王太子アルトバルト 後編
宰相は扇子に見立てた、その長い人差し指と中指を見せつけるように右斜め30度に傾け、小指を立てた。
「"クソが"」
そしてコーネリアがしたようにゆっくりその指を首に当てた。
「"殺す"」
「ああ、大丈夫です。命を取るという事ではなく社会的にという意味ですから。そういえば、娘が去ったあと折れた扇子が落ちてませんでしたか?それ"地獄に堕ちろや"ですよ」
講堂に、コーネリアの折れた扇子と共に残された無数の折れた扇子、扇子、扇子……。
私はやっとその無数の折れた扇子の意味を理解し、ヒッと短い悲鳴をあげて尻もちをついた。
宰相はスッと表情を消した。
「あれほど私も教育係も周りの者も皆が扇子言語を覚えるように言ったのに、何一つお覚えにならなかったのですね……。
理解していれば、ご令嬢方が扇子ポーズを取られた時に、ご自分の過ちに気づくことがお出来になったかもしれないのに。いえそれでも、あなたは愛を貫かれたでしょうか……」
「は、母上は……心は言葉で伝える事が大切だとおっしゃった」
そうだ、この国の王妃が言ったのだ。
「は?王妃様は扇子言語の多さに面倒臭がり覚えるのをお諦めになっただけですよ。ユガンタ帝国の王族の方々からも末姫という事で甘やかしてしまい、王族として身につけるべき扇子言語ができず申し訳ないと謝罪を受けております。まさかお小さい頃に王妃様が扇子言語ができない事を誤魔化すためにおっしゃった言葉をまだ真に受けておられたのですか?」
母上が扇子言語ができない?……誤魔化すため?
「ねえ、アルトバルト様。そんなにコーネリアがお嫌いでしたか?産まれた時にはあなたに嫁ぐ事が決まっていた娘です。あなたの隣に立つため、あなたを支えるため、幼い頃から努力を続けてきた娘です。何がそんなにお気に障りましたか?」
コーネリア……幼い頃から美しく聡く、……いつも笑顔を貼り付けていた少女。
何でも私よりでき、周りから信頼され…私の自信を奪い苦しめる腹立たしい少女。
そうだ、ポアラだけが私の苦しい心に気づき、優しく声をかけ、寄り添ってくれたのだ。
「コ、コーネリアは私の苦しむ心に気づかず、寄り添うこともなかったではないか!ポアラだけが、ポアラだけが気づき寄り添ってくれたのだ!」
そうだ、そうだ、全て冷たいコーネリアが招いたことだ。
私のせいではない。
「コーネリアはよく閉じた扇子で3回右手の甲を撫でたり、左手で扇子を開いて胸に当てたりしませんでしたか?」
記憶の奥にいる幼いコーネリア、いつしか私の前で扇子を動かす事は無くなったが、確かに幼い頃はよく扇子をそのように動かしていた。
「"大丈夫?"、"あなたは素敵"ですよ……。コーネリアはあなたの苦しむ心に気づいていました。
王太子のあなたと、コーネリアはあなたが望まない限り2人だけでお会いする事はできません。人前で心配したり励ます言葉を言っては、あなたを傷つけ、恥をかかせてしまうのではと、扇子で伝えていたのですよ……。
あなたに寄り添いたかったのです。それもあなたに扇子言語を禁止されて、できなくなってしまいましたけどね」
「は?」
まだあどけない、まろい頬の少女を思い出す。
小さな手で扇子を動かすコーネリア……。
その眼差しは……!
ああ、あの優しい手を振り払ってしまったのは愚かな私だったのだな……。
それでも私は……。
「私はポアラと添い遂げたい……」
「はい、アルトバルト様。ご自由になさってくださいませ」
そう笑む宰相の目には、私が映っていない事が分かった。
ああ、そうか……私はもう見限られたのだ……。
「王命である。王太子アルトバルト・ソルリディア、王太子の地位を剥奪し、廃嫡とする。今この時を以て、男爵令嬢ポアラ・ヘルケトラと共に身分を平民とする。其方の血は残すことを許さぬ」
王の感情のこもらない声が執務室に響く。
「王命、謹んで承ります」
私は静かに床に手をつき、深く頭を下げた……。
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王太子アルトバルト前編、後編を続けてアップしました。
書きたかった場面の1つです。
おもしろかったと感じていただけたら嬉しいです。