25.
あっという間に夜になり、晩餐会が始まろうとしている。
ペンシルニアの子供達は控えの間で呼ばれるのを待っていた。
アルロと一緒に参加するのは初めてで、マリーヴェルはなにやらそわそわとしてしまった。
「アルロ、緊張してない?」
「大丈夫です」
初めての晩餐会だというのに、本当に緊張している様子はない。落ち着かないマリーヴェルに水を持ってきてくれたり、椅子をすすめたりといった気遣いまでいつも通りだ。
それに引き換え、マリーヴェルは正装したアルロがすごく素敵で、直視できない。
濃い紅色のベストが色の白いアルロを引き立てている。ピンと伸びた白いシャツが、黒髪だとすごく映える。背筋が伸びてきれいなラインになっている立ち姿も、気を抜くと見とれてしまう。
胸元にマリーヴェルの贈ったブローチをつけているのを見たら、口元がへにゃりと緩んだ。
「マリー・・・」
エイダンが横で呆れたような顔をしている。
シンシアが、アルロが赤ならエイダンは白ね、とよくわからない理由を言ったから、エイダンは白に銀糸の刺繍が入ったベストを着ている。が、こちらは見慣れているから、マリーヴェルは一瞥もしなかった。
「アルロ、その衣装すごく素敵ね・・・」
「姫様こそ、何色を着ても似合われますが、今日の薄桃色は特にお似合いです」
「え?ふふ・・・もっと言って」
アルロは少し考えた。
「ふわりとした花のラインが姫様の可憐さを引き立てていますね。きっと今日の晩餐会で一番輝いているのは姫様です。眩しくて——」
「っま、待って、ストップ」
マリーヴェルは両手を挙げて、顔をそらした。
「どこでそんな・・・」
「マナー講師の先生が、女性の褒め方はこう言いなさいと教えてくださいました。思っている事を言うのが大事だと言われたので、本心です」
「ほっ・・・」
マリーヴェルは耳から首まで真っ赤になった。顔があげられない。
アルロは、それは優しい顔で微笑みながら、じっとマリーヴェルの目を見ながら褒めてくれるから。
昔からそうだけど、今日はもう破壊力がひどかった。
「——見てらんないよ」
エイダンが肩をすくめた。
そう言いながら、元々見てもいなくて、ずっと手元の本を読んでいる。
そんなことをしながらしばらく時間が過ぎた。
「ソフィアはまだなの?」
「最後の最後まで、ダリアが衣装合わせに駆け回ってたから」
エイダンは真っ青な顔であちこち衣装を探しまわっていたダリアの姿を思い出した。かつては自分の乳母で、今はソフィアの乳母となり、もうかなりのベテランなのに。いつもしっかりとまとめられている髪が乱れているのを見た時は、珍しいものを見た気になった。
ダリアは実直で、あまり取り乱したところを見たことはなかったのに。今回の事は相当ショックだっただろう。
エイダンもまだソフィアの姿は見ていなかったが、見てきたというライアスの微妙な顔は忘れられない。
「ソフィーの髪、僕より短いの?」
「短いわよ」
「ええー・・・せっかくきれいな金髪だったのに」
ゆらゆらと揺れるソフィアの金の髪を思い浮かべた時——。
「アルロ、大変!」
ノックもなくそう言って控室に入って来たのはソフィアだった。
出た。ソフィアの大変、だ。
エイダンはここで初めて見たソフィアに目を丸くした。想像以上に男の子のような格好だった。
髪の毛はすっかり短くなっているし、衣装も、自分たちと同じ、男の子の正装だ。明るい赤は王家の色だから避けたのだろうか。幼いので装飾品は少ないものの、色は濃いグレーで、こんな格好なのによく似合っている。
さすがダリアだなと思って、エイダンは笑った。
「ソフィー、格好良くしてもらったな」
「兄さま、いたの」
「いるよそりゃ。もう入場なんだから」
「でも大変なの」
そう言ってソフィアはきょろきょろと辺りを見渡した。
部屋には子ども四人だけだ。
「どんな大変も、ソフィーの今日のやらかしに比べたら大したことないだろうね」
エイダンがそんな軽口を言う。
ソフィアは取り合わず一直線でアルロの方へ行った。
「ひみつのはなし」
「・・・・・」
アルロはかすかに目を見張り、すっと真剣な顔になった。
ソフィアがこう言う時は、本当に秘密の話だ。今までも、王城ですれ違った今の人は悪いことをしているとか、あの人がいじめてるとか、こっそり聞いてきた事を教えてくれる事があった。
目配せすると、エイダンも察したのか辺りを伺ってから頷いた。ぱたん、と読んでいた本を閉じる。
人の気配は部屋の外にしかない。
「どうされましたか」
アルロとエイダンがソフィアを囲んで視線を合わせた。ソフィアは小さな声で言う。
「ヴェリントの王さまが毒を飲むの」
「は?」
あまりにもすらすらと言われたから、エイダンは聞き間違いかと思った。
「ヴェリントの、王さまが、このしょくじ会で毒を——」
「ちょっと待って。どこで誰に聞いたんだ」
