24.ソフィアの覚悟
「お姉さんじゃ、王さまになれないでしょう?」
「ん・・・王様に。——え、王様になりたくて、髪を切ったの?」
「ううん」
ソフィアがきょとん、として首を振る。こっちがきょとんだ。
「ああ・・・どうしよう。全く分からないわ」
助けを求めて、シンシアは藁をも縋る思いでマリーヴェルを見た。
マリーヴェルも眉を寄せたままだ。
「ばかソフィア、ヴェリントの王家がそろってここに来てるのよ?今日はその歓迎の晩餐会でしょう。あんたそんな頭を晒すつもり?」
「ソフィーだって、ずっと迷ってたんだもん」
それでこんな、当日の朝になったのだ。
「だったら相談しなさいよ。そんな恰好で出て行ったらペンシルニアの恥だわ。いえ、ファンドラグの恥よ」
「アレクのよこにいたいの。アレクの代わりにごあいさつするの」
「貴方はペンシルニアの公女なんだから、アレクの横には——あ、それで・・・?それでなの、ソフィア」
席順や配置は、これまでの伝統に則って細かく決められている。
オルティメティとイエナ、その隣にアレックス。そこからヴェリントの国王夫妻と姫君が並び、ヴェリントに向かい合う形でペンシルニアのライアス、シンシアと子供達。アレックスともヴェリント国王とも、ペンシルニアの子供達は少し遠い。アレックスとソフィアの位置も、会話ができない程に離れている。
「アレックスの横に並びたくて、それでお兄さん・・・?」
ソフィアは頷いた。
「次の王様になる人が挨拶をするんでしょ?アレックスが嫌だって言うから、私がやってあげようと思って」
「ソフィア・・・いくら貴方でも、代わってあげることはできないわ。国内のパレードで前に出るのとは意味が違うの」
国内の催事であれば、アレックスの横に手をつないでソフィアが並ぶことはあった。アレックスが安心して大人しくなるからと、むしろ積極的にいつも一緒にいたくらいだ。
「他国に向けた席なのよ。アレックスは王族で、貴方は公爵令嬢なの。そこには大きな差があるのよ。それにね、アレックスはいずれ王位を継ぐから、やらなければいけない時というのがあるの」
「わたしにもあるわ。王位けいしょうけん」
「ソフィア」
シンシアは声を低くした。
「とんでもないことを口にしないでちょうだい」
ここは王城である。
厳選された者達を置いているとはいえ、ペンシルニアの屋敷とはやはり違う。オルティメティの耳に入ってもどうという事はないが、どこに誰の耳があるかわからないのだ。
ただでさえペンシルニアが力を持ちすぎていると言われているのに。
シンシアの本気を察して、ソフィアは黙った。こういう察しはいい子なのだ。それだけに、今回の散髪が余計信じられない。
ダリアがベテランなおかげもあるが、それでも、ソフィアには手がかかると思ったことがなかった。
エイダンもマリーヴェルも、幼いころはやんちゃで活発で、目を離すとすぐ怪我をしそうな子供だった。だからソフィアもそうかと思ったのに、全くそんなことはない。親や兄姉の事をよく見て、上手にやっていいことと悪いことを見極めているような子だった。叱った覚えもないくらいだ。
「はあ・・・」
シンシアは頭を抱えた。
この短髪のソフィアを、一体どうすればいいのやら。
「わたしだって、おもいきったの」
ソフィアがシンシアをじっと見つめた。
「これくらいしないと、今日だけは、どうしてもだめだったでしょ?」
「貴方・・・それを分かって・・・」
シンシアは返す言葉が見つからなかった。
ソフィアは驚くほど大人びた表情で、シンシアから目をそらさなかった。
「わたし、ゆずれない」
思いがけないほどの気迫を感じる。
まだたった六歳の子供なのに、一体どこまで分かっているのだろう。こんな顔は初めて見る。
