2. 特別特区オリオンの神隠し
2,3,4話目は関係ないと言えばないといえる
東京23区の北東に位置して大きなコブのように見える都市は、未来都市計画のもと開拓された特別区画オリオンである。23区をすっぽりと飲み込めるほど広大な面積を有しているオリオンにはさまざまな研究機関が軒を連ね、日夜、技術革新が覚めやらない。
近年、一般公開されて大きな注目を集めた研究と言えば、Anti-Gravity技術だろうか。ついに人類は重力という名の圧政から解放されたのだと話題になった。ただ、なにやら位置エネルギーを固定するために必要な、特殊な場を生み出す暗物質とやらが希少のようで、一般人が自由に飛び回る未来はもう少し先なのだという。
この研究機関群を囲うようにして栄えた住宅街を加えて、さらにコブの左半分を占める広大無辺な手つかずの大自然までが特別区画オリオンである。都市構造としては大きな庭付きの城下町を想像すれば、きっと概ね正解である。
特別区画と言っても、住宅地や、そこに住む住民が特別というわけではない。他の都市と何ら変わらない平凡で幸せな人々も、超絶VIPな人々も、もちろん家を持たず公園に暮らす人もいる。治安が悪い地域はほとんどなく、『住みやすさランキング不動の一位が治安の良さを証明している』と言うのが住人の常套句だ。オリオンの中心に向かうにつれて高級住宅が増えるものの、俺のような一般庶民の子供でも住まえるアパートもあることから、明確に住み分けがされているというわけではない。屋上プール付きの大きなショッピングモールに、おしゃれな屋外テラスを設けた喫茶店やら、芸術的な構造をした図書館なんかから成る美しい街並み、子育てしやすい環境等々、誰もが何不自由なく幸福に生活できるのが特別特区オリオンなのだ。
ただ一点、普通の都市と違うことと言えば、オリオンに住む住人は、ときおり失踪することくらいだろう。
かく言う俺の両親も、3か月前に蒸発したてホヤホヤなのだ。
その日の出来事は今でも忘れられない。俺はいつものように自転車を20分程度走らせて蒼華高校に向かった。私立蒼華学園高等学校と言えば文武両道を掲げる全国屈指の名門校として有名であるだけでなく、通う学生のほとんどがVIPであるというセレブ学校でもある。それでいてコネが一切通用せず、合格率1%にも満たない難関試験をかいくぐった選りすぐりのエリートが通う高校に、俺のようなパンピーが混入していいのか不安だったが、入学初日にそんなことは杞憂であったと思い知らされた。
なにげない授業をグダグダと聞き流し、生徒会役員の通常業務も片付けて帰宅するころには19:00を回っていた。いまごろは、俺よりも帰りの早い中学1年生の雛乃が、小1年生の姫花の学校の宿題の面倒を見ているころ、のはずだった。
アパートの駐輪場に自転車をひっかけて、外付けの金属階段をカンカンと音を立てて駆け上がる。205号室の玄関前。そこには、玄関灯の淡い光に照らされた2人の少女が、うずくまるようにして体を屈めていた。長女の雛乃が俺を発見するやいなや、嗚咽交じりの、か細い声を絞り出すように叫んだ。「ユヅ兄っ!…お父さんとお母さんが…ひっく」俺を見て緊張が解けたのかヘナヘナとへたり込んだ。ただ事ではない空気を感じ取ると、すぐさま2人に駆け寄り抱き寄せた。「もう大丈夫だ。お兄ちゃんが来たからな」何が起きているのかわからず混乱する頭は、ただただ安心させる言葉をかけることでしか平然を保つことができなかった。
泣きつかれてぐったり眠ってしまっている姫花を抱きかかえ、ひしと腰にしがみ付いて離れない雛乃の頭を優しく撫でながら、暗い暗いアパートに帰宅した。
いつもなら夕飯が並べられているはずの食卓の上には、ただの書置き程度にさりげなく、それでいて大きな存在感を放つように、ぽつんと一枚の手紙が置かれていた。
『愛する子供達へ、
突然あなたたちの元から去ってしまう愚かな私たちを許してください。
