エピローグ~メッセージ・前編~
小林春恵さんのご両親様へ
先日は勝手ながら、春恵さんのおられる病院へ突然押し掛けて申し訳ありませんでした。
あの時の僕は、春恵さんの病状を知るや、いてもたってもいられない気持ちだったのです。
さぞ驚き、不思議に思われたことでしょう。
春恵さんと一度もお付き合いしたこともない僕が、世間では幻とも言われている薬を持っていきなり現れたのですから。
あの秘薬“トキノイタズラ”は最後の手段として使用するものですから、誰でもその決断には戸惑います。
それにも関わらず、僕のような素性の知れぬ男の言う事を信用していただいたことはまさに奇跡でした。
時間も限られた状態とはいえ、ご両親様の即決には感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、このような形をとらせていただいたのは、僕自身、説明責任を果たしていないと感じたからです。
ここまでに至る経緯は何だったのか?春恵さんと僕の繋がりはどこから始まったのか?
詳細を何も知らぬご両親におかれましては、今も心が煮え切らず、癒されることのない、せつない日々をお過ごしではないかと思います。
これから僕がお話することで、少しでもお二人のお気持ちが和らげられるのならと筆を執った次第です。
少し長くなりますが、どうぞご理解して下さいますようお願い申し上げます。
僕と春恵さんが初めて出会ったのは今から14年前のことでした。
と言っても、毎日出勤時に道端ですれ違う程度でしかなかったのです。
というのも、僕と春恵さんの出勤先の方向は、全くの逆方向だったからです。
時間帯も規則的で、彼女とはほぼ毎日のように顔を見合わせては交差していたのです。
そんな繰り返しの日々が続くうちに、いつのころからか、彼女は見知らぬ他人の僕に、優しく微笑んで会釈してくれるようになりました。
そしてそれが僕と春恵さんとの自然な挨拶になっていったのです。
一瞬のことではありますが、その日々の積み重ねが僕の心の中に、春恵さんという存在を大きくしていったのです。
でも当然ながら、お互い時間に追われている忙しい朝なので、立ち止まってお話をする余裕はありませんでした。
………すみません。これは言い訳に過ぎません。
正直に言いますと、その当時の僕に勇気がなかっただけでした。
僕は人から話しかけられないと、自分から物が言えないタイプの人間なのです。
特に女性に話しかけることは大の苦手と言っても過言ではありません。単に肝っ玉の小さい男なんです。
それゆえに、春恵さんと毎日すれ違う時間帯が楽しみでなりませんでした。
数秒にも満たない一瞬だけの挨拶。たったそれだけのことで僕はこの上ない喜びを感じていたのです。
そうです。気づくと僕は彼女に恋をしていました。どうしようもなく、好きになってしまったのです。
僕自身、こんな気持ちになるなんて不思議でなりませんでした。
相手のことを何一つ知りもせず、ましてや会話さえまともにしていないのに人に恋をするなど僕の人生において今までにはなかったことです。
でも……でも、その思いも結果的には成就しませんでした。
当時の僕はまだ極貧生活。アパートの家賃が払えずに、実家へ戻り遠距離通勤を余儀なくされる事態となってしまいました。
春恵さんを最後にお目にしたのが、まさにその引っ越し荷物を車に積んでいるときだったのです。
と言っても、彼女は物影から僕に気づかれぬようにそっと見ていたようでした。
ちょっと驚きましたが、彼女が隠れている以上、僕から声をかけるきっかけもつかめません。
彼女にとってもこのシチュエーションから出てくるのはバツが悪いだろうと考え、僕は気づかぬふりをしてしまったのです。
僕は荷物を車に積みながら、心の底ではずっと思っていました。春恵さんの方から何か話しかけてくれたらと。
今思えば、本当に都合のいい話でした。結局最後まで、僕と彼女が言葉を交わすことはなかったのです。
そしてそれが、僕にとっては生涯痛恨のミスになりました。
春恵さんとのわずかな繋がりが、僕の引っ越しをきっかけに断ち切れてしまいました。
