8.「・・・ごめんね」
「レイさ―ん!これどうしたらいいかなぁ?」
「それはそこに置いといてくれたらいいよ」
マレットちゃんが帰ってきてから1週間ほど経って、日々の生活にもいくつか変化があった。
まず始めに、マレットちゃんが仕事を手伝ってくる様になったこと。
帰ってきて3日ほどはゆっくりのんびりしていたマレットちゃんだったが、自分だけ休んでいるのは申し訳ないと、自主的に俺の手伝いをしてくるようになった。
マレットちゃんも俺と同じくまだ剣の一本も打ったことはないそうで、親父さんの仕事を邪魔するのもいけないから、手伝えそうな俺の方を手伝ってくれている。
マレットちゃんはかなり働き者で、わからないことがあればすぐに俺に聞きに来るし失敗しても隠さずちゃんと報告してくれるし、とても楽をさせて貰っている。
始めこそ、力仕事を避けて仕事を割り振っていたのだが、どうやらこの娘、俺よりも力がある。
その証拠に今も、鉱石類の詰まった木箱を楽々と抱えてひょいひょいと運んでいるし。
俺としては少しどころではないぐらい情けないことなのだが、どうしてもこういう配分になってしまうわけが他にあった。
「け、計算は苦手・・・かも?」
マレットちゃんは計算・・・いや、事務作業全般が壊滅的だった。
一度帳簿の精査を頼んだ事があったが、その時は10分持たずに頭から煙を上げる勢いで目を点にして右往左往していた。
それから更に10分後には帳簿に突っ伏してよだれを垂らしながら、安らかな寝息をたてるマレットちゃんの姿があった。
「ご、ごめんなさいっ!私べんきょーは苦手で、気が付いたら眠っちゃうの・・・」
学園ではよく教師から居眠りを注意されると言っていたが、この調子ではほとんどの授業寝てるんだろうな、と引きつった苦笑いを浮かべたのはいい思い出だ。
それからというもの、毎日一時間マレットちゃんに勉強を教えている。
これが変わったことの二つ目。
マレットちゃんが仕事を手伝ってくれるお陰で、時間的な余裕はたっぷりあるので、じっくりと根気強く教えてはいるが、この娘の勉強嫌いはかなり度がいっていて、簡単な引き算足し算ですら知恵熱を出すぐらいだ。
でも、マレットちゃん自身も、このままでは駄目だと思っているらしく、逃げ出すということはない。
そして、これまでこの娘と触れ合って分かったのは本当に良い子だということ。
どこまでも純粋で無邪気なマレットちゃんは信じたことや感じたことをそのまま自分に反映する。
だから、勉強自体は苦手でもちゃんと教えたことは覚えているし、駄目だよと言ったことは絶対にしない。
マジでこんな良い子が実在してるのかと思ってしまうような娘なのだ。
見た目の愛らしさも相まって、悪い印象を抱くほうが難しいぐらいだ。
「・・・・・・ふぅーん」
と、マレットちゃんの事を褒めるとお嬢は決まって、めちゃくちゃ含みのある生返事を返してくる。
これが最後の変わったこと。
マレットちゃんが来てからお嬢の機嫌が常に悪い。
毎日お嬢の元へ訪れている俺だが、ここの所話す話題がずっとマレットちゃん関連の話ばかり。
始めは意に介してなかったお嬢だったが日が立つ毎にちょっとムスっとし始め、一週間でこんな感じになってしまった。
まぁ、マレットちゃんばかり構っていて拗ねているんだろうが、それを口に出せないのがお嬢で。
サイドテールをいじいじしながら俺の方をチラチラ見ているお嬢が言わんとしようとしているのは、多分―――
『もっと構いなさいよ!』
なんていう単純明快な嫉妬。
とはいえ、マレットちゃんがこちらに滞在できるのは一ヶ月だけ。
だからこそ、この機に少しでも仲を深めたい。
だが、そうすればお嬢の機嫌が悪くなる。
お嬢のご機嫌取りにどうしたものかと頭を悩ませる日々ではあるが、全体的に充実した毎日を送っているのは間違いない。
そんなある日のことだ。
いつもどおり仕事を熟し、休憩がてらにカウンターで武器を磨いていた時に、不意にドアに付いたベルがカランカランと音を立てた。
「いらっしゃっ―――」
突然の来客に定型文で返そうとした俺だったが、その客の格好に思わず言葉を詰まらせた。
彼らはブレザーのような服に身を包み、各々が武器や杖などを携えている。
俺はその姿には見覚えがあった。
マレットちゃんを迎えに行った時、彼女もこの服を着ていたのだ。
つまり―――
「あーっ!どうして皆がいるの!?」
「近くまで来ていたからね。地元はこの辺だって言うのは知ってたから、来てみたんだ」
「ぐっ」
「迷惑かなって思ったんですけど、来ちゃいました・・・。すいません」
彼女の学友―――クラスメイトということなのだろう。
心底驚いたようなマレットちゃんをみて、サプライズが成功して二人は満足げな顔をして、片方の子は親指を立てている。
もう一人の子は、申し訳無さそうに謝ってはいるがまんざらでもなさそうな感じだし、たったこれだけのやり取りでも、彼女たちの仲の良さはよく分かった。
それにしても、男女比が随分と偏った集団だ。
親指を立てている娘と、謝っている娘、それにマレットちゃんを合わせれば見事なハーレムの完成だ。
だが、何というのか間違いなく距離感は近いのだが、下心みたいなのは一切感じないのが不思議だった。
そんな彼らに質問を投げかけたのは、当然マレットちゃんだった。
「ハフトくん、久しぶりに幼馴染に会いに行くって言ってなかった?」
