12.
同日昼過ぎ、ライアスの元に密偵からの報告が届いた。
今日はアルロの事もあり、登城はせずライアスは自宅で仕事をしていた。
シャーン国に潜伏していた密偵が定例の報告に訪れた。
以前から人員を増やし動向を探っていた。シンシアが古文書の存在を気にしだしてからは更に。報告の頻度も増やしたが、やはりまだこれといって有益な情報はない。
「——国内はまだ混乱を極めています」
一体いつになれば隣国は落ち着くのやら。隣り合わせた国の情勢が混乱しているというのは、爆弾を抱えているようなものだ。
「政権はどうなった」
「まだ王権ではありますが、かろうじてです。前国王が斃れた以降の後継争いの決着がついていません」
戦後、後継者争いが勃発してから、もう十数年。4人いる王子王女の内、派閥は分裂して血で血を洗う争いに発展している。
治政は混迷を極め、中枢に入り込むのは容易くとも、今日判明したことが明日には変わる。そういう意味では情報が掴みづらい日々だった。
「革命軍が力をつけております」
「革命・・・」
「今最も勢いのある革命軍が、こちらで。地方の反乱をまとめて勢力を拡大しております。これを鎮圧する力はもはや王家にはありません」
密偵が地図と共に革命軍の活動箇所を示す。想像以上の速度で規模を拡大しているようだ。
数年前まではただの小さな反乱だった。王権がここまで弱体化していれば、革命が成る日も来るのかもしれない。
「そちらにも人を潜らせておけ。数は任せる」
「はっ」
「古文書の方は」
「申し訳ありません。進展はまだ」
「瘴気、魔獣の類は」
「そちらも、ございません」
シンシアの懸念に対しての調査は、変わりないようだ。漠然とした指示だからこちらもあまり期待できない。
人員にも限りがある。他国にも人を割かないわけにはいかない。——これ以上は、ペンシルニアだけで行うのには限界があるだろう。
そろそろオルティメティに相談しようかと考えている。
「レノンの件は」
「——申し訳ありません。まだ、何も」
指示してから日が経っていない、無理もないだろう。中央政府の記録を探り、レノンが元役人や軍人ではなかったか調べるようまずは指示したのだが。
「記録があまりに煩雑で、苦戦しております。こちらを優先いたしますか」
「いや・・・今まで通りで良い」
少なくとも7年は前の話になる。急がせたところであまり成果は期待できないだろう。
それよりは、シャーン国全体を抜けなく監視しておく方がいい。
ライアスは窓から正門を見つめた。
馬が三頭、それを引く人間が三名、今ちょうど帰り着いたようだった。
アルロと騎士二名だ。葬儀だったから、皆黒いマントを羽織っている。
アルロの黒い髪が日差しの中黒ずくめで、遠くからでも良く目立っていた。
「——シャーン国では、黒髪黒目は忌み嫌われるのだったな。理由があるのか?」
ふと疑問に思って投げかけた問いには、密偵がはっきりとしない物言いで応えた。
「黒髪黒目どころか、文化的に黒そのものを忌避する傾向にあります。周囲の者が不幸になる、という迷信があるのです。闇の魔力持ちを連想させるからだというのはよく言われておりますが」
「人を操るという事が、それほど敬遠されるものだろうか・・・?」
特に軍事においてこれほど強力なものはないだろう。その恩恵を上回るほどの悪性が何かあるのだろうか。
「闇の魔力者の周囲では、人や獣が狂う事がある——というような話もありますが」
「人や獣が狂う・・・それは瘴気とは違うのか」
「は・・・」
密偵がはたと気がついたように目を見開いた。
「そういう事なのですか、瘴気というのは」
はっきりとそうだとは答えられない。よくわからないから、指示も曖昧になる。
ライアスはアルロに再び視線をやった。ふらついているのは、夏なのに黒いマントを羽織った暑さのせいだろうか。大丈夫かと思い身を乗り出した時——遠くから騒々しい足音が近づいてきて、そのままその足音の主は執務室に駆け込むようにして入って来た。
「急報でございます——!!」
緊張が走った。ドアを開けたのは王城からの伝令だ。一陣の風が通り抜けたのは、この者が風の能力者だからだろう。足をもつれさせて息を切らし、その場に膝をつく。
急を要する伝令は誰にも制止できないように王家の紋章を身に付けて訪れる。王城からこの執務室まで風魔力を用いて走り抜けてきたのだろう。
「話せ」
短く命じたライアスに、伝令は息を切らしたまま手をついた。
「——お、王都に、未確認飛翔体多数確認。周囲を炎で焼き尽くしつつ接近中。直ちに防衛体制に入るよう、国王陛下からのご下命でございます・・・!」
「何が・・・近づいてるって?」
密偵が思わず聞き返す。ライアスは窓を開けて空を見上げた。ここからは特に何も見えない。
伝令を追いかけるようにしてルーバン、騎士数名が入って来た。それへ向けてライアスが命じる。
「ペンシルニア全騎士、緊急招集、最速だ!」
「はっ!——紅旗を」
ルーバンが急いで周囲に指示を出す。紅の旗を掲げ、全騎士に速やかに通達する。第一級の招集令を出す。
ライアスはシンシアの執務室に速足で向かった。
屋敷は静かに、しかし急速に緊張に包まれていった。
シンシアはライアスから事情を聞いて慌てて騎士詰所へ向かった。