後にも先にもこの場面が僕の運命を決める大きなターニングポイントになったことには間違いありません。
引っ越しが落ち着いて一月ほど経つと、僕の人生に急展開が待っていました。
僕に突然の縁談話が持ち上がったのです。
驚いたことに、相手は僕の同僚の女性・本田くるみという人でした。
彼女とは仕事の上では良きパートナーであり、それなりに協力し合って成果も出して来ました。
ですが僕からすればそれだけのこと。プライベートなことはノータッチでした。
もちろん彼女に対しては何の恋愛感情もなかったので、あまりにも意外な縁談話だったのです。
事の発端はわが社の社長です。大河原興三社長が直接僕に持ちかけた話なのです。
これにはやはりウラがありました。実は同僚の本田くるみというのは、社長の愛娘だったのです。
苗字は偽名でした。自分が社長の娘だということで、特別視されることがいやだったのがその理由です。
彼女は一人娘で、社長にしてみれば跡取り問題も含めた養子縁組がいつも構想にあったそうです。
僕に白羽の矢が立ったのは、彼女が判断し、僕ならば見込みがあると社長に進言したそうです。
僕は迷いました。恋愛感情抜きで決められる結婚なんて、時代が違うんじゃないかと。
意外だったのは、社長の娘本人がそれで納得しているということでした。
僕が幾日も返事に躊躇していると、社長は条件をつけてきました。
それはうちの親のことです。
僕の父親は中小企業を営んでおりましたが、この不景気の波に巻き込まれ、多額の負債を抱えて倒産寸前でした。
その負債と、企業のテコ入れに惜しみなく力を貸す代わりに、僕が大河原家に婿養子になるという条件です。
僕は父親の企業を継がない親不孝者。今まで両親には迷惑しかかけていませんでした。
そんな僕が、大財閥に婿養子として入るだけで、親孝行できるなら、願ってもないことだと判断したのです。
こうして僕とくるみは、恋愛で結ばれることなく、結婚することになったのです。
しかしこの世の中、順風満帆にはいきません。社長である興三が持病の悪化で急死しました。
まだ若すぎる上、血の繋がりのない僕に、まわりの大河原親族は誰も跡取りとして認めてくれませんでした。
遺言が文書で残っていればまた少し違った展開だったのでしょうが、そんな形跡もありませんでした。
社長の奥様はすでに他界しており、2つ下の弟さんもいたのですが、全く畑の違う業種でしたし、健康面にも不安があるということで辞退されました。
結果、親族の誰もが納得する社長に選ばれたのが、直系のくるみだったのです。
僕の役職は営業部長より上にはいきませんでした。
元々恋愛感情がない僕ら夫婦。でもお互い毛嫌いしてるわけでもなく、それなりには過ごしていたのですが、くるみの社長就任により、彼女の態度も一変しました。
妻が上司ですから、命令されるのは当たり前ですが、プライベートにおいても僕を見下すようになりました。
下世話な話ですみませんが、夜の夫婦生活など一度もありません。
結婚した以上、好きになろうと努力はしたつもりですが、くるみにその気は全くなかったのです。
一度、彼女に聞いてみました。なぜ僕と結婚したのかと。君が社長になるなら、僕は最初から必要なかったんじゃないかと。
彼女はすぐに言いました。父親を安心させたかったのだそうです。
くるみは父親の持病を知っていました。父の身にいつ何が起こるかわからい中で、一刻も早く婿養子を決めること。この実現が最大の親孝行だと。
僕はまんまとそれに利用されただけだったのです。
くるみは仕事面では非の打ちどころのないほど完璧でした。
それゆえ、僕に頼ることなど毛頭なく、彼女との隔たりは広がるばかり。
こうして二人の仲は急速に冷めていったのです。
お互い離婚話もせず、ただビジネスのためだけに、仮面夫婦として実業界の付き合いに参加していました。
それから14年もの歳月が流れ───
ある日の休日、部屋で何気に聴いていたラジオのリクエスト番組で、DJが投稿ハガキを読んだその名前に、僕は思わず飛び上がってしまいました。
そうです。それが小林春恵さんだったのです。
(続く)