6.
秋はあっという間に通り過ぎ、季節は冬になろうとしていた。
この日、王城はちょっとした騒ぎになっていた。
シンシアらが王城に遊びに来た日だ。イエナとマクシミリアンに会いに行っている間に、アレックスが忽然と姿を隠したらしい。
応接室へ戻ろうとしたら、乳母も、王城のメイドらも血相を変えて探し回っていた。
「そっちは?」
「いません」
「外に行くはずはないわ。もっとちゃんと探して!」
皆が忙しそうに走り回っている。
「——ねえ、大変そうだし、もう帰る・・・?」
マリーヴェルがそう言うから、シンシアも困った顔をした。
「そうねえ・・・」
今日はこのあと、子供達をアレックスと遊ばせている間にシンシアはユートスと会い、できれば隠れた所から王国騎士団をちょっと覗いてエイダンを見ようと思っていた。そしてついでにライアスの執務室に立ち寄って差し入れをしてから帰るという予定だ。
「わたし、さがしてくるよ」
くるりとソフィアが方向を変えた。そっちはアレックスの部屋がある方向だ。
「心当たりあるの?」
「このまえ、かくれんぼしたとこ」
確かにソフィアとアレックスは仲がいいから、色々と思い当たる場所があるのかもしれない。
「わかったわ、じゃあ・・・おやつの時間はわかる?」
「うん、かね三つ」
「そう。それが聞こえたら、見つからなくても、一度この部屋に帰って来てちょうだい」
いつも使う応接室は、応接室とは言うが、ほとんどシンシアらが来た時のための部屋だ。動線としてもアレックスの部屋と近いしわかりやすい。
「うん」
「入っちゃだめなところ、遊んでいい場所は、いつもと同じよ。——わかってる?」
「うん!」
元気に返事をしてソフィアが駆け出した。
シンシアは少し心配そうにその後ろ姿を見送る。今日はダリアを連れてきていない。いつも来る場所とはいえ、一人で大丈夫だろうか。
「——僕が行きます」
そっと声をかけられてシンシアはそちらを見た。
アルロだった。登城するので侍従の正装で、ベストも来ている。その胸にはペンシルニアの紋章も入ったラペルピンが光っている。これがあれば、大丈夫だろう。
王城の中でも、ここは特に私的な空間の内城だから、ペンシルニアの騎士もこの区画の外にいる。わざわざ呼ぶのもな、と思っていた。
「いいかしら」
「はい。お任せください」
アルロはそう言って足音もなく、さっとソフィアの後を追いかけてくれた。
頼りになる。
シンシアは感慨深い思いでその後ろ姿を見送った。
アルロを伴って王城にも来るようになって、これでもう五回目になる。場所も一度で覚えたらしいし、侍従としてもかなり優秀だ。
ワイバーンの一件以降、アルロの急成長には目を見張るものがあった。剣術も勉強もだが、何より人としてというか。以前の自信のない怯えた様子が徐々になくなり、物腰は柔らかくとも、芯のある強さを感じる。
そのせいかこうして王城の豪華絢爛な回廊を通っても、全く違和感がない貴公子然としている。
背筋は伸びて姿勢もいいし、まだ細いけれど筋肉がついてきたのがわかる。鍛えられた身体があるから立ち居振る舞いも立派に見える。
慣れた内城なら、皆手助けしてくれるだろう。
「せっかくアルロとお出かけだったのに」
マリーヴェルが残念そうに言った。
「ついて行けばよかったじゃない」
「いやよ。ドレスが汚れる場所にばっかり行くんだもの」
マリーヴェルはキッパリと言った。ソフィアとアレックスの遊びにはほとんど加わったことがない。
子供には付き合えない、とでも言いたげだった。
応接室のドアを、控える騎士が開けてくれる。それにお礼を言って2人で中に入った。
「ソフィア様、第一王子殿下のお部屋はこちらですが」
ソフィアが角を曲がらずに突き進もうとするので、アルロが呼び止めた。手を繋ごうかと聞いたら先ほど断られた。そのため少し後方からついて行っている。
「こっちから!」
どうやら心当たりはもう少し先のようだ。
アルロはソフィアに続いて歩いた。
