16.
あちこちで火の手が上がり、断末魔の叫びのような獣の咆哮が聞こえ、怒号が飛び交い——。
それでも、比較的落ち着いている方だ。未だかつてない魔物の襲来にしては。
夕暮れ時になって、最後の一体を倒したのはエイダンだった。
3体目になってようやく、一太刀で首を切り落とせるようになった。
「——おお、お見事です!」
さすがに息を切らして、エイダンはこと切れたワイバーンの横に尻をついた。
エイダンが肩で呼吸をしているその横で、ゲオルグが余裕の表情でワイバーンの死を確認していた。
「援護・・・って、話・・・は」
一体目の時は一緒に首を落としたのに、今はもう剣を振り上げもしない。一応すぐ近くでワイバーンの動きを攪乱したりはしていたけど。
「応援してましたよちゃんと。いやあ、ついにやりましたね」
文句を言いたかったが、息を整えるのに必死で、無理だった。見ればゲオルグの髭もチリチリに燃えているから、あの厄介な火を一手に引き受けてくれたのだろうけれど。
身体強化を使いすぎて魔力も残り少ない。3体目にして力の上手い使い方が分かったから、次も一太刀で切れそうな気はするが。
もしもの時に光の魔力の方も使えるように残しておきたいから、一旦休息を入れたほうがよさそうだ。
そう思っていると、タンが伝令に確認をし終わって戻って来た。
「今ので終わりです」
「おおぉ、やった!」
周囲に歓喜のどよめきが広まる。
9体全部、無事討伐できたようだ。
疲労は限界に近かったが、戦いの後の興奮も相まって叫んだり雄たけびを上げる者までいる。
しかし歓喜の声の一方で、エイダンの表情は晴れなかった。
ゲオルグもタンも察しているようだった。
「——ねえ、ゲオルグ、タン・・・この空気・・・」
聞いてみると、二人とも黙って頷く。
「ああ——重苦しいですね」
それはハギノル湖での瘴気と似ていた。
「時間が経つごとにひどくなっていっている気がする」
馬が嘶いた。それも1頭2頭ではなく、何頭もが急に。落ち着きなく前足をかきながらだ。明らかに何かを怖れ、苛立っていた。
徐々に騎士等もその異様な雰囲気に静まっていく。
「馬たちの気が立ってますね」
「ワイバーンのせいじゃなかったんだ・・・」
ざわざわと胸騒ぎがする。
向こうから蹄の音が徐々に大きくなって、誰かがこちらに向かって来る。自然と皆の視線がそちらに向いた。
「——エイダン!」
「父上」
ライアスはさほど返り血も浴びていなかった。たくさんのワイバーンを倒したと言っていたのにと、エイダンは血まみれの自分を見て、まだまだだなと感じた。
ライアスの姿を見ただけで周囲は少し安堵したような空気になる。神経が高ぶっているせいか、そういった空気がすぐに感じ取られて伝染っていく気がした。
ライアスはワイバーンの死体を見て、周囲の騎士等を見渡した。
「けが人は」
「中等度の負傷でしたので、城の救護所へ向かってます」
ライアスがほっと息を吐いた。
その様子では、被害は最小限で食い止められたらしい。
「——あの首を斬ったのは?」
「エイダン様ですよ。お見事でした」
ゲオルグが言えば、ライアスは少し驚いたようだった。
ワイバーン9体のうち、魔術師が攻城魔法陣で倒すのに成功したのが2体。街中ではなかなか攻撃の方角を定めるのが難しく、結局は騎士の力頼みになってしまった。
その騎士等でも、首を斬り落とせたものは一人もいなかった。
地面に転がる頭と胴体とその切り口を見れば、一太刀で切り離されたものだと分かる。
「そうか・・・よくやった」
馬に乗ったままでエイダンは頭を撫でられた。いつもなら少し照れ臭いような気になるものだが、今はそれよりも不安の方が高かった。
辺りはどんどん暗くなってきている。それに比例して、重苦しさも増していっているようだった。
「あの、父上。この空気・・・」
「・・・・・・・・」
ライアスも感じ取っていたらしく、深刻な顔をする。
「——一旦、城へ向かおう」
血で汚れ、剣はひびが入っている。
お腹もすいてきたし、体力的にも限界が近かった。
エイダンは頷いた。
その時だった。
「——で、伝令!東の空に、ワイバーンらしき飛翔体の影、複数!」
「な・・・・」
「伝令!北の空にも、飛翔体あります!」
絶望的な知らせだった。
周囲に何とも言えない、息の詰まる様な緊迫した空気が流れる。
「ヨシファへ伝えろ。全魔術師を動員して結界を展開。力の続く限り王都周辺に壁を張り巡らせろ」