しばらく大変な思いをさせてしまうと思うと本当に心苦しく無念です。
特別でかけがえのない、あなたたちの成長をもっと傍で見ていたかった。
そんな幸せを求めることは、これ以上できそうにありません。
二度と会う日が来ることはないでしょう。さようなら。
ゆづる、ひなの、ひめか、いつまでもあなたたちを愛しています。 母より』
とめどなく溢れでてくる悲壮を、怒りで塗りつぶした。静かに煮えたぎる怒りの炎は涙を乾かし、悲壮に垂れた頬を吊り上げた。なにより俺が、真っ先に立ち上がらなければ妹たちを不安にさせてしまう。そう直観した。手紙の下にあったのは現金50万円。この金で、なんとか食いつなげと言うことか。俺たちは捨てられたんだ。そう実感した。
夕飯は既にアンドロイドのNoahが用意してくれていた。Noahは高性能量子コンピュータを搭載した自立思考ヒト型ロボットで、人間の表情パターンの微細な変化から感情やら心を読み取ることも可能だ。だからと言って、この状況をどこまで理解しているのかはわからない。それでも、いつもおしゃべりの彼女が寡黙を貫いているのは、一家の拠り所が彼女に向かぬように、俺が妹たちの支柱であるよう促す彼女の優しさであり、静かな圧力でもあるのだろう。妹、親、金、学校、生活、仕事、いろいろな感情渦巻く俺の頭の中など彼女には御見通しなのだ。
妹たちを部屋に寝かせたのち自室のベッドに独り横たわる。眠れぬ夜は、時計の針がちゃんと働いてるのがよくわかる。コンコンと柔らかいノック音が部屋に響き渡った。雛乃に手を引かれて、姫花がウサギの人形を大事そうに抱えてながらやって来た。久々に兄妹3人で同じベッドに入るのだと言うが、少し窮屈感を覚えるくらいに妹達は知らぬ間に大きく成長しているようだ。仕方ないので俺はソファに身をうずめることにした。
「ゆづ兄…これからどうなっちゃうのかな…学校のみんなともNoahともお別れなのかなぁ」
長女の雛乃は、50万円程度の金では、今の生活レベルを維持できないであろう現状を理解しているようだった。すぐさま出費を抑えるためにアパートを越す必要があり、そうすれば学校を転校しなければならないことも視野にある。次いで、支出の大きいのはアンドロイドの維持費だ。いままでは科学者の両親が整備していたが、専門家に任せるとなるとメンテナンス費だけで乗用車2台分のそれと同じくらい掛かることから、手放すのが合理的な一手となる。
ヒナはNoahのことが大好きだし、いちばん手放したくないと思っているはずだ。それでも心を鬼にして、俺が先に”手放すという残酷な提案”の口火を切る前にひとりでに罪悪感を引き受ける覚悟をしたのだろう。なんて心優しく、現実的な思考を持った賢い妹なのだ。これ以上妹を苦しめるわけにはいかない。俺がすべての重荷を背負えばいいだけの話なのだから。妹に背中を押されて、俺はようやく覚悟が決まった。情けないお兄ちゃんだ。
「ヒナたちがお金の心配をすることはない。軍資金が無くなる前に仕事を探してみるよ。まぁ確かに引っ越さなくちゃいけなくなるけど、明日あたりに今の学校に通える距離のアパートを探してみる。それに、アンドロイドを売り払うようなことはしないさ。Noahも家族の一員だし、整備の方法は頑張って勉強しておく」
「…ねぇ私も働くよ!ユヅ兄ばっかりに負担かけたくないもん」
「それは駄目だ。ヒナは中学生だしそんなことは考えなくていい。なにより、お前まで家を空けたら誰がヒメを守るんだ。ヒメが悲しむことはしちゃいけないよ」
「…うん。わかった…。ユヅ兄はどこにもいかないよね…」
「ああ、俺の帰る場所はいつだってお前たちの隣だ。妹のためなら、どんな困難も乗り越えられるのが、お兄ちゃんなんだぜ?」
こうして、当たり前の幸せを取り戻そうと奮闘する高校生の物語が始まった。
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