壊れている
Ⅱ
二十二時過ぎ。私達が泊まる宿の三階、廊下の端。三〇一号室の扉をノックする。
しばらくしてパタパタと足音が聞こえ、近づいてくる。少し扉が開いた後、隙間から中にいた人物が覗き込んでくる。
それからまたしばらくして扉が開かれた。髪色が中央で白と黒に分かれている女性が視線を逸らしながらも立ち尽くしている。
よく見ると体が震えている。それは恐怖の感情の表れで、以前私が彼女を殺そうとしたからだろう。
私は挨拶することにした。
「私はセシア・テレスリア。神聖ヴィロナス王国で名誉騎士の称号を授かり、騎士団長をしていた」
「……存じ上げております。私はユザミ・テトライアと申します」
私は彼女のことを知らない。知っているのは凄惨な過去を送ってきたことと大量猟奇殺人を起こしたこと。
こんな丁寧な敬語で話し、綺麗な所作をしている女性だとは思っていなかった。やはり、私は彼女のことを知らなすぎる。
すると彼女は手で私を部屋に招き、背を向けて部屋へと入る。私はその後を追った。
「どうぞ」
「いい」
椅子に座ることを促された私は断る。
話をしに来たのは確かだが長居するつもりはない。
目的は彼女を知ることだ。しかしそれは理解ではない。罰することは前提で、何故殺したのかを問い質すのみ。
「……総支配人から貴様の過去を聞いた」
私がそう言うと彼女は目を見開いて驚いた後、歯を食い縛って俯いた。
「何故十四人も殺した」
配慮をする必要はない。相手は殺人鬼。多くの民の命を奪った、救いようのない下衆だ。
沈黙が続く。強張っていた体を一度脱力させると、女は口を開いた。
「一度、逃げ出したことがあるんです」
淡々とした声調。逃げだした、というのは義兄と暮らしていた家からだろう。
「義兄が寝た後に……拘束具が緩くなっていたことに気づいて。家を、抜け出しました」
これは私達が知りたがっていた話に近い。リトから聞いた、蛆虫みたいにいっぱいいたという発言の意味。
「やっと逃げれる……痛いのも、苦しいのも、辛いのも、全部終わりにできるって……思ったんですけど」
声が震え、表情が歪み始める。思い出しただけでそうなってしまうほどの精神的苦痛を味わったのが手に取るように分かった。
「そ、外にっ、お義兄さんがいっぱい、いて……っ、み、皆こっちを見ててッ!」
「……もういい」
やはり、彼女は壊れている。
これは精神的なものだ。壊され続けた彼女の心はまともな世界を映し出すことができず、義兄に近い年齢の男性全てが義兄に見えてしまうのだろう。
それならば被害者の年齢が特定的なことや男性であることも全て辻褄が合う。
「貴様は」
仕方ない、で終わらせることはできない。彼女が壊れているとしても、私は許すことはできない。意思も変わらない。
ただ一つ、頼みがあった。
「貴様はリトが好きか?」
息を荒くする女の視線がこちらを向く。リトという言葉に反応したのだろう。
「り、リト……様……」
彼女はその名前を復唱する。すると落ち着きを取り戻しているように見えた。
言葉にしなくても、その様子で分かる。
私は全てを伝えることにした。
「貴様は二週間後、処刑される」
彼女の表情を伺わず、私は言葉を続ける。
「もしその時までにリトを好きだと自覚したら——」
リトは彼女にスキルを使っている。今の様子を見ると好意を持っている自覚はないが、いずれ彼女は気づくだろう。
その想いの丈を私は知っている。
リトには謝らなければならない。私がしようとしていることは最低で、リトの信頼を裏切るものだ。
ただ、それでも。私は、リトの方が大事だ。
「——————————————」
私は彼女の返答を待たず部屋を後にする。
私の願いを伝えた時の彼女の表情。それは、人の言葉で表現できるものではなかった。