11. エイダン2歳
自分で自分を褒めてやりたい。
ライアスがおかしくなって半年。
私はよく耐えたと思う。
目を合わせれば愛を語られるのが、もう本当に慣れない。返答を求められないだけましなのか。
そして、エイダンは2歳になる。
最近はますますおしゃべりになって。
「エイダン、はい、ご飯ですよ」
「んで!ぶんで!」
——近頃のエイダンの口癖。自分で、とのことで。
何でも自分でやりたがって、とっても厄介なお年頃。
しかも、最近ごまかされなくなってきた。
前世でいうところの、いやいや期ってやつですね。
お昼ご飯も口に入るよりこぼれるものの方が多いんだけど。
「や!っめ!」
——触らせてくれないんだもんなあ。口、拭きたいなあ。
前世でもイヤイヤ期は大変だった。
長女の時なんて、夫は機嫌のいい時だけ相手してイクメンぶってたし。
私は次女を妊娠していたから「俺が公園に連れて行って来るから、任せて。ゆっくりしといて」って言うけど、公園に行く荷物もお茶も用意するの全部私だからね。
そして。
「——ねえ、何してるの?」
買い物から帰って来た私。留守番していた長女と夫。
長女はテレビの動画に夢中、その背後でスマホを触っている夫。
「おかえりー。ご機嫌だったよ、愛ちゃん」
ええ、そりゃあそうでしょう。動画見せてりゃご機嫌よ。
超イージー子守り。
わたしがその動画を使うのは1日1時間と自らを戒めているというのに・・・この夫は・・・。
「ゆう君。2歳の子に動画を見せるリスクと今後予測される影響についてどう思う?」
「え?」
「私の切り札をいとも簡単に!あなたって人は」
言い捨てて寝室に立て篭もった。
そしたら夫からメールが。
「ご」
————???
しばらくして気づいた。「ごめんなさい」だ。
謝罪まで予測変換で簡略化されてた。さらに怒った。
ってことがあった。妊娠中だったからね。
些細なことでイライラしちゃってたんだな。
今思えばそこまで怒らなくても良かった。
この世界には動画なんて便利なものはないけど、幸いペンシルニア家には潤沢な人手がある。
但し、エイダンも誰でもいいと言うわけではないので、そこに難しさはあるけれど。
「王女殿下」
ダイニングに入ってきて呼ぶ声に、私は、げ、と反射的に身構えた。
このペンシルニアの屋敷で私をそう呼ぶのは、もうあいつしかいない。
ため息が出そうになるのをこらえながら、ゆっくりと振り返った。
緑の髪に緑の目。その目は私を睨むように向けられている。
ルーバン。名前しか知らない。ライアスの副官だ。
まだ年は若い。20代だ。3年前、その任に就いたと聞いている。
ライアスへの忠誠心は並々ならぬものだ、というのは感じている。——それに引き換え、私へのあたりが強い。
何かされたってわけではないのだけど、とにかくこいつは私を「王女殿下」と呼んで、屋敷の皆のように「奥様」とは言わない。ライアスの背後でいつも睨むように見て来るし、ライアスのいない所で、鼻で笑われたりする。
明らかな反抗心——いや、敵意?
不敬だと思うけど、まあ、それにいちいち目くじら立てるのもな、と思って放置している。
態度が悪いだけで処罰するっていうのも、この世界じゃ当たり前なんだけど・・・前世の経験からして、ちょっと抵抗があるし。
「何か」
そもそも呼び止めるのも若干礼儀がなってないんだけど。用事があるなら執事や侍女を通して言うべきだ。あくまでこの人は夫の副官。屋敷の中では部外者だ。でも、最近ライアスが屋敷で過ごす時間が長いから、屋敷の執務室にこの人も出入りしている。——よく顔を合わせちゃうのよね。
呼び止められても、内容が重要なら、咎めるほどのことでもないし。
「公爵閣下から、本日の晩餐には出られないとのお言葉です」
「あら、そう」
よりによって、今日来ないですって?
しかも伝言に部下を使うなんて。
——いや、いいんだけどね。仕事なら仕方ないってわかってる。
今日はエイダン2歳の誕生日だからパーティーをしようと思っていたけど。
そのお断りが、この男ってのが・・・。
あの人は外では切れ者だとか評判はいいって聞くのに、どうしてこうも察しが悪いんだろう。
ルーバンが嫌な態度を取っていることに気づかないんだもんな。
「なにか、閣下にお伝えすることがありましたら、お伺いいたします」
視線ぐらい合わせなさいよ。
ルーバンはわざと向こうを見て聞いてくる。
「結構よ。直接会った時に言うわ」
今日お祝いをしようというのは話していた。ライアスの方からこの埋め合わせは言って来るだろう。
早く下がってくれ、と思っていたら、ルーバンは眉間にしわを寄せたまま、じっとエイダンを見ていた。
何かしら。尊敬する上司にそっくりなエイダンを鑑賞したいのかしら。
と思ったら、違った。
「奥様は・・・なぜ、ご子息を乳母に任せないのですか」
「なぜって・・・」
「そのようにしては、ご子息の口に食事は入っていないのではありませんか」
まあ、入ってる量は少ないけど全体的に多めに用意しているから栄養は足りているはずだ。
机の散らかり具合がすさまじいから、食べてないように見えたのだろうか。
「エイダンはちゃんと食べています。乳母に手伝ってもらうこともありますが・・・」
「ご子息は乳母にお任せした方が良いと思います」
なんだとぅ。
「エイダン様は貴方様のお子様である前に、このペンシルニア家の後継たるお方。そのようなぞんざいな扱いをしていては——」
「黙りなさい」
ぞんざいだと?これ以上ないほど大切にしてるつもりですけど!
