37.「再戦」
「―――ヴァォォアアアァオアォアアォアアアオッ!!!」
(思い通りにはさせてくれないってことかよ・・・ッ!)
俺の前に現れた三ツ首の化け物・・・ケルベロスを模した巨大な魔獣は、身の毛もよだつような恐ろしい咆哮を上げ、俺を威嚇している。
このビル街のように俺の記憶から複製したであろう、このケルベロスという魔物は、俺の印象に一番強く刻まれている絶望の象徴。
俺も、マレットちゃんもコイツによって一度コイツに殺されかけた苦いどころではない思い出がある。
あの時は、お嬢のおかげであっさりと倒せてしまったが、それでも俺はあの化け物に対する心に大きく刻まれたトラウマは未だに消え失せる事はなく、今も竦み上がってしまいそうな心をなんとか奮い立たせてこの場に立っている。
ロングソードを握る手が、汗ばむ。
「・・・ッ、うぉおおおぉぉぉおおおぉッ!!!」
巨大な存在感に唾を飲み込みながら、俺は意を決してケルベロスへと勢い良く駆け出し、斬りかかろうとした・・・が。
「ヴァアアァアァアッ!!!」
「―――ぐっ!?」
破壊的な大声量の咆哮に、思わず体が固まる。
「――がっ、はッ!?」
一瞬、なんてものではない大きな隙を、見逃してくれるはずもなく、無慈悲に叩きつけられた流体の体から繰り出される、ムチのように撓る爪の振り下ろしをまともに受けることとなった。
ケルベロスの巨