確かにこれまでと違い、今回はソフィアがどれほど訴えたところで、アレックスの横に座ることはできなかっただろう。アレックスが挨拶をしなくても構わないからと、従来の流れで行ったはずだ。
「ソフィー・・・アレクが何も言えなくても、誰も責めたりしないのよ?すぐ横にイエナ様がいるんだし、ちゃんと気に掛けているのだから」
「アレクはいやでたまらないのに、どうして大丈夫だって言えるの?」
「ソフィア・・・」
「がっかりした顔をされたら、アレクはまた、すごく傷つくわ」
だから、譲れない、と言ったのか。
「アレクのきもち、通じないでしょ。こんなに言ってるのに。みんな、分からないことをアレックスのせいのような言い方をする」
ソフィアは怒るでも悲しむでもなく、淡々とした様子で言った。
アレックスは難しい子供といわれていた。けれど不思議とソフィアにはアレックスの言いたいことがわかるようだった。アレックスのせいのような——そう言われて、シンシアははっとした。
だからか。アレックスをいつも気にかけ、アレックスの気持ちを代弁するのはソフィアの役目だとでもいうかのようだったのは。
そんなソフィアにとって、アレックスの言葉を無視する大人たちはどんな風に映っていたのだろうか。
子供のソフィアには手札が極端に少ない。髪を切ってもだめなら、きっともうソフィアが何をしてもだめだと分かったのだろうか。
そこまで察するとシンシアはまた頭を押さえた。
「アレクはって・・・でもソフィー、貴方の事はどうなの」
今回髪を切ったことで、どんな噂が立ち、どれ程好奇の視線にさらされる事か。シンシアとしてはやっぱりそれが一番心配だ。
「ごめんなさい」
ここでソフィアは初めて謝った。
髪に未練はないようだが、直前まで悩んでいた、というのはシンシアがこうやって心配するのが分かっていたから。
それでも。
「もう、二度とアレクをあんな目に合わせたくないの」
「あんな、って・・・」
思い当たるのは一つ。
アレックスが乳母に押さえつけられ、言葉も出せずに泣き叫んでいたという、あの時の事だろう。
シンシアも気にかけていた。ソフィアはショックというよりは、もう二度と、アレックスが物も言えず泣き叫ぶようなことはさせないと言って、決意していたようだった。
思っていた以上に、ソフィアの中で深い傷跡を残していたのだろうか。
側にいてあげるためになら兄になってもいいと思える程に。
たとえ晩餐会に出席できなかったとしても、何もせずに後悔するよりは・・・と、切ることを選んだ。
だからといって分かったわ、とはなれない。それなのに。
覚悟を決めたような顔が、風格のようなものまで感じさせる。
自分の子供なのに、シンシアは不思議な感覚を覚えた。
短い金の髪と赤い眼で、ペンシルニアというよりは、ファンドラグ王家の子のように見えるからだろうか。
この色はファンドラグ国民にとって少し特別だ。あらゆる書物で魔王を倒した勇者、王家の象徴ともされる姿だ。それだけで畏敬の対象となる。
そういえば、エイダンが誘拐されたマリーヴェルを助けに思い切った行動に出たのも六歳だった。
逃避にも近い思考でそんなことを考えてしまう。
「奥様」
アルロが戻って来た。
「公爵様は、取り敢えず陛下にお伝えする、と」
「——そうね。準備もしないと・・・」
そう言ってシンシアは立ち上がった。
ここで考えても仕方ない。オルティメティに相談する方がいいだろう。
考えられないし、もう完全に予想外すぎて思考が焼き切れた気がする。
「アルロ。ありがとう。あなたも、準備しないと」
今回はアルロもペンシルニアの一員として並んでもらう。席順で言えばソフィアの次だ。
そう言ったら、マリーヴェルが興味をなくしたように立ち上がった。
「お祖父様のところにドレスを見せに行きたいから、私ももう行くわ」