今までの内緒話とは次元が違った。
マリーヴェルも驚いて腰を上げる。
「ろうかで見かけたの」
「今?」
そんな重大な話をヴェリントがみすみす王城でするとは思えない。
しかし、ソフィアが嘘をつくはずもない。
何かの勘違いだろうか。そう思ったら、ソフィアは続けた。
「毒を飲んで、それをティティおじ様のせいにすれば、ヴェリントは戦争を始められる」
「は?待って・・・まって、とんでもないことを言ってる」
「戦争にならなくても、たくさんお金をもらえる」
「賠償金ってこと・・・?」
「王さまは、自分で毒を飲むだけ」
「毒なんてどこに・・・」
「おくの歯に仕込んでるって」
「歯!?」
飲んで倒れれば、ヴェリント王のグラスからのみ毒が検出される。給仕は全てファンドラグの者だから、疑われるのはこちらだ。しかし、いくら調べても何の証拠も出てこないだろう。
それこそ鼠一匹通さないようなこの厳格な警備体制は、ライアスによるものだ。王国騎士団とペンシルニア騎士団の両方で王城を警備しているし、城に入る者は身元から所持品のペン一本まで調べる完璧な厳戒態勢だ。エイダンも午前中は勤務に当たっていた。
だが流石に国賓の口の中までは見ていない。
「なんでそんな・・・」
そこまでの危険を冒してまで事を構えるほど、ファンドラグとの関係は険悪ではないはずだ。
「もう鉄がないから。国境にある鉱山をもらおうって」
「ああ・・・少し離れますが、鉄鉱山、銀鉱山がありますね」
鉄の産出量が減っているかもしれないというのも、まだ確認は取れていない。そのせいで縁談が来たとは聞かされていたが。
ソフィアが鉄の事を知っているはずがないから、ますますこの話の信憑性が上がる。
「何でそんな事、ソフィアに聞こえるような・・・」
「わかるの。ほんとうが」
ソフィアの赤い眼が、きらりと光ったように見えた。
「これは、ほんとう。ヴェリントが仲良くしましょうって言うのは、うそ」
この確信を持った言い方に、エイダンはアルロと顔を見合わせた。
この違和感の正体を二人で探り合っているようだった。
「まさか、そういう・・・?——聞いたことある?」
「いいえ。エイダン様は」
「僕もない。風だったら、遠くの音を拾う察知能力があるけど」
二人で考え込んでいる。
マリーヴェルが分からない、という顔をした。
「どういう事?」
「ソフィーが嘘をつくはずないし、勘違いか、それとも・・・」
「わたし、わかったもん。はっきりと」
「あ」
考え込んでいたアルロが声を上げた。視線が集中する。
聞こえた、ではなくわかった、と言うソフィアの言葉から、ふと思い当たる。
「中代、ルイジリアン王の逸話に——」
「あ!」
エイダンも気が付いたようだった。
マリーヴェルとソフィアが取り残されたままだ。
「三騎士の諍いのやつ?」
「はい。ヨーク公はシュバイツの丘を、ギュンター伯はフィヨレの平原を、タカー卿には——」
『ハル・ルーの剣!』
二人の声が重なった。
「何よ・・・」
息がぴったり過ぎて、マリーヴェルがまた頬を膨らませた。
知っている言葉が全然ない。最近二人の会話についていけないことが多々ある。
アルロがいつものように説明した。歴史の授業でもう習った箇所ではある。
「ルイジリアン王の時代に、非常に有能な三騎士がいたんです。しかし、三騎士の仲が徐々に険悪になって、ついには領地戦が起きて。複雑な状況に、誰が見ても百年戦争に発展すると思われたその争いを、まだ若かった王が仲裁に入りたちまちに収めてしまわれたのです」
「——戦争を国王がやめさせたって話?」
ただやめさせたわけではない。エイダンが説明を引き継いだ。
「交渉の言葉の裏に隠されていた真実を暴き出し、絡まった糸を解くようにね。婚約者のあれこれな軋轢とか、領地を入れ替えるなんて荒業もしたりして、結局それぞれが満足のいくものを手に入れる形で収まったからこその早期終結だったんだ。——王はどうして三騎士の本当の望みが分かったのだろう、王家の影がものすごく優秀だったんじゃないかって説が有力なんだけど。影の歴史はそこまで古くないはずなんだ」
「ルイジリアン王は火の魔力使いです。何らかの能力を発現していたとしたら——」
「僕らの先祖だし、ありえなくはないよね」
炯眼、のようなものだろうか。真実を見抜く眼なのか、人の考えが分かるのか。
「ソフィア様、廊下で会ったと言われましたよね」
「うん。すぐそこで」
「エイダン様」
アルロが少し焦ったように言う。
「あっ。もうヴェリントは入場してたの?まずいな・・・」
ファンドラグの王家とペンシルニアの大人達が入場して賓客を待ち構える。ヴェリントが入場してから最後に子供たちが呼ばれる手はずだ。
すぐにここにも入場を促す城の者が呼びに来るだろう。
時間がなさすぎる。
「とにかくどうにか父上に——」
その時。ノックの音が響いた。