「——父上、結界で防げるのですか」
「防いでもらう。城で態勢を整えたら街の外に出る」
街中で戦うのは障害物が多すぎる。街の一般人もいる。何とか王都の外で戦闘ができれば、もっと別の攻撃も行える。
——でも、それで何体倒せるだろうか。
エイダンは力の入りにくくなった自分の拳を見つめた。
「エイダン。どれほど絶望的な状況になろうと、目の前の敵を倒す繰り返しだ。それ以外考えるな」
ライアスは恐怖も絶望も感じていないようだった。この父なら本当に、一人でも成し遂げるのではないかとさえ思えた。
城に向けて一行は静かに、速やかに移動を始めた。
エイダンはライアスの後ろをついて走りながら奥歯を噛み締めた。
父のようにできるだろうか。重苦しい空気の中、残り少ない魔力で、一体自分はあと、どれくらい走れるだろう・・・。
王城は様変わりしていた。
広場は救護所になり、庭園は騎士の待機場所となっていた。
兵舎には今まで見たことのない人数の軍隊が動員され、ひしめき合って指示を待っていた。
炊き出しが行われ、大量の温かい食料、お湯、着替えが揃っている。
国王の指示の元、早くも国庫が開かれ大量の救援物資が配られ始めていた。
「——早いな」
ライアスは各所の報告を聞きながら、城の様子を見回った。
戦えるものがどの程度か、被害状況を見て回る。
ライアスが鎧を脱ぎながら配下の騎士に渡し、エイダンも汚れた鎧と剣をタンに渡した。身軽になるとまだ戦いの最中であっても少し肩の力が抜ける。
帰城の知らせを受けオルティメティがやって来て合流した。オルティメティも軽装だが鎧をつけて回っていた。
「——国王陛下」
「ライアス!エイダンも。無事でよかった」
「陛下がここへ・・・」
どうやら国王自ら出てきて、ずっとここで指示を出していたようだ。
「これくらいはいいだろう?イエナがまだ産後だから、負担を掛けたくないんだ。——こっちへ」
オルティメティはライアスとエイダンを城内に招き入れた。
執務室まで行くのは遠いから、城に入ってすぐの部屋を仮の指令室にしている。オルティメティが指示を出すための一通りの物が運び込まれていた。
簡素な机と椅子がある。すぐに騎士が着替えを持って来た。
エイダンとライアスが体を拭きながら着替える。
「伝令は聞いた?」
「はい」
「魔術師に結界を準備させている。何とか間に合いそうだ」
「二重にできますか」
魔法だけでなく物理も防ぐ結界も張れば、街には入れなくなる。
「できるけど・・・時間は短くなる」
「どの程度ですか」
「魔術三家の準備が間に合いそうだから、一時間かな」
軍事がペンシルニア一強なのに対し、魔術は三つの貴族家が専門としている。
ペンシルニア騎士団と王立騎士団が戦っている間にそれぞれの家門の魔術師団が到着し、体制を整えていた。
「軍隊の編成も済んでるよ。いつでも出陣できる」
他の高位貴族の騎士団も招集し、王国兵を配置している。
それらを指示しながら救援体制も整えて、イエナがいないのにオルティメティがどれほど大変だったかと思う。
「陛下、お見事です」
「はは」
剣術の師匠であった時のように褒められて、オルティメティが懐かしいなと笑った。
「君たちにばかり働かせられないからね。——ヨシファも腰が割れるって怒ってるし」
話しながら着替え終えた頃に食事が運ばれてきた。ライアスとエイダンはオルティメティに勧められ、対面の席に着く。
ライアスが机の上の地図に視線をやった。
「それで・・・数は」
「目視できるだけで二方向から15。まだ増えるだろうね」
絶望的な数字だ。次々にあんな怪物が湧いてくるだなんて。
軍を動かせば、違う戦い方ができるだろうけれど。それでどれくらい数を減らせるか、やってみないと分からない。
「せめてワイバーンが人間と同じように、夜目が利かないといいんだけど」
「・・・多くの獣は人間より目がいいですから、そんなことはないでしょう」
「分かってるよ。言ってみただけ」
「父上——」
エイダンがライアスを見上げた。
「城に入ると薄まりましたが、あの重い空気・・・あれが」
「ハギノル湖か」
「はい」
ライアスは深刻な顔で考え込んでいた。オルティメティが首を傾げる。
「どうしたの?ハギノル湖って、この前の?」
「——とりあえず、先に食べよう」
ライアスが食器を持ったから、エイダンもそれに倣った。
ライアスは何かをずっと考えているようだったから、それ以上聞けず食べることに集中した。