前国王ユートスは晩餐会には不参加である。
「お供します」
アルロもそれに続いた。
重苦しい雰囲気のままの部屋を数歩歩いて、マリーヴェルがぽん、と手を打った。
「あ、私賛成」
突然思いついた、と言うように。
「ソフィアがアレックスの方に行ったら、アルロは私の横になるわ。いいじゃない!」
「貴方は黙ってて」
シンシアはげんなりして、話を終わりにした。
なんとか少しだけ気分を落ち着けてからオルティメティを訪ねると、ちょうどライアスが報告したところだった。
「いんじゃない?」
オルティメティがあっさりとそう言うから、シンシアは絶句した。
国王の執務室で、オルティメティはさほど驚いた様子もない。
「ティティ?いいって・・・何が!?」
「さすがにお兄ちゃんにはなれないけど、アレクの横に座っているのは構わないんじゃない?」
「お、おかしいんじゃない・・・?だって向こうは、あなた誰、ってなるわよ?」
「ソフィア・ペンシルニアですって言えばいいんじゃない?挨拶の紹介の順番は従来通りがいいだろうけど。でも別に、横にいる分には構わないよ」
「でも、突然そんなところにソフィアがいたら、違和感しかないでしょう・・・?」
「堂々としていればいいよ。仲良しの子供を隣に座らせた、っていうだけの事じゃない」
シンシアは呆気にとられたまま、すとんと肩の力が抜けて、そのまま椅子に脱力した。
「ティティ・・・貴方、すごいわね。私はもう取り乱しちゃって、どうしたらいいのかまるで考えられなかったのに」
「はは。そりゃ、姪っ子だからじゃないかな」
我が子の事よりは冷静でいられる。
「——大丈夫だよ、姉上。他国では髪の短い女性貴族もいるんだし。案外、流行の最先端ってなるかもしれないよ」
オルティメティは母親としての心配を察してそう言ってくれた。
「それに、子供のした事じゃないか。目くじら立てる事ないよ。多分、そうしてくれた方がアレックスは心強いだろうし。ソフィーのおかげで、挨拶だってできるかもしれない」
そう言ってシンシアの気持ちを更に軽くしてくれようとしているのかとも思ったが、半分は本音だろう。
癇癪は減ったものの、なくなったわけではない。もじもじと怖がって逃げ回る様な事も覚悟している。
ソフィアがいればきっと、座ってはいられる。
「髪を切らせたのは、僕達が不甲斐なかったね。もっとあの子達の言葉に耳を傾けないといけない」
「ティティ・・・」
「さ、それはそれ。急いで服を探そう。六歳・・・でもソフィアは大きめだから、七歳くらいの正装で、短髪でもおかしくないドレスを」
用意していたのは子供らしいリボンやフリルの多いデザインだったから、できるだけシンプルなものにすれば——。
シンシアはそこまで言われて、気持ちを奮い起こした。
「わかった。私も覚悟を決めたわ。ソフィアには、ズボンをはかせましょう」
「ズボン・・・いいの?」
「乗馬服だってズボンじゃない」
無理やりなこじつけだが、あの髪型にドレスはない。一からデザインするのならまだしも、あるもので似合うドレスは、ないだろう。
「着た事がないわけじゃないもの。もう、ここまで来たら腹をくくるわ」
男の子の正装でもなんでも、似合うものを着せて何食わぬ顔でいればいい。
ペンシルニアに二心ありと言われようと、見世物のように嘲笑され指さされようと。後の事は、それぞれ起きてから対処する。
それだけの力が、今のペンシルニアにはきっとある。
「貴方のその思い切りのいいところは、素晴らしく魅力的です」
それまで黙って聞いていたライアスがシンシアの肩を抱いた。
大丈夫です、といつもの優しい眼で言ってくれている。
「ありがとう」
「よし、そうと決まれば準備をすすめよう」
晩餐会まであと数時間。
準備が慌ただしく始まった。