「立場を弁えられないようね。——オレンシア卿」
「はっ」
「摘み出して」
言い争いになったらエイダンに悪影響だ。さっさとご退出願おう。
そもそも、ここは家族の団欒の、ごくごく私的な空間。話があるなら公の場でしてもらわないと。
「奥様!——このことは、閣下にもご報告させていただきます!」
返事する気にもならないわ。
私は黙殺した。
次の日の朝、朝食の場に行くとライアスがいた。
疲れた顔をしてる。眠そうな顔で新聞を読んでいた。
「おはようございます」
いつもならドアを開けたらすぐ駆け寄って来るのに、話しかけられるまで気づかなかったようだ。
私の挨拶にライアスは驚いて新聞を置いて、立ち上がった。
「っあ、来られたのに気付かずすみません」
「そのままで」
私は椅子を引きに来たライアスを止めたが、ライアスはいつものように椅子を引いてくれた。
「ありがとう」
「いいえ。おはようございます」
「——もしかして、寝ていないのですか」
座りながら見上げると、ライアスは力なく笑った。
「少し、厄介な案件があったので。——昨日はせっかくの機会でしたのに残念でした」
本当に忙しかったようだ。
「エイダンの誕生日だったというのに・・・」
「揃ってお祝いした方がいいですもの。改めて、落ち着いたらお祝いをしましょう」
「シンシア・・・」
そっと、髪を後ろに撫でながら流された。
さらっと触れてくる。
「いつまで忙しいのですか」
「今日には、決着がつくかと」
「では、ゆっくり休んで、明後日くらいにできるでしょうか」
「今日で構いません」
ライアスが対面に座って目線が会う。
せっかくの整った顔に、くまができている。
「今日は必ず帰ってきます」
「だめですよ、寝ないと」
「遠・・・その、仕事で徹夜をすることはよくある事ですから」
「遠征ですか?」
戦争に行っていたくらいなんだし、そうかもしれないけど。
ライアスはコホン、と咳払いした。
「気を害されましたか。そのようなことを言うつもりでは」
「・・・・・・?」
なんだろう、と思う私に、ライアスが気遣うような目を向けた。
あ、戦争の話題を避けようとしていたのか。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。貴方のお仕事でしょう?私だって、軍人の妻なのですから」
「は・・・・・」
どの部分にだろう。ライアスは顔を赤らめた。
「そう言えば、昨日ルーバンが伝言を伝えに来ましたが」
「はい。時間がなく、彼を送りました」
「何か言っていましたか?」
報告しますからね!って息巻いていたけど。
「何か?・・・エイダンがいつものように元気にご飯を食べていた様子を話していましたね」
にっこりと笑いお茶を飲むライアス。
そうだね、普段の光景だから、ああいつものことかってやり過ごした感じかな。
噂をすれば、エイダンが起きたらしく、乳母に抱かれてやってきた。
暴れて降りて、すぐに駆け寄ってくる。
「まま!」
「はい、エイダン、ママですよ。おはようー!」
抱き上げて、すりすり。ああ、柔らかい。
「ほら、パパにも」
といって放流しようとしても、エイダンは反応しない。——聞こえてますよね、えーたん?
一緒に遊ぶこともあるんだけど、エイダンは基本的にライアスに対して塩対応だ。
こんなものなのかな、父親に対してって。
挨拶だけは何とか言わせて、エイダンを椅子に座らせると、朝食が運ばれてきた。
「シンシア。時間がありません、もう行かねば」
「あら、召し上がらないのですか」
紅茶しか飲んでいない。
「貴方の顔を見られましたので。——エイダンと」
付け足すんじゃないよ。聞いてるからねちゃんと。
ドアの方へ行くのを追いかけた。
「シンシア。見送ってくださるんですか」
そんなに嬉しそうにされても。エイダンが怒るからこの部屋までですよ。
「ご無理のないように——あ、そうだわ」
私はそっと手を伸ばして、ライアスの胸に手を当てた。
軽く魔力を流す。疲労回復程度にはなるはずだ。
「————っ、シンシア」
「どうですか?」
効果あっただろうか。そう思い見上げると、ライアスは何かをこらえるような顔をしている。
しばらく見つめ合ってしまう。なんだろう。
「はあ・・・」
重いため息。
「仕事に行きたくなくなりました」
私は苦笑して手を離した。
「そうおっしゃらずに。お帰りをお待ちしていますので」
ライアスは胸を押さえて、ぎゅっと目を閉じた。
「はい。——行ってまいります。愛してます」
「あ、ああ、ありがとうございます・・・?」
何度も振り返りながら出て行ったので、私は熱くなった顔を手で仰ぎながら、不機嫌になっているエイダンのもとへ戻った。
「ぶんっも!も!」
これは、自分にも光魔法を掛けろと言っている。
「はーい、ちちんぷいぷい。えい!」
誤魔化しながら朝ご飯を開始した。