フラグを立てる
幸せは男次第じゃなくて自分次第じゃない?
ヴァングラスが帰還した日は気持ちがいろいろワーッとなってしまい、人前で走るわ抱きつくわ……もうもう恥ずかしくてのたうち回っている。
今日も、女官も騎士も私を見る目がニヨニヨなってて居た堪れない。
ヴァングラスはあの後は、日々宰相様に呼ばれて報告したりと忙しそうで、かろうじて一緒にお昼を食べるのが精一杯のようだ。
お屋敷にも帰れないで王城に泊まり込んでいる。
「ミリアム様、お疲れ様でございます」
「ルル、ありがとう」
ヴァングラスとはまだしばらく一緒に帰れないので、仕事の送迎は以前のようにルルがしてくれている。
王城とタウンハウスは馬車で15分ほどの距離だし、この時間はまだ人も多いので何が起こるわけでもないだろう。
一般的にそういう事を思うのをフラグを立てると言うらしい……。
いつものように馬車は走っていたが、ふと違和感を感じた。
「ルル、何か変ではない?」
「いつもと違う道のようですね。心配です」
不安な表情でルルが私の手を握る。
スピードも段々出ているし、人通りが段々無くなっている。
私は馬車の窓から祈りを込めるような気持ちで、ヴァングラスにもらった髪飾りを外に投げた。
怖い。
道が悪くなったのかどんどん馬車の揺れが酷くなる。
舌を噛みそうで歯を食い縛る。
街中ではなくなったのかも知れない。
震えるルルと2人で抱き合い馬車の揺れに耐えた。
どれくらい走っただろうか……。
馬車が止まった。
外から聞こえる長閑な鳥の鳴き声に恐ろしさが増す。
乱暴にドアが開けられた。
「降りろ」
知らない低い男の声。
何の温度も含まれない声だ。
ルルが震えながらも私を隠すように抱きしめる。
走馬灯のようにこれまでの人生が流れた。
記憶の端にさっとチョビ髭が掠める。
私達は奥に縮こまるが、男がルルの腕を乱暴に引いた。
ルルから引き剥がされる。
「ルル!」
私は離されないように必死でルルの腕にしがみついた。
「ミリアム様!」
必死の形相のルルは何とか男の手を離そうともがく。
顔半分を黒い布で隠した目つきの悪い男がチッと舌打ちした。
「おい、急げ!」
馬車の外にも男の仲間がいるようだ。
もし攫われそうになったら?
ヒョロッとしたチョビ髭の先生が脳裏にフォッフォッフォッと現れる!
公爵夫人教育で教わった防犯対策のチョビ髭先生!
はい先生、時間を稼ぐ!
私は扇子でとにかく男をバシバシと叩く。
男にとっては羽虫が顔にあたる程度だろう。
煩わしそうに手で払われ、呆気なく扇子が下に落ちる。
男が私からルルを引き剥がして馬車の外に放った。
「キャア」
「ルル!」
男が私の腕をつかんだ。
もしつかまれたら?
チョビ髭先生がカチカチと金歯の光る歯を鳴らす。
はい先生、噛む!
その手を思い切り噛んだ。
「いてぇ!この女!」
男が私を振り払った拍子に私は馬車から転がり落ちた。
右側を強く打つと同時に手や頬を擦りむいたようだ。
ヒリヒリと傷む。
「怪我はさせるな。2、3日閉じ込めるって依頼だろ!?」
「でも、この女が!」
「駄目だ!」
外はどこか森の中のようだ。
草の匂いが濃い。
チョビ髭先生がつぶらな目をパチパチさせる。
はい先生、目潰し!
私は両手で草ごと土を握りしめる。
男達が無造作に近づいたところで草ごと土を目に向かって投げつけた。
「うわ」
男達が目を押さえる。
「ルル!」
チョビ髭先生がちっとも速そうに見えないフォームで部屋を走る。
はい先生、逃げる!
倒れているルルの手を引いてとにかく走る。
どこに向かっているかはわからないけど、とにかく走った。
でもいざこの経験をするとわかる。
先生!無理です!
記憶のチョビ髭先生が肩をすくめる。
そのアンニュイな表情にイラッとする。
女2人の足なんてたかがしれている。
男達がすぐに追いついてきた。
しかも5人に増えている。
「この!」
目を血走らせた男が手を振り上げた。
(ヴァン様!助けて!)
チョビ髭先生の怖くても目はつぶってはなりません〜が頭に流れるのが無性に腹立った。
ちゃんと助かる方法はないのか!?
先生は自慢のチョビ髭を撫でるだけだ!
それは先生の癖ー!
「ギャア!」
男の手が矢に射抜かれていた。
チョビ髭先生、ごめんなさい!先生は正しかった!
「1人残らず捕えろ!」
ヴァングラスの射手を見逃さないですんだ。
かっこいい!
チョビ髭先生が机に隠れる。
はい先生、邪魔しない!
男から離れて私はルルと茂みに身を潜めた。
ヴァングラスと共に騎士達が男達を囲み、次々と斬り伏せていく。
中でもヴァングラスの動きは圧巻だった。
とにかく剣が速いのだ。
剣を剣で受けずに軽やかに身を躱して踏み込み斬り伏せていく。
かっこいい!かっこいい!かっこいい!
私は瞬きも忘れて見つめた。
すぐに剣戟と男達の悲鳴は静かになった。
「ミリー」
ヴァングラスの声だ。
「ヴァン様……」
ホッとしたのか腰が抜けて動けない。
ルルも同じようだ。
ガサリと茂みをかき分けてヴァングラスが私達を見つけてくれた。
「すみません、私もルルも腰が抜けて動けません」
ヴァングラスは近衞騎士と違う服装の、目が細いキツネのような顔の男に目を向けると、その男がルルを抱き上げた。
おお、お姫様抱っこだ。
ルルが顔を真っ赤にしてヒエ〜と色気のない声を出した。
が、私もヴァングラスにお姫様抱っこで抱き上げられた。
「ヒャア」
私もルルの事は言えない……何て色気のない声でしょう。
いつもと違ってヴァングラスは簡易だが甲冑を着けていたから胸が固い。
何となくしっくりこない。
「ミリー、怪我は?」
「大丈夫です。馬車から落ちた時に右側を打ったのと擦り傷くらいです」
「ごめん……怖い思いをさせて」
ヴァングラスが辛そうな顔をした。
私は慌てて首を横に振る。
「助けてくれました。でも、なぜ分かったのですか?」
「ディアス様には伝えていたけど、私が一緒でない時の送迎には一応うちの私兵を2人つけてたんだ。1人は私を呼びに来て、もう1人は別の場所に潜んだやつらと応戦していた。あと、これ」
私の髪留めだ。
「これのおかげで場所が特定できた」
もう戻ってこないかもしれないと思っていたから拾ってもらえて良かった。
大分傷が付いてしまったが、ヴァングラスからもらった大事な髪留めだ。
「気づいてもらえて良かったです」
ヴァングラスが私の事を横抱きのままギュッと抱きしめた。
私もヴァングラスの首にキュッと抱きつき顔を埋める。
嗅ぎ慣れたヴァングラスの匂いにやっと安堵した。
本当に助かって良かった。
そしてチョビ髭先生、ありがとう!
今度お礼に菓子折り持って会いに行きます!
いいね、ブックマーク、評価をありがとうございました。
ここに書かれた防犯対策はこの世界の防犯対策です。
間違ったものも含まれているので、もし攫われそうになっても参考にしないでくださいm(_ _)m





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