既に騎士等は揃い、鎧を身に付けて武器を取り、準備を整えている。
その中にはエイダンもいた。いつもの顔ぶれが、いつもと違う顔つきで準備を進めている。
その異様な雰囲気に息を呑んだ。
また伝令が駆け込んでくる。
「続報です!飛翔体は、ワイバーン!目視できるだけで、9体」
「はっ・・・」
シンシアは言葉を失った。
人跡未踏の山奥深く、又は深奥の洞窟の更に深く。それらの場所にいるとされる古代の獣たち、ワイバーン。
本来であれば人と古代獣が交わることは滅多にない。探検家が見たとか、道に迷った山師が遭遇したとかそういった類の話が酒の席に上がる程度だった。今までは。
それでもシンシアには、ワイバーンと聞いて思い浮かぶものがある。
ワイバーンの大量発生——。それはシャーン国に起きることのはずの事件だ。・・・小説では。
ライアスが点検を終えてシンシアに向き直った。
「シンシア、私は王立騎士団へ向かいます。ペンシルニアの騎士団はエイダンが残り、ダンカーが率います。屋敷と王都は必ず守りますが、落ち着くまで屋敷から出ないでください」
あまりにも急な事で、シンシアは咄嗟にライアスの腕を掴んだ。冷たい鎧の感触が、慣れない。
「ラ、ライアス・・・」
「大丈夫です」
シンシアは混乱したまま、首を振った。
ワイバーンはドラゴンの頭、鷲の足、蝙蝠の翼をもつ飛竜だ。獰猛な気性で口から炎も吐く。それがシャーン国に大量発生して、国を亡ぼす。壊滅状態になった国から流民が流れて来るからと対策を行っていたのに。
「どうして・・・どうしてうちに」
「シンシア」
「シャーン国を滅ぼすワイバーンが、どうしてここに・・・」
「シンシア。今は、それを撃退する事が先です」
ライアスがシンシアの肩を掴んだ。
「ご安心ください。想定内です」
まさか。これほどの事が、想定内だと言うのか。
確かにシャーン国はワイバーンによって滅びる話をしていた。ワイバーンの記録がほとんどないというライアスに、どのような生物かも話したことはある。
しかし相手は飛翔する古代獣だ。火まで吐く。ライアスの言う事がシンシアを安心させるための嘘なのかどうなのか分からなった。
「子供たちを、頼みます。屋敷の皆も」
そう言われるとシンシアも僅かに平静を取り戻した。
「ご武運を、どうか・・・」
「はい」
数名だけを連れて、ライアスは王城へ向かって馬を走らせた。
「母上、父上の言う通り、魔獣を想定した訓練も行っていますので」
エイダンは金属音を響かせながら鎧の点検をしつつ、涼しい顔でそう言った。
貴方はまだ子供なのよ——喉まで出かかった言葉を、シンシアは必死で飲みこんだ。
この子が誰よりも強いのは知っている。送り出さなければいけないというのもわかっている。
自分に力があれば、先頭に立つのに。
シンシアは奥歯を噛み締めた。
「——怪我をしたら、許しませんよ」
周囲に聞こえない声でそっと話すと、エイダンは笑っていた。
「わかってます、戦時の僕に許された配置は後方支援なので」
当たり前だ。そう言いたくなってまた言葉を飲みこんだ。
どうしてこの子は余裕なのだろう。
シンシアはどくどくとうるさく打ち鳴らす自分の胸がずっと苦しいほどだというのに。
シンシアは深呼吸した。
守らなくては。この子達を守るために、あらゆる手を打ってきたんじゃないか。
「——救護所を立ち上げます。治癒師へ連絡して」
「は」
戦時に備えて、一連の流れは既に何度も訓練している。それをなぞって行けばいいだけだ。
シンシアは震える手を悟られないように腕を組んだ。
その頃。
マリーヴェルとソフィアがアルロの部屋をノックした。
屋敷から出ないように言われて、異様な雰囲気に包まれているのを感じて。皆忙しそうにしているから、子供たちで一緒にいようと思い、マリーヴェルはソフィアの手を引いてアルロを訪ねた。
「アルロ!・・・アルロ?」
いつもなら、課題をしていても出てきてくれるのに。返事がない。マリーヴェルとソフィアは顔を見合わせた。
何度かノックしていると、廊下の向こうからオレンシアがやって来た。普段とは違い鎧を身につけていて、ガチャガチャと音が鳴る。
「——あ、お嬢様方。アルロは出かけていて疲れてると思うので・・・」
「へんじも、ないの」
ソフィアの台詞を聞いてオレンシアが笑みを消した。
「心配ですね」
オレンシアがドアをノックした。返事はない。
「——アルロ、入るぞ」
ドアは鍵もなく簡単に開いた。中には誰もいない。
「アルロ、お出かけ?」
「いや、ちょっと前に帰って来たんですがね・・・」
本当はすぐ様子を見に来たかったが、緊急招集のせいでそうもいかなかった。
数分だけ、と団長へ事情を話してここに来た。
オレンシアは、嫌な予感がした。
小さな部屋だ。荷物もいつもと変わらない。何もかも、いつも通りの風景——ただ、机の上にメモが一枚だけ置かれていた。
それを読んだオレンシアの顔色が変わった。
「ちょっと用事ができたので、失礼しますね。お二人は、ダリアとレナの所へ行っててください!」
「え?あ・・・オレンシア卿——!」
マリーヴェルの制止も聞かず、メモを掴んだままオレンシアは走って出て行った。
メモには丁寧な文字が並んでいた。
『私は嘘をつきました。申し訳ありませんでした』