7.かくれんぼ
「はあ・・・?」
「お前、誰に向かってものを言ってるんだ」
アルロが反論するとは思いもよらなかったらしい。かなり驚いた様子だ。しかしすぐに怒りを滲ませ始める。
「ペンシルニアは躾もまともにしないらしいな」
二人がかりで進み出て、わざと上からアルロを見下ろしてくる。そんな風に威圧されても、日ごろからガタイのいい男達と過ごしているアルロが怯むわけもないのだが。
それが更に気に入らないようだ。
「謝ってみるか?今なら許してもらえるかもしれないぞ」
アルロは静かに視線を受け止めた。
「ペンシルニアでは、侮辱を許すなと教えられています」
「はっ・・・それは同じ貴族同士の話だろう?」
「ペンシルニアに所属しているだけで、俺らと同じ場所に立ってるつもりか?」
「私はただ、先程の発言を撤回してほしいと言っているだけです」
男が不快に顔を歪める。
「お前・・・痛い目見ないと分からないのか」
小突こうと突き出された拳をアルロは軽くかわした。
「ここは王城の、陛下の膝先です」
そのままソフィアの手を引いてもう一歩下がる。
どんな理由があろうと城で争うわけにはいかない。常識的に考えてそう乱暴なことはしないだろうが、頭に血がのぼってしまえば何があるかわからない。
ソフィアがいるから余計に、少しの危険も避けなくてはいけない。繋いだ小さい手の主人が最優先だから。
どうやらこの二人は話が通じない。ここはさっさと立ち去るのがいいだろう。
どうやって立ち去るか、と思いソフィアの小さな頭を見下ろした。ソフィアは視線を感じたかのようにアルロを見上げる。
「アルロ、もういこ?」
「ソフィア様」
ソフィアが手を引いて歩きだした。
わかっているのかいないのか、ソフィアがそう言えばこの場を離れるのに誰も文句は言えない。
「ソフィア様、我々は——」
ソフィアに向けて急に甘い声を出したラントン家の若者に、ソフィアはきっぱりと言い放った。
「みちをあけて?」
本来、目上のソフィアが許していないのに話しかけるのも、名乗るのもマナー違反だ。
ソフィアがそこまで分かっているかは分からないが、名乗らせもせず明確に拒絶したのはなんとも貴族らしい断り方だった。
男らは忌々しげに吐き捨てつつ、道を開けた。
「ペンシルニアの、アルロだな。覚えといてやるよ」
すれ違いざまわかりやすく引っ掛けようと出してきた足を軽く跨いで、アルロは会釈して通り過ぎた。
「ごめんね、アルロ。ソフィーが走ったから。あの人たち、おこっちゃったね」
「いえ、ソフィア様のせいではありません。あの人達がただ、無礼だったんです」
ソフィアが動じるでもなく、怖がっている様子もなくてアルロはほっとした。
結構声を荒げられたのに、ソフィアは飄々としていた。思えばソフィアが何かを怖がる所を見たことがないかもしれない。さすがはあのライアスとシンシアの子供なんだなと思った。
「僕の言い方が悪かったです。もっとうまく対応できるようにならないと、侍従として失格です」
「アルロすごかったよ!」
ソフィアが本当に嬉しそうにアルロに笑った。
「かっこよかった!おにいさまみたいだった!」
「そ、それは・・・恐れ多すぎます」
そんな話をしていると、富貴の間のドアの前に到着した。
今日は特に使われていないようだった。人通りもなく、アルロがドアを開けると、しんと静まったただっぴろい部屋が見える。
「アレクー!」
ソフィアが呼びながら部屋に入った。
ほとんど迷わず、すこしきょろきょろと見まわしてから、ソフィアはピアノの裏に回り、小さな扉を開けた。
「みーつけた!」
そこにはアレックスが膝を抱えて座っていて、突然開けらて現れたソフィアに目を丸めていた。
「ソフィー!」
「あそぼうとおもったのに、いないんだもん。何してたの?」
アレックスは再びぎゅっと膝を抱えた。
「だれもこない」
「みんなさがしてたよ?」
「さがしても、こない・・・ぼくのこと、みつけるの、ソフィーだけ」
ソフィアは首を傾げた。
「ソフィーじゃだめなの?」
「だめじゃ・・・ないけど」
それだけ言ってアレックスは黙ってしまった。そのまま頭も埋めて、もう表情も見えない。
とりあえず出てくるつもりはなさそうだ。ソフィアは目の前にぺたりと座り込んだ。アルロはそっとドアを閉めて、少し離れたところから見守った。
ソフィアはそのまま何も聞かず話さず、ただアレックスを見つめていた。
「もうやだ」
長い沈黙の後、アレックスがポツリと呟いた。表情はわからないけれど、さっきから体を揺らしている。
「アレク?泣いてるの?」
アレックスは顔を埋めたまま、首を振った。
「何かいやなこと、あったの?」
「ぜんぶ」
ぎゅ、と膝を抱える手に力がこもる。
「ぼくもう、ずっとここにいる」
「おやつ食べないの?」
「たべない」
「ご飯も?」
「たべない」
「おふろも?ねるときは?」
ソフィアは驚いたように訪ねた。アレックスが顔を上げてソフィアの方へ顔を向ける。目元は赤くなっていた。
「いっしょだもん!」
「いっしょ・・・?」
「ここにいたって、おへやにいたって、いっしょ!」
ソフィアは声を荒げられても不思議そうにゆっくりとまた首を傾げた。
「んー、さみしいから?」
すぐにそう思ったのは、これまでアレックスが寂しそうにしていたのを見ていたからだった。
両親が忙しいのはソフィアと一緒。母親より乳母に抱きしめられることの方が長いのも。でも、アレックスには兄姉がいないから。周りは大人ばかりでつまらないんだろうなと、幼心に感じていた。
