
「ヘルムトさん、何に急いでるんですか」
ヘルムトは足を止めたが、返事をしなかった。
「時間をかけてする方が確実なんじゃないですか?何百年も続いた国を亡ぼすんですし、急いだっていいことはないはずです。他の選択肢をどうして選ばないんですか?」
アルロはヘルムトの前まで歩いた。ヘルムトは俯いたまま、目を合わせない。
「冬までに決着をって言ってましたよね。それって、食料や燃料の事じゃないですよね」
「ごめんね、アルロ君。ちょっと今日は用事があって——」
そのまま立ち去ろうとするヘルムトの手を、アルロは掴んだ。
「——一体何が問題なんですか」
「問題なんてないよ」
「・・・・・」
この様子を遠くから見ていた門衛は、アルロとヘルムトとの接触に、これをライアスへ報告すべきかどうか悩んでいた。
二人の声は小さくなって、何を話しているのかわからない。
そう思っていたらアルロはヘルムトの手を放して、門の方へ走って来た。
「大丈夫か?アルロ」
「はい」
心配して聞いたが、アルロはいつもの無表情だった。この子はあまり、表情が変わらない。
大丈夫かという聞き方がまずかっただろうかと思う。
「俺が追い出してやろうか?あいつ」
「いえ、ちょっと宿まで送ってきます」
「え?アルロ、何か無茶を言われたんじゃないのか?」
この日の門衛は気心の知れた騎士団員だったから、小声でそう聞きながらアルロの肩を組んできた。
「お前、あいつに勧誘されてんじゃねえの」
「そんなことないです。勧誘したら、ペンシルニアの支援を打ち切るって言われてるから、もう何も言わないんです」
アルロはやんわりと門衛の腕を取って下がった。
「申し訳ないんですが、午後にお休みをくださいって、伝えてもらえませんか?」
「いいけど・・・」
門衛は益々驚いた。アルロが休みを申し出るなんてものすごく珍しい。
「本当に、無理やりじゃないんだな?」
「はい。心配してくれて、ありがとうございます」
そう言ってアルロは笑って頭を下げて、またヘルムトの方へ走っていった。
「——宿まで送ります」
そう言ってヘルムトに肩を貸している。
「いや、君仕事」
「伝言を頼みました。今日は午後半休です」
「はは・・・私が怒られそうだなあ」
ヘルムトの乾いた笑いと、ちらりとこちらに視線が向けられてから、二人は街の方へゆっくりと消えて行った。




