5.
「——タンいる?」
エイダンの勉強部屋をノックするとエイダンの返事があったので、マリーヴェルはドアを開けながら聞いた。
机のところにエイダンがいるだけで、タンの姿はなかった。
マリーヴェルがきょろきょろと室内を見渡している。エイダンの勉強部屋は、徐々に執務室に模様替えしつつある。本棚の本も来るたびに分厚いものが増えていっていた。
何もないマリーヴェルの勉強部屋とは大違いだ。
「どうしたの」
「タンに聞きたいことがあって」
「ふうん、どんな?」
手元から目を離していなかったエイダンが、次の台詞で止まる。
「アルロの事」
「なんでアルロの事をタンに聞くんだよ」
「私の次にアルロとよく一緒にいるから」
腑に落ちないといった様子で、エイダンはペンを置いた。
「何を聞くの?」
「アルロの、好きな物とか、好きな事とか・・・?」
エイダンがますます分からないといった顔をした。
「そんなの聞いてどうするんだよ」
「別にぃ」
「アルロの好きなもの・・・何だろ。剣術じゃないの?」
センスもいいし、しっかりと取り組んでる。
毎日朝晩訓練してるし、何よりあんなに楽しい剣術に夢中になるのは当然だ。エイダンはそう思って言ったが、今度はマリーヴェルが渋い顔になる。
「お兄様と一緒にしないでよ」
何事も妹に合わせてくれる兄だが、剣術に関してだけは、どうにも話が合わない。すぐに突っ走っていってしまう。
「アルロって一人の時間がほとんどないのよね。働きすぎなのよ」
「見て来たみたいに言うんだな。アルロの一日を知ってる訳でもないだろう」
マリーヴェルとアルロが接するのは、午前の勉強時間から夕食前までだ。
「あら、わかってるわ。アルロが今どこで誰と何をしてるかくらいなら、常に把握しているわ。毎日何時に寝て何時に起きてるのかも」
私の侍従だもの、とマリーヴェルがなんでもないことのように言うから。エイダンは不安になる。
「・・・僕の妹が犯罪に手を染めようとしている」
「はあ?失礼ね!」
「おかしいだろ。侍従の24時間をなんで把握してるんだよ。しかも、誰といるかまで。怖いよ」
前々から心配ではあった。マリーヴェルがアルロにベッタリな時から。アルロの情報を知りすぎていて、どこからその情報を仕入れたのかいつも気になっていた。
「じゃあお兄様は、タンが今何をしているのか知らないの?」
「——まあ、今は、作業室で僕に来た手紙を仕分けしてくれてる」
「その前は?」
「・・・お昼を食べていただろうな」
「誰と?」
「・・・・・・・・・・・」
言いたくないが、マリーヴェルは言い逃れを許さない程に鋭く見つめてくる。
エイダンはしぶしぶ口を開いた。
「執事長と、アルロと、多分ダリアもいただろうな」
「ほらあ!」
エイダンは目を閉じて悔しそうに一度上を向いた。
最近、マリーヴェルに言い負かされることが増えている。その材料を渡したようで悔しい。
「お兄様だって、タンの事ずっと知ってるじゃない」
「僕のは邪な気持ちなく、ただ純粋に、知ってるだけだけどさ」
付き合いが長いし、タンは毎日ルーティン通り動くから。
そう言い訳をしたかったが、マリーヴェルはむっとした。
「何それ。私のどこが邪な気持ちがあるって言うの?そういうお兄様の方がいやらしいわ」
「いっ・・・な、何てこと言うんだよ」
「こっちの台詞よ。私とアルロより、お兄様とタンの方が、絶対親密よ?それなのに私がアルロに近づこうとするとそうやって一々目くじらを立てて。お兄様が何を想像しているのか知らないけど、そっちの方がよっぽどけがらわしいわ」
「け・・・っ」
エイダンはショックで固まってしまった。
清廉潔白、品行方正。それは今までエイダンの代名詞のように言われていた——いや、言われるように努力してきたつもりなのに。
何より、誰よりもそう思われたいのが妹達にだった。
エイダンはマリーヴェルをこの上なく大事に思ってる。いつまでも頼り甲斐のある兄でいたい。
まさか、その妹からよりによってけがらわしいと言う言葉が出てくるだなんて。
