15. 浮気相手?
私は定期的に王宮に来るようになった。
嫁に出た娘が頻回に実家に帰るのは外聞が良くないらしいが。
——大丈夫、お父様に会いに来たわけじゃないから。
私はエイダンの手を握りながら、もうすっかり慣れた王宮の外宮の廊下を歩く。
「ぱぱ、っち?」
「ええ、そうよ。エイダンはすっかり道を覚えたのね」
エイダンが先導するようにぐいぐいと私の手を引いて歩く。
王宮では手を離さない、という約束をちゃんと守ってくれている。
エイダンは活動が更に増えたので、こうして時々王宮のお遣いについてくるようになった。ライアスにお届け物をする、という名目での散歩だ。
敷地内の庭園でも十分に運動はできるが、やはりおでかけは格別なようで、大喜びする。本当は買い物にでも連れて行ってやりたいが、ライアスは頑として許可しなかった。
私も、どの程度危険なのかわからないので、無理を押すほどでもないかなと思う。
あとはその角を曲がればライアスの執務する騎士団長室——というところで、今日は珍しく人に会った。
騎士団詰所の近くになるため、王宮騎士以外にはあまり人気はない。
王宮の騎士も兵士も黒い制服なので、ぱっと現れたそのドレスはとても目立った。
きれいな女性だ。目が合って、丁寧にお辞儀をされる。
「王女殿下にご挨拶申し上げます」
「——挨拶の仕方を間違っていてよ」
この顔には見覚えがあった。
大富豪の、ギューダス伯爵令嬢だ。確か私とさほど年は変わらないはずだが、まだ結婚はしていない。
紫の派手なドレスを着てもそれに負けないはっきりとした美貌だ。体型も、なかなかのボリュームを隠さないラインのドレスだ。
私は産後体調不良を理由にコルセットはやめたので、この腰の細さは・・・えぐいほどすごいな。
「これは失礼いたしました。——公爵夫人」
「貴方は、レイラ・ギューダス嬢ね」
「覚えていただき、光栄にございます」
「今日は騎士団にご用事?」
確か次兄が騎士団員だったか。
「——はい」
レイラは不敵な笑みを浮かべた。
なに?妙に挑戦的だな。
「ライアス様に、会いに来ましたの」
これは・・・。
私はエイダンを背後に隠した。
「そうですか。夫がお世話になっているのかしら」
「ええ・・・ふふふ」
思わせぶりな言い方だ。
少し前なら、あら夫はこういう系統が好みなのかしら・・・と納得しただろうけど。
毎日あの砂糖の様な甘さで囁かれている身としては、この子の付け入る隙があるようには思えない。
「ご用事なら、どうぞお先に」
「いえ・・・そんな。奥様がいらっしゃいますのに。遠慮いたしますわ」
「・・・・・・」
つまり大した用はなくここにいたということだろうか。
謎だ。
無視して通り過ぎることにした。
「——公爵夫人、どうか公爵様にお伝えください。私はまた、いつでも良いですよ、と」
はあ?
微笑みを崩さなかった自分を褒めてやりたい。ここで怒ったら相手の思うつぼだと思うから。
子供の前で、牽制してきた。レイラ・・・すごく嫌な女ということは分かったわ。
まあね。エイダンが1歳になるまではライアスはずっとここにいたんだものね。
——また、いつでも・・・?
へえ・・・。
「ぱぱ!」
エイダンがドアを開けると同時に、執務机の方へ走っていく。
執務室では手を放していいと言っているから、あっという間に離れて行ってしまった。
ライアスに一度ぎゅっとすると、一瞬で興味をなくしてまた戻ってくる。
「シンシア。よく来てくれました」
いつもと変わらない、嬉しそうなライアスの顔。
今日はそれを見ると何やら腹が立つ。
「——シンシア?何かありましたか」
「何がです」
「その・・・表情が」
苛立ちが顔に出てしまっていたのだろうか。
だって。一応、愛を確かめ合ってるわけでもないけど。夫婦なんだから。最低限の礼儀ってものがあるわよね。
浮気するならもう少しまともな女性はいなかったわけ?
