その4 光の忠告
2009年8月28日
そのまばゆい光が急に目の前に現れたのは、春恵が信一郎の引っ越しを手伝い終えた夜のことだった。
そう───彼女の再スタートはこの日の昼から始まったのである。
自宅に戻った春恵は、自分の部屋を驚きながら眺めていた。
まさしく20歳の頃に過ごしていた部屋。記憶が徐々に蘇る。
運気を高めるためにと、置物から壁紙、カーテンやカーペット、ドアノブカバーに至るまで黄色で統一された気持ち悪い部屋。悪趣味以外の何物でもない。
ここまでひどかったのかと首を傾げた春恵。でも記憶をたどると間違いはない。
なのに、そのうちなんだか懐かしく思えてきて、しまいには込み上げる笑いを抑えきれずに声を出して笑ってしまった。
愛着のあったベッドに寝転がった春恵。もちろんこれも私が黄色に塗り替えている。
このベッドも長持ちはしたけれど、2020年頃には壊れてしまい、分解して粗大ゴミに捨てた。
笑いのおさまった春恵が、一転して口を真一文字にキュッと結んだ。
不意に押し寄せた不安が一気に心の中で増幅してゆく。
───本当に私はここからやり直せるんだろうか?
まさに今、14年後の死の淵から、20歳の自分の時代にやって来た春恵。
やり直すも何も、すでに春恵は一度経験したこの時代を変えてしまっていたのである。
その出来事というのが、昼間に信一郎の引っ越しの手伝いをしたことにある。
一度経験した過去完了の自分史の中にも、確かに同じ場面があった。
しかし、春恵はそのとき信一郎の手伝いはしていない。
引っ越し作業を目撃したのは確かだが、物影から気づかれぬように隠れ、そっと涙していただけ。
つまり、信一郎のそばに出てゆく勇気すらなかったのだ。
その時までにつかめた事実と言えば彼の名前だけ。
通勤時にただ一度、彼がネームプレートを首から下げたまますれ違ったことがある。
おそらく、たまたま会社での習慣が自宅で出たのだろう。
でもそれが春恵にとっては願ってもない幸運に他ならなかったのである。
だが、ささやかな進展もそこまで。
結局彼は春恵の元から去って行き、それ以来、風の便りに結婚したという噂を聞いただけで、二度と会うこともなかった。
そういうかつての悔やんだ経験を繰り返さないためにも、今回春恵のとった行動は、彼女自身大満足に値するものだと言えよう。
丁重に信一郎と挨拶を交わし、そのあとは会話もろくにないまま、必死に慣れない荷物運びを最後までやり通した。
実際のところは、“憧れの君”を目の前にした極度の緊張により、会話ができる精神状態ではなかったというのが本音。
「本当に助かりました。あなたのような親切な人は初めてです」
タオルで汗を拭きながら、さわやかな笑顔で春恵にお礼を言う信一郎。
春恵にとっては、その言葉だけで天にも昇る思いだった。
彼の視線がストレートに自分に向けられている。
視線ビームとも言うべきその威力がとても強過ぎて、耐えきれずに目をそらせた春恵。
「いえ…ちょうどヒマだったので…」
「それにしても、赤の他人にここまでしてくれるなんて、普通そんな人はいないですよ。甘えてしまった僕もいけなかったんですけど…」
「そ、そんなことないですっ…!」
これだけ言うのが精いっぱいの春恵。
だがこれではいけない。もっと大胆にいかなければ前と同じだという思いも心をよぎる。
「あなたはボランティアでもしてるんですか?」
唐突にきた信一郎から質問。一瞬あっけにとられたものの、次の瞬間、春恵に一筋の光が見えたような気がした。
なぜなら、この質問に答えることで、自分の気持ちを正直に告白するチャンスを得たと確信したからである。
───天は私に味方してる。今言わなきゃ…今!
高鳴る胸。どもりながらも声に出そうと必死の春恵。
「ボ、ボランティアはしてません…す、好きだから…好きな人だから手伝ったんです…」
「えっ?」
「私、誰でも手伝ったりなんかしません。あなただから…あなただったから…」
数秒間の沈黙の後、信一郎が口を開く。そこには彼のさわやかな笑顔が保たれていた。
「あ、ありがとうございます。ちょっとビックリしたけど嬉しいです」
「ご迷惑なこと言ってすみません。聞かなかったことにしてもらってもいいです…」
「とんでもない。こんなんだったら引っ越しなんてしなかったのに…ハハハ」
春恵の思いが通じたのかどうかは、この時点では定かではなかったが、これを期に打ちとけた会話ができるようになったのは事実。
春恵の勇気ある一言の甲斐があってか、是非お礼をさせてほしいと懇願され、信一郎とメアドやケータイ番号も交換したのである。
帰り道、これぞ天に与えてもらった人生の大逆転チャンスだと、春恵は確信していた。
こんな一連の流れがあって、今はこうして黄色づくめの部屋にいる春恵。
押し寄せる不安と共に、人生の再トライに挑む自分もいる。
だが、春恵の意気ごみとはウラハラに、その方向性は別れの試練へと続いて行くのである。
その序章になったのがこの日の深夜。
あまり寝付けず、夢うつつのままに目を開けた視界の先に、人の立ち姿をしたまばゆい光が現れる。
顔の部位などは全くわからず、ただ輪郭だけが途切れ途切れにわかる発光帯。
通常なら、度胆を抜かれる光景なのに、不思議と春恵は平常心でいられた。
きっと、吸い込まれるように見入ってしまうその発光帯が、心を落ち着かせてくれている要因であると、春恵は直感した。
───これは人生を変えるものではない
「えっ?」
それはテレパシーでの通信だった。
明らかに発光帯は声を発していない。春恵の脳内に直接伝通しているのだ。
───そなたが自由に過ごせる期間は3か月。そのあとは連れて行く
まさにそれは衝撃的な言葉だった。
「連れて行くって…私をどこへ連れて行くの?死の世界?実際、私はもう死んでるってこと?」
───3か月の間に全て自分の納得する行動をしなさい。中途半端に終わらせると、そなたは浮かばれません
「やっぱりそうなんだ…」
意気消沈する春恵。
これは単なる妄想世界と変わらない。天が自分に与えたテストなのだと春恵は解釈した。
このテスト次第で、天国か地獄か、あるいは予想のつかない未知の世界でさまようのか判定されるだけなのだと。
───忠告します。信一郎と交際するのは自由。だが、3か月後には終わりにしなさい
「そんなことできるはずないじゃない!」
───信一郎の運命を変えてしまうことになります。彼には将来、伴侶になる女性が決まっています。
「ウソ!彼女なんていないって言ってたもん」
───今はいません。これから4ヶ月後に出会うのです。そなたにはそれを遮ることは許されません
「!!!」
(続く)