「いまも、ごはん、ひとりで食べてるの?」
アレックスが頷く。
ソフィアは、それは可哀想だなと思った。
王城は広い。ペンシルニアの屋敷も広いから、食事の時を逃すとライアスやシンシアの顔を見ない日もある。それでも食事の時と、寝る時だけは絶対に会える。会いたくなれば執務室に行けばシンシアには会える。
アレックスは今、それができない。会いたいときに両親に会えないけれど、それは仕方ないんだと言われている。
「でも、ねるまえに、お母さまにぎゅーって、してもらってるんでしょ?」
「すぐだよ。それに、きのうはなかった!」
「じゃあ、お父さまにしてもらったら?」
「いやだ!」
アレックスの目に涙が滲んでいる。
寂しいのに一人になってたら、余計寂しいんじゃないかと思ったが、こうして隠れて泣いているアレックスの気持ちも良くわかる。
ソフィアはエイダンにいつもしてもらってるようにアレックスの頭を撫でた。
「アレクは王さまになるんでしょ?王さまはね、さみしいんだって。だから、れんしゅうしないとだめなんだよ」
「ソフィア様、そんな事どこで・・・」
アルロが驚いて聞いた。
「えっとね、おじいさま」
「ぼく、おうさまになんて、ならない!」
「え、ならないの?マクシになってもらうの?」
「しらない!」
色んな大人が、色んな話をしていく。そのほとんどが、アレックスには理解が難しい内容だった。
分からないならとにかく大人しく、じっとしていろと言われる。アレックスにはそれが難しい。叫んで暴れ出したくなる。だったらもう、ここに一人こもっているのが一番いい、そう思った。
今までは大切なたった一人の王子だったけど、もう一人王子が生まれて、嬉しい、素晴らしい、めでたいって。
——ぼくだけじゃだめだったの?
アレックスは怒りなのか寂しさなのか、もやもやと胸につかえた気持ちが吐き出せなくてずっと抱え込んでいた。
国王であるオルティメティはいつも大変そうだ。忙しそうにしてよく頭を抱えている。少しも楽しそうには見えない。その上寂しいものだなんて。
だからいつも、困ったような顔をされるんだろうか。
王様なんて、いい事なんて一つもない。
「アレクが王さまになったら、ソフィーが毎日あそびにきてあげようとおもってたのに」
ソフィアの呟きに、アレックスはピクリと反応した。
「・・・毎日?」
「うん。アレク、さびしがりやさんだから、王さまになったら毎日きてあげるよ。ときどきおとまりもしてあげる!」
「おとまり・・・!?」
「そしたらねえ、おやつたくさん食べてね、おしろをたんけんしてね・・・あ、おへやは、いっしょね?」
アレックスの目が輝き始める。
「——でも、アレク王さまにならないんだったら、ソフィーなにしようかなー」
「な・・・なってもいいよ」
アレックスが膝を抱えていた手を解いた。
「え?なんて?」
「なっても・・・いいよ!ソフィーが、まいにちくるなら!」
「じゃあ——いこ?」
ソフィアが手を差し出した。アレックスはちらりとアルロを見上げてから、ソフィアの手を握る。
「でも、ぼく・・・あし、いたい」
「どこかお怪我をされたんですか?」
アルロが驚いて近づいた。アレックスが首を振る。
「びりびりする」
「——あ、痺れたんですね」
ほっとした顔になって、アルロはアレックスに両手を差し出した。
「よろしければ、抱っこ、させていただいてもよろしいでしょうか」
「ぼく、もうよんさいだもん」
「ソフィーもまだアルロに抱っこしてもらうよ?」
「え・・・そうなの?」
「だってらくだもーん」
そうなんだ、と小さな声で言ってアレックスが腕を上げたから、アルロはそっとその身体を抱き上げる。
普段ソフィアを抱き上げることがあるから、それを思うと頼りなく思う程小さな体だった。
痺れているというから慎重に体を支えて立ち上がる。
アレックスはアルロの首にしがみつくようにして顔を隠してきた。すこしくすぐったいが、甘えているのだろうかと思い背中を撫でる。
「ぼく、わるいこ」
「そんなことないですよ」
「おこられる」
確かに、血相を変えて探し回っていたメイドや乳母の顔を思い浮かべると、叱られるかもしれない。
アルロはアレックスを宥めるように頭を撫でた。頭を撫でられるというのは実は両親以外ほとんどされたことがなくて、アレックスはその心地よさに目を閉じた。
「かくれんぼをしていたことにしましょう」
「いいの?うそついたら、はながのびちゃうよ?」
寂しさに膝を抱えていたアレックスが、本気でそれを信じているのにアルロは笑いがこぼれた。同時に、それを信じて守ろうとしている姿に、こういっては不敬かもしれないが、どこか可哀想に思った。
全然一緒ではないのだけれど。親の愛情がないと思う感覚は、足元に地面がないのと同じくらいひどく不安で恐ろしい感覚だから。
寂しい、の一言ではきっと表せない感情がこのたった四つのアレックスにもあるのだと思った。
「嘘はいけませんが、鼻は伸びません。あと、かくれんぼだったと言うのは僕なので」
嘘をつくのはアルロだけだ、と言う。
それを聞いただけでアレックスは安心したようだった。アルロの肩に頭を預けて、身体の力を抜いた。
「ぼく、アルロ、すき」
アルロは柔らかく笑った。
「ありがとうございます。僕も王子殿下が大好きです」
遠くに鐘が三回鳴ったのが聞こえた。