「どちらですか?」
「ほら、まえのまえあそんだ。大きなとけいのあるとこ」
「前の前・・・柱時計のことでしょうか。富貴の間の」
「ダンスするとこ。ピアノもある」
「そちらは・・・この廊下を出なくてはなりません」
「だめ?」
「だめ・・・では、ありませんが」
同じく内城ではある。ただ、王族の極々私的な空間であるこのエリアとは違って、外部の人間も通ることができる廊下の先だ。
「手を繋いでいただけますか?」
「うん」
アルロの差し出した手をソフィアが握る。そのまま大きくて豪華な扉の前に立った。
「ソフィア様」
扉の前の騎士がソフィアに騎士の礼をとる。
「どちらまで」
ソフィアが答えられないのはわかっているから、騎士等はアルロに尋ねた。
「富貴の間まで行きたいのですが」
「富貴の間・・・それは一体」
「アレクをさがしてるの」
騎士が顔を見合わせた。
「殿下はここをお通りではありませんでしたよ」
三歳児が一人で開けられる扉でもない。
「いいの。見てくるの」
騎士がアルロをチラリと見る。アルロは頭を下げた。
「一度見に行って、また一緒に戻ってきます」
「侍従殿にお任せして大丈夫か・・・一人つけましょうか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
近衛の騎士らは既にアルロの顔を知っている。アルロがそう言ったら二人は扉を開けてくれた。
扉の向こうは違う空間になるから、絨毯の色もガラリと変わる。これまでは落ち着いたブラウンだったのが真っ赤な絨毯が伸びている。
それでもまだ内城の中だし、ソフィアにとっては勝手知ったる我が家のようなものだ。アルロの手を引いてぐんぐんと先に進んだ。
富貴の部屋にあと少しというところで、見覚えがあったのだろう、ソフィアが突然手を離して走り出した。
「あっ、ソフィア様——」
アルロは慌てた。
ちょうど廊下を曲がる向こう側から人の気配がしたからだ。
「危な——」
このままではぶつかるかもしれない、そう思いアルロは駆け出した。
すぐにソフィアに追い付いて、ぶつかる寸前でソフィアを抱き上げた。
すんでのところでぶつからなかったしソフィアも無傷——だったが、相手は尻餅をついた。
「うわあっ」
「なっ・・・なんだ!」
アルロより少し年上の、まだ若い二人の青年だった。後ろに一人だけ大人の侍従を連れている。
その侍従が転んだ方の男を慌てて引き起こすが、見た目より派手に尻をぶつけたらしい。
かなり大声で痛い、と騒いでいる。
「あー・・・ソフィーのせいで、ごめんね」
アルロの腕の中からであるが、ソフィアがその剣幕に、申し訳なさそうに謝った。
「ってえ・・・。なんだ、子供・・・?」
こうやって自由に内城を歩いているという事は、相手も相当な家門なのだろう。見れば魔術師のローブを身に付けていた。騎士ばかりのペンシルニアではあまり馴染みのない、魔術師団の人間のようだった。
アルロは貴族の顔をあまり知らない。ジーク家でレグナートについて学園に通っていたのも二年だけだし交友関係もほとんどなかったので、同学年以外は知らない顔ばかりだ。
だから身なりや態度で判断するしかないのだが——服装も装飾もかなり高価なようだ。
「お前、どこの家門だ?」
この場合、答えるべきソフィアがまだ幼いから、アルロが答えることになる。
「ぼ・・・私は、ペンシルニアの侍従です。お怪我はありませんか」
ペンシルニアという言葉に二人はぎょっとした。——が、すぐにアルロがただの侍従だと思い直したらしい。ソフィアの事は眼中に入れずアルロの方を見る。
「俺達はラントン侯爵家の者だ」
魔術三家のうちの一家だ。そこの子息だろう。
怪我はないか尋ねたのに対して名乗られたので、アルロはなんと言ったらいいのかわからず、次の言葉を待った。
「・・・・・・・」
変な沈黙が流れる。何も言わないということは大丈夫なのだろうかと思い、アルロはその場を立ち去ろうと頭を下げて一歩踏み出した。
