39.「帰還」
「これ、は」
リンにとって俺以外の人間との邂逅・・・といってもほぼ寝たきりで生きているかすらも怪しいが・・・は、予想していても驚愕に値するものだったらしく、リンは病室の入り口でしばらく呆然と立ち尽くしていた。
そんな反応を見せるリンとは反対に、全く迷うこと無くベッドの側まで歩み寄った俺は、真っ先に3人の手を取って、脈を確認した。
「生きてる、よな」
俺の若干震えている指越しに感じる、とても静かで今にも消えてしまいそうなほどにささやかな命の鼓動は、確実に鼓動を刻み続けていた。
その事実と此処まで辿り着くことが出来た満足感と達成感が相まって、ようやく肩の荷が下りたような感覚に一気に体の力が抜けてしまった俺は近くにあった古びた木製の椅子へ、どかりと腰を下ろした。
俺は腰が抜けたような感覚に身を委ねながら、腰掛けに腕を掛けて深い溜め息を一つ吐き出して思わず天井を仰ぎ見た。
確かにこの3人の生存は確認できた。
しかし、このまま全てが丸く収まるわけではないのだ。
(・・・そもそもこの魔剣に封じられた魔物の封印は何故、解かれかけていた?)
リンの力を吸い取って蓄積した力が丁度このタイミングで、封印を上回る程に魔物を成長、あるいは復活させ、今になって封印を破りかけている?
確かにその可能性もありえるだろうが・・・そんな考えは都合が良すぎる。
恐らく、きっかけはもっと単純で。
(―――1ヶ月前の事件、魔剣に取り込まれ死亡したギルド職員、未だ生き続けている3人の存在・・・)
元々、現実に力を及ぼせる程に力をは付けていた、というのはもちろんあるだろうが・・・恐らく直接のきっかけは彼らだ。
ダンジョンの奥地でこの剣を発見し取り込まれたのが1ヶ月前で、その間に発生した犠牲者は4人―――その内訳はレクスさんのパーティーメンバーであるこの3人と、ギルド職員が1人。
そして、既に死亡しているとされたギルド職員の死因は「衰弱死」と断定されていたことから、こちらはこの世界に耐えきれず死亡してしまったのだろう。
だが、彼ら3人はそのギルド職員とは異なり・・・「Sランク冒険者」という肩書を持つ一流の実力を持った者たち。
だからこそ、彼らはこの世界の環境に耐え、こうして生き延びられている。
とはいえ・・・彼らはリンや俺達のように、中心からかけ離れた世界の追いやられ、じわじわと終わりを待っていたわけではない。
こうしている今も彼らが目を覚ます気配は一向に無く、見るからに生気の失われた青白い顔は、もう死んでしまっているのではと錯覚してしまったほど、弱っている。
それに、今この世界を構成させている力の源は―――。
「―――この者たちは、もう殆ど・・・この世界と同化してしまっている」
「・・・あぁ。分かってる」
リンは病室におずおずと足を踏み入れながら敢えて彼らの現状を俺に伝えたのは、彼女なりの優しさだろうが・・・リンと一体化したからか、俺にもそれが理解できてしまっていた。
彼らの手を取った時、希望は同時に絶望へと転化し、感じていた満足感や達成感は一瞬でかき消えた。
今思えば、リンはひと目見て彼らの状態が理解出来たからこそ、病室にはいることを躊躇したのかもしれない。
(―――まだ、まだなんとかなる)
何の根拠もない希望に縋って少しでも足掻こうと思考を回転させるが・・・もう既に出てしまった答えはどうあっても覆らない。
目の前の答えに対して、俺が出来ることは最早存在しておらず、この抗えぬ現状に拳を固め、奥歯を噛み締め・・・必死に滲み出る無力感に抵抗している、そんな時。
血が滲むほどに固めた右拳に、そっと手が添えられた。
始めはリンがそうしたのかとも思ったが、添えられた手から伝わってくる弱々しく冷たい感触は、たった今俺が触れていた・・・レクスさんのパーティーメンバーの一人である女性のもので。
俺が驚愕し声を上げるよりも先に、彼女は今にも消えてしまいそうなほどに儚く、しかし何処までも慈愛に溢れた優しい笑みを浮かべ、俺の手を握り・・・そして小さく呟いた。
「―――そんな顔、しないで」
俺を励まそうとした・・・のではないのは、彼女の表情を見ればすぐに分かった。
