42.
ヘルムトとエイダンの会話が一段落した頃には、アルロは紅茶をすっかり飲み終わっていた。
「——方針についてはもう少し考えてみるよ。あの仲の悪い四人の王子たちが、これを機会に一致団結するのか、更に争うのか・・・様子を見てみるかな」
「なるほど、内側から瓦解させるという手もありますね」
「計略にはちょっと、人手がなくてね・・・」
思い当たる人間がいないらしい。
「あ、あともひとつ。直接会って伝えたかったことがあるんだ」
「もう十分」
「君にじゃないよ。アルロ君にだよ」
二人のテンポのいい会話を何となく聞き流していたアルロは、名前を呼ばれて反応した。
「——あ、はい」
「私が闇の魔力の保持者だという事を公表したよ」
ついに、だ。
「シャーン国での闇の魔力への差別をなくす」
ヘルムトは言い切った。それがどれほど難しい事か、そこでずっと暮らしてきたヘルムトにはアルロよりよほど身に染みているだろうに。きっぱりと、なくすと。
ヘルムトの目的は揺るがなかった。解放軍が制圧した地域が半分を超えた頃——自分達の目的はブラントネル王朝の再興である、という大義名分を掲げて、解放軍は改めてシャーン国王へ宣戦布告した。
ブラントネル王朝の正当性、闇魔力の高貴で貴重なその能力。それこそが王家にふさわしい魔力であり、国を守る能力だった、と——。
「そもそも、実は私が立ち上がったのって、それが目的なんだよね」
ヘルムトは、シャーン国での闇魔力の話をするとき、眼帯に触れる。多分無意識だ。
「現王国を斃すとか、新王国の建国とかそこまで考えてはなかった」
「そうだったんですか」
「うん。なんか臨機応変に流れに乗ってるうちに、結局こんな大きなことになってしまったけど。まあ結果良ければみたいな?」
ブラントネル王朝といっても、あまりに昔過ぎて誰もぴんとは来ないけれど。現王国を悪役に仕立て上げるのには、いい材料になっているようだった。
そしてヘルムトが旗印となり、闇魔力の能力者であると公表したのなら。国民の意識は大きく変わっていくだろう。
人々はごく自然と想像する。新しい国はブラントネルという正当な古代の王国で、その王には闇魔力のヘルムトが立つと。
「今の所順調に受け入れられているよ。表立って何かを言って来る輩も覚悟してたのに、全然いない」
「でも・・・今まで以上に、気を付けてくださいよ」
「えー、心配してくれるのかい。やさしいねえ、アルロ君は」
「アルロは誰にでも優しいから。おじさんだけにじゃないし、特別な意味はないからね」
「水を差すのが好きだねえ、君は」
ヘルムトは人前に立つことが増えたのだろう。以前より少し小綺麗になっている。灰色の目がよく見えるようになって、以前より表情もわかりやすい。
その灰色の眼で、ヘルムトはアルロの事をまるで家族のように、親愛の情をもって見つめているようだった。エイダンは何となくそれも気に入らなかった。
「——だから、さ。シャーン国に来ても、アルロ君が虐げられるようなことは、もうないからね」
「あ!今の発言——」
「いやいやいやいや、今のはセーフでしょ!もし来た時の話だもん」
エイダンの検閲に引っかかったようで、もうそれ以上喋るな、と厳しくエイダンに止められている。
エイダンがいなかったらヘルムトはもっとアルロに絡んできただろうから、アルロとしてもエイダンがいてくれてよかった。しかし、このままではエイダンがヘルムトを国境まで護送してしまいそうだ。
「——エイダン様、帰りましょうか」
今日は特にあてもなくぶらぶらとしただけだ。
エイダンが頷いたので、二人はヘルムトを置いて店を出た。
その背中にまたねー、と懲りない様子のヘルムトが声をかけた。
屋敷へ続く道を歩きながら、アルロは途中、飲食店が並ぶ道を指さした。
「エイダン様、葡萄亭へは行かなくていいんですか」