「顔がなんですか」
「怒っていますか」
「いいえ」
「ですが・・・いえ。そんな貴方も美しく魅力的ですが」
照れたように言われても、今はその台詞が空滑りする。
「前から思っていたのですが」
「はい」
「そういう台詞を、ずいぶんと言い慣れていらっしゃるようですけれど」
ライアスは驚きに目を見開いた。
「外に子を作るようなことはなさらないでくださいね」
私生児は貴族界では肩身が狭い。そんな不幸な子を作るようなことをしてはいけない。
「——っな、何を言ってるんですか!」
ライアスは慌てて側まで駆け寄ってきた。
「私が貴方しか見えていないことが、伝わっていませんでしたか」
「今はそうでしょうけれど——」
言いかけて、止まった。
なんでこんなことで言い争っているのか。
「ごめんなさい。——ちょっと頭を冷やします」
「シンシア——!?」
差し入れを置いて、エイダンに帰りますよ、と声をかける。
ドアに手を掛けようとして——ライアスの大きな手がドアノブを阻んだ。
「——待ってください。いったいどうしたのか・・・教えていただけませんか」
すぐ耳元で囁かれて、そちらを見る。間近で濃茶の瞳と目が合った。
いつもなら照れて離れるのに、今日のライアスは離れて行かなかった。探るようにこちらを見てくる。
——そう、騎士団に出入りするようになって、嫌でも耳に入ってくるようになった。
一番の出世株、有能な公爵閣下。騎士団員からの忠誠も固く、国王からの信頼も厚い。先の戦争の一番の功労者。負け知らずの軍団長。
おまけに顔も良くてまだ若い。
夫婦仲は冷え切っており、妻は癇癪持ちの引きこもり——公爵はこれに耐えられず外に女を作っている。
黙っている私に焦れたのか、ライアスは護衛に視線をやった。
私からは見えないが、護衛の顔がみるみる青くなっている。
「今しがた、レイラ・ギューダス嬢がそちらに」
ちょっと声も震えてる。どんな怖い顔をしているんだか。
「シンシア。誤解です」
「——私は何も思っていません」
「あの令嬢は、勝手にここらをうろついているだけです」
「勝手に・・・?」
そんなことがあり得るのか?一応高位貴族の令嬢が、ふらふらと?
「そう言えば、伝言を頼まれました。——また、いつでもいいですよ、と」
「はっ・・・?」
ライアスが変な声を上げた。
「全く意味が分かりません」
「相手にしていない女性が、騎士団の廊下を徘徊し、更にはこんな伝言を妻である私に言ったということですか。——レイラ嬢は随分な変わり者のようですね」
「その・・・パーティーで、エスコートを行ったことはあります」
なんだって。
「ギューダス伯から、頼まれて。——あそこの長男とは少し交流がありましたので、深くは考えず・・・」
「それは結婚してからということですよね」
結婚した男性が、未婚の女性をエスコートすることなど、普通はあり得ない。
「それは・・・はい。そうですね。私が間違っていました」
聞きたくないけど聞いてしまう。
「正確に、いつのパーティーでしょうか」
「・・・・・・」
「ライアス?」
「あ、その・・・」
ここ最近ではないだろう。仕事と家庭の往復だった。エイダンが1歳になってから今までは。
「ほとんどお帰りにならなかった、エイダンが0歳の頃でしょうか。——はっ、まさか、私が生死の境を彷徨っている時に・・・」
「いえ。その・・・エイダンが生まれる前です」
声が小さい。まずいと思っているのだろうか。
さすがに妻が死にかけてるのにパーティーに来てたら、ちょっと見限っていたかもしれない。
しかし、ということは、結婚してすぐにエイダンを身ごもったから。
「つまり、妊娠中かしら」
「・・・・・・・・はい」
へえ。ふうん。
「あの・・・シンシア」
「・・・・・」
ライアスが膝をついた。私の手を取り、それを祈るように額につける。
「私が愚かでした。どうか、見限らないでください」
「やめてください、エイダンの前で」
幸い護衛の騎士が遊んでくれているのでこちらに意識はないが、聞こえているものだ。
「帰ります」
「シンシア」
「放してください」
「シンシア、どうか」
「静かにお願いするしかないのです。放して、ください」
再び言うと、ライアスはゆっくりと手を放した。