固まるエイダンをよそに、マリーヴェルはタンの居場所がわかったので、勉強部屋を後にした。
エイダンの言う通り、タンは作業部屋にいた。
本来あまりマリーヴェルの出入りする場所ではないが、元々メイドらと話したりするのに入り浸っていた時期もある。
使用人エリアではあるが、マリーヴェルは慣れた場所なのでふらりと立ち寄った。
「タン、今忙しい?」
作業部屋にはドアがない。廊下から部屋を覗くとちょうど作業は終わったようだった。片付けをしている。
「いいえ」
タンがそう言ってくれたのでマリーヴェルは作業部屋の中に入った。
タンは手を止めてマリーヴェルの言葉を待ってくれていた。
口数は少ないが、タンはいつもそうだ。黙ってじっと待ってくれる。
肌の色はよく日に焼けた騎士よりもまだ黒い。最近は侍従らしくしろと執事長に言われて、屋敷にいるときは巻毛の髪を後ろに撫で付けている。
多分、細かいことはあまり気にしない性格なのだと思う。そういう大らかさが、一緒にいて気楽に感じる。
「執事長にアルロのことを聞いたら、タンの方が詳しいからって。アルロの好きな物とか、好きな事を探してるの」
「アルロですか」
そう言ってタンは考えを巡らせるように視線を彷徨わせた。
「好きなもの——は、お嬢様では」
「えっ・・・な、そ・・・」
動揺するマリーヴェルに対して、タンは無表情のまま。
「アルロの世界はお嬢様を中心に回っていますので」
分かってる。アルロはマリーヴェルの侍従だから。タンが言ってるのもそういう好きじゃないって、ちゃんと。
マリーヴェルは動揺したのが恥ずかしくなって、こほんと咳払いをしてみる。
「タンも?お兄様を中心に回ってるの?」
「・・・・・・・まあ、はい」
結構間があった。何の間だったのだろう。
「——って、そうじゃなくてね。わ、私以外で好きな物を探してるの」
「お嬢様以外で・・・」
タンはまた考え込んだ。
「特には無いと思います」
これほどきっぱり断言されるとマリーヴェルも寂しくなってしまう。
「ない?何も・・・?」
「はい、今は特に」
「タンの前ではアルロが笑うって聞いたから来たのに」
「——お嬢様といる時の方が笑っていると思います」
マリーヴェルはアルロの笑顔を思い出した。アルロが何かしてくれてお礼を言った時、マリーヴェルが難しい問題を解けた時。アルロは一緒になって喜んでくれて、ふわりと微かに笑う。
それでも、アルロは基本無表情だ。
遊んでいる時に笑うのも本当に珍しくて。声を出して笑ったのもまだ4回。
「努力して、できるようになった時に褒めると笑います」
それは贈り物にはできない。
「誕生日ですか?」
タンにはお見通しみたいだ。マリーヴェルはしゅんとして頷いた。
「何か贈り物ができればいいんだけど。何でもいいわけじゃないし」
「お嬢様からのものでしたら、何でも喜ぶと思いますが」
でも、せっかくなら一番喜ぶものを送りたい。
「私から聞いておきましょうか」
マリーヴェルは少し考えてから首を振った。
側にいるタンがこう言うのなら、アルロは答えられないだろう。
「ううん」
そう言って、ふと思いついた。
「タンは、お兄様からもらって嬉しかったものってある?」
同じ侍従として参考になるかと思って聞いてみる。
「坊ちゃんからは・・・良い道具が見つかったら自分の分も一緒に買ってくださいますので、いつも感謝しています」
予想通りだった。タンもエイダンと同じくらい剣術大好きだから、そりゃあ喜ぶだろうけど。
「騎士とは関係ない贈り物はないのね」
タンがしばらく考えた。
「小さい頃はよく虫をくださっていました。蛙や亀の時もありました」
「え・・・」
エイダンが5歳の頃からの付き合いだから、無理もないのだろうか。
「飼ったの・・・?」
「そうですね。主命ですので」
「そ、そう・・・」
これ以上は参考になりそうにないので、マリーヴェルはお礼を言って作業部屋を出ていった。
タンも無表情ですけどね
エイダンとタンは剣術熱が同じくらいどでかい