「フッ、僕と彼女は運命で繋がれているからね。愛を確かめられればそれで―――」
なるほど。
そりゃあ、恋人がいるならハーレムも何もないだろう。
「嘘。ほんとはチキって逃げただけ」
そうやって茶化すのは、サムズアップしていた表情の乏しい銀髪の女の子。手に持った分厚い本をペラリとめくりっているが、俺は確かに見た。
いまいち感情の読めない感情の起伏の少ない彼女がほんの僅かに口角を上げたのを。
―――コイツ、煽りなれてやがる。
無表情でクールのように見えるが、俺には分かる。
コイツ絶対、内面は愉快なこと考えてる。
「ぐっ!?そ、そんなことはないさ!今回は勇気を出して―――」
そんな銀髪少女の言葉に一瞬動揺を見せたが、打って変わって勝ち誇ったような表情を浮かべているのは、ハフトと呼ばれている件の青年である。
さらりと流している金髪と透き通った青色の瞳に整ったルックス。
一見、優男としか思えない様な容姿をしてる彼は、意外にもガッチリとした体型をしており、分厚い制服の上からでもよく鍛えられているのが分かる。
そしてその立ち振舞からは、育ちの良さを感じる、なんとなく優雅な雰囲気が漂っており、恐らく貴族かなにかなのだろうと推測できる。
そんな彼はさぞ女性の扱いは慣れているのだろうと思ったが―――
「て、手をつないだんだ!どうだ!凄いだろう!」
コイツ、見た目に似合わずとんでもねぇチキンだ。
そんな子どもでも出来るような事をよくこんなに自信満々に言えたものだ。
逆に尊敬できる。
「その分だと死ぬまでにキスできるかどうかだよな・・・?」
「ハフト先輩、キザっぽいけど初心なんです」
俺のそんな呟きに対して律儀に返答を返してくれたのは先程、唯一謝っていた地味めな茶髪の女の子である。
彼女の印象は・・・何故だか普通意外の言葉が湧いてこない。
いや、他に表現する言葉はあるのだが、平凡とか月並みという表現しかできないぐらい、なんか・・・地味なのだ。
いや、この3人の中で即座に謝罪できる社交性と常識を持った人物ではある。ハフトくんのことを先輩と呼んでいる辺り、彼女だけは下級生らしい。
が、このメンツの常識人枠ってめちゃくちゃ苦労してそうだ。
「なるほどねぇ」
まぁ俺も今の今まで、仕事一筋で彼女なんて出来たことはないし、似たようなもん・・・っていうか、俺負けてるわ。
そんな彼女たち・・・主に銀髪の娘の口撃だが・・・の、茶化しに耐えかねてか、顔を赤くしながらごほごほとわざとらしく咳き込んで、割り込んだ。
「そ、その事はいいじゃないか!今はもっと大事なことがある!だろう!?」
手を叩いて、完全に場の空気を切り替えたハフトくんは、急に真面目な顔をして、そう言った。
まぁ、わざわざ此処へやって来たのは当然理由があるだろう。
「ん。インターンなう」
その理由をハフトくんの代わりに代弁したのは銀髪の娘だった。
てか、インターンって、異世界の学園ってそんな制度まであるのか。
異世界とはいえど、現代の教育機関とやってることは変わらないのは素直に凄い。
と、関心したのも束の間。
「今、皆でパーティー組んで冒険者として活動してるんです。それで―――」
「マレットくんも誘おうと思ってね」
地味な娘のから突然飛び出した「冒険者」というワードに一瞬びくり、と反応してしまった。
最早、俺には関係ないと割り切っていたはずだが、やはり心のどこかで凝りとして残ってしまっているらしい。
俺のことですら無いのに、本当に無駄な悔恨を残してしまったものだ。
「・・・え?でも―――」
そして、意外にも俺と似たような反応を見せたのは、マレットちゃんだった。
浮かべていた笑みがぴしりと凍りつき、いつもの様子からは考えられないようなぎこちない笑みを浮かべて、優柔不断に単語を吐き出している。
「やること事態は簡単な採取クエストや低級モンスターの討伐ぐらいで、危険なものもないし、この近辺で行えるものばかりだ」
彼らの説明を受けるマレットちゃんの瞳は、不安に揺らいでいた。
「パーティー枠は4名で申請してあるから、参加自体は問題ない。当然、マレットくんの都合もあるだろうから無理にとは言わない」
どうだろう?と問われ、マレットちゃんは少し悩んだ様なフリをして、ゆっくりと首を横に振った。
「・・・ごめんね」
それは今の彼女が出来る精一杯の意思表明。
いつものような天真爛漫な笑顔は消え失せ、代わりに貼り付けられた悲壮に濡れた悲しい笑顔を見て、ハフトくんはこれ以上は駄目だと判断したのだろう。
「―――そう、か。いや、無理に誘って悪かった。・・・っと、実は此処によったのはそれ以外にも大事な用事があってのことなんだ!」
ハフトくんは一瞬心配そうな表情を浮かべて、マレットちゃんを見て、何事もなかったように話題をそらして話を続けた。
「実は僕の剣が欠けてしまってね。新調しようと思っていたんだよ。よければ、新しい剣を見繕って貰えないかい?」
「・・・うんっ!それぐらいならお安い御用だよ!」
マレットちゃんも彼の意思を尊重してか、何事もなかったようにいつもどおりの
笑みを浮かべて、彼らの輪の中に駆け寄って行った。
きゃいきゃいと微笑ましくも騒がしく戯れる彼らの姿は、あまりに眩しくて。
思わず、目を逸らしてしまったぐらいだ。
だが、そんな光景よりも俺の頭の中を支配していたのは―――
『・・・ごめんね』
さっきのマレットちゃんの、泣きそうな笑顔がどうしても忘れられなかった。