「——おい、待て!」
「挨拶もなしか?お前、礼儀がなってないな」
「失礼いたしました。ラントン侯爵家の方々に、ご挨拶申し上げます」
「お前・・・平民か?」
アルロの黒い目を見てそう思ったのだろう。魔力持ちの色ではないから。
それにアルロが返事をするよりも蔑みの視線の方が速かった。
ペンシルニアでは温かく守られていた日々だったが、ペンシルニアの後見という肩書を持って外へ出れば、アルロはまた違った人と接するようになった。
特に魔力至上主義の多い高位の貴族達からは、こういう態度も珍しくなかった。
黒髪黒目で忌み嫌われていた頃を思えば、さして気になるレベルでもない。
アルロは決められた礼をして挨拶をした。が、その前に二人が立ちふさがる。
「違うんだよなあ」
口調に不穏なものを感じ取って、アルロは数歩下がった。少し迷って、ソフィアを床に下ろし背後に庇う。できるだけソフィアを離しておきたかった。
「何でしょうか」
「これ見えないのか?」
男が指した胸元には、褒章が飾られていた。
「この前の襲撃で、うちがどれほどの活躍をしたのか知らないのか?」
なるほど、魔術師団として活躍をして、その授賞式の帰りなのだろう。それこそ浴びるほどの賛辞を受けてきたのか、やや興奮しているようだ。
「魔力のない平民からすれば、それがどれほど素晴らしいことか、わかるだろ?な?」
「その貴重な俺の体に怪我させといて、その態度は何だ?」
そういえばペンシルニアのメイドが、つまらないことで絡まれたと最近愚痴を言っていた。
元々、先の戦争以来、同じく戦功をあげているのにペンシルニアばかり優遇されていると、魔術家門は不満に思っていた。前衛と後衛の被害の差を考えれば公平な報償と思われていたが、その後の魔力至上主義も手伝って、魔術こそが国を支えると主張するものが増えて行った。
今回結界の展開やワイバーンへの捕縛魔法などで魔術師の地位はさらに高まり、受勲もされたことで天狗になっている者が多いとか。
なるほどこれがそうなのかと、アルロはどこか人ごとに男たちを見つめた。
国のために働いているのは素晴らしいと思うし、自分が原因だっただけに、本当にありがとうございますという気持ちは大きい。だが、それを言うわけにはいかないし。
ペンシルニアに連なる人達が素晴らしいのを知っているから、それを目標にしたいと思っているアルロにとって、自分を蔑視する人も、考えの違う人も、気に掛かる存在ではなかった。
そもそもアルロは会話があまり得意ではない。
「おい、何とか言えよ」
「申し訳ありませんでした」
アルロは謝ったが、たかが尻餅である。これがマリーヴェルやソフィアならもちろん心配しただろうが、相手は健康な男性だ。
一応謝罪はするが、それ以上は必要ないと思った。
それが伝わったのか、男は不満そうな顔になった。
「わからないやつだな」
ペンシルニアの者に頭を下げさせたいのだろう。嫌な笑いを浮かべながらソフィアの方もチラチラと見てくる。
取り合う必要はないと思い、アルロは行きましょう、とソフィアに手を差し出す。
「なんだ、こいつ」
「教養のない平民だ、仕方ないさ」
「平民に内城を歩かせるから勘違いするんだ」
「ま、侍従にこんな平民を雇っているなら、ペンシルニアも程度が知れる」
「土臭い剣術にばかり頼るからダメなんだよ。これからは魔術の時代だ」
ソフィアの赤い瞳がアルロを見つめていた。その目が男たちの言葉を理解しているのを察して、アルロは男たちに再び向き直った。そうでなくとも聞き捨てならない。
「撤回して下さい」
「は?」
「私はペンシルニアに仕えている身です。主家への侮辱を聞き逃すことはできません」
「お前、誰に向かって口を聞いてるかわかってんのか」
「ラントン侯爵家の御子息方。ペンシルニア公爵家への発言を撤回してください」
アルロは自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきた。
 