彼女の細く開けられた、今にも閉じてしまいそうな微睡んだ瞳から伝わる、全てを悟りそして諦めたような―――レクスさんと同じ表情をしていたから。
だからこれは、彼女の最後の感謝の言葉。
―――ありがとう。これで報われた。
そんな、全てを擲ってなにかに想いを託そうとする、今際の言葉。
「お、俺―――ッ!レクスさんを、貴方達を助けたくて、此処まで来たんです!だから、だから―――ッ!!!」
これまで抱き続けた想いが炸裂する。
だが、これから先の言葉は・・・俺が言うにはあまりに重い。
―――諦めないで
たったそれだけ。
されど、これ以上に酷で無慈悲で、無責任な言葉は存在していない。
激情の中ですら俺はその言葉を吐き出せず、躊躇したのはどうにも出来ない現実の前で、俺自身も殆ど諦めてしまっていたからだ。
「―――知ってるわ」
だが、彼女は変わらず弱々しく俺の手を握り、そんな此処の内も見透かして居るかのように、俺を諭すように優しく、穏やかに語りかけた。
「貴方がこの世界で必死に頑張ってきたことも、レクスを救おうとしてくれたことも・・・そして、私達のことも救おうとしてくれたことも」
殆ど、コアと一体化した彼らは薄れ欠けた意識の中でも、きちんと俺達のことを視ていた。
だからこそ、彼女は自分の現状を何もかも理解した上で、自分の運命を受け入れ用としているのだ。
「だけど・・・もう、いいの。貴方は此処まで来てくれた。救おうとしてくれた。それだけで、私達は報われた」
きっとその言葉に何一つ偽りはない。
だけど、俺はまだ縋って居たい。
諦めたくない。
無様でも、どんなにみっともなく、無茶苦茶でも。
こんな結果で終わりたくない。
可能性が少しでも存在しているなら、足掻いて居たい。
「そんなこと―――!?」
苦し紛れに放とうとした俺の言葉は、そっと添えられたリンの手によってやんわりと遮られ、思わずリンの方へと振り向くとリンはこれ以上は無粋だと訴えるようにゆっくりと首を横に振った。
(―――分かってる・・・ッ!分かってるんだよ・・・ッ!)
レクスさんの時とは違って、全て出来ることはやってしまっている現状では最早俺に出来ることはない。
それに、これ以上この世界で無駄に時間を過ごせば俺達もどうなるかわからない上に、彼女の覚悟すらも否定してしまうことになる。
故に今、俺が彼女にしてやれることは、彼女の想いを最後まで聞くことだけ。
それしか出来ない悔しさに思わず握った手に力が籠もるが、俺の気持ちを察してか彼女はまた一つ、悲しげな笑みを浮かべて、続けた。
「私達はこの世界に捕らえられて随分と時間が経ってしまって、もう動くことすらままならない。私は最後にこの世界にやってきたからか、まだギリギリ意識があるけれど、他の二人は・・・もうダメ。息はあっても、もう目は覚ますことはないわ」
現実では1ヶ月ほどでも、この世界で過ごした彼女たちは一体どれほどの時間を過ごしたのかはわからない。
だが、気が遠くなるような途方も無い時間であったのは容易に想像がつく。
「私が死ねば、この剣に封じられた魔物は完全に力を取り戻し、現実に出てしまう。だから・・・お願い。この剣に封じられた魔物を、倒して。こんな有様でこんな事をするのは卑怯だとは思うけれど、もう私には時間がないの」
「・・・分かった」
彼女がそう言った時、既に病室は真っ白な光に包まれつつあったが、俺は敢えて了承の言葉を口にしたのは、彼女にこの責任を背負わせたくなかったから。
「・・・こんな事になって、ごめんなさい。そして・・・ありがとう」
俺の言葉を聞いた彼女は、光に飲み込まれていく病室のベッドの上で、静かに笑っていた。
「この世界は奴の庭のようなもの。此処で戦えば、勝ち目は薄いわ。だから、私の最後の力で貴方達を現実に戻す」
より一層輝きを増した光は世界を丸ごと飲み込み、やがて握られた掌から伝わる二人の体温のみがこの世界で感じられるものになった頃。
「・・・レクスに、伝えて。今まで、ありがとう、って」
「―――ッ!絶対、伝えるッ!絶対だ!!!」
―――ありがとう。
彼女のその言葉を最後に、俺達はついにこの世界から帰還した。