「うん、昨日行ったし」
「最近は毎日行ってないんですか」
「いや、行ってる」
あれからどうも特に進展はないようだった。が、相変わらずエイダンは誰とも婚約をせず、王国騎士団に忙しく出勤しつつも、毎日会いにはいっているらしい。
アルロには男女の事はよくわからないが、年頃の男女が毎日会っている——これはもう、付き合っていると言わないのだろうか。
「——あ、もしかして、ご両親に言うのが先なんですか」
「は!?え、何の話」
「交際の・・・」
「こっ、交際!?」
「はい。エイダン様はペンシルニアの後継者なので、交際を始める前に先に公爵様と奥様に許可をもらおうとお考えなんですか」
それでこんなに宙ぶらりんの状態を続けているのだろうかと思ったが、違うようだった。
エイダンは一瞬驚愕に固まったかと思ったら、今度はしゅんと肩を落とした。先ほどヘルムトと対峙していた時とは別人のように元気をなくしている。
「——いや。関係ないよ。父上も母上も、まだ婚姻について何も言ってこない。というか、はなから求婚状がきても、断ると思われてるみたいで。これって・・・察してるんだと思うんだよね」
その手の話になると逃げているのもあるが。普通なら、どうするのか聞かれてもおかしくないのに、全然聞かれないというのは。
「そうですか」
「・・・・・」
「・・・・・」
特にその後の会話がなくてしばらく黙って歩く。エイダンの方がたまりかねたように足を止めた。
「僕が実際に、それを望んだとして、さ」
「はい」
「それから、もし・・・もしも、アイラが答えてくれたとして。——それはアイラにとって、不幸ではないんだろうか」
「それで、思いを告げるのを躊躇われているんですか」
「——それだけじゃないけどね。ただの意気地なしだってのももちろんあるよ。でも、去年アルロに、何ていうか、背中押されてからさ。やっぱり言おうと決心はしたんだ」
背中を押した、に記憶はなかったが、取り敢えずアルロは黙って頷いた。
「でも、いざ決心するとさ。今度は色々考えちゃって。ペンシルニアの家って・・・家族はもちろん好きなんだけど、僕にとって、なんていうか・・・楽しい所じゃない事も多くってさ」
アルロはまた黙って頷いた。
エイダンはそつなくこなしているし、お手本のような立派なペンシルニアの後継者だが、一緒にたくさんの時間を過ごして自然体のエイダンを見ていれば、後継者としてのエイダンは望まれる役割をこなしているのだと分かる。特にエイダンは、そういう重臣たちの視線に敏感だから、特に上手にこなしている——無理をして。
「僕が経験した嫌な思い、その一つでも、アイラには経験させたくないんだ」
「・・・嫌なら嫌とおっしゃるんじゃないですか?アイラ様は、そういう方なのでは」
「うん、まあ、言いそうではあるかな・・・」
アイラの元気であっけらかんとした笑顔を思い出した。どんなことでも笑ってこなしそうだ。
それだけに、あの笑顔を曇らせたくないというエイダンの気持ちも分かる。
「エイダン様が守って差し上げれば良いのでは?公爵様が奥様をお守りしているように。エイダン様もアイラ様をお守りして。好き同士なら、周りの雑音も気にならないんじゃないでしょうか」
「・・・確かに、父上と母上が二人の世界に入ってるときは、周りの音が聞こえてないみたいだな」
エイダンは笑った。
「——アルロは好きな人には、そうやって守ろうと思ってるんだ」
アルロが面食らったような顔になる。思いもしなかったという顔だ。
「好きな人・・・」
「よし。僕、決めた」
アルロの呟きは小さくて、エイダンの決意の声にかき消された。
「十六になるまでに・・・」
何をどう、とは言わなかった。言わなかったが、エイダンは迷いのない足取りですたすたと再び歩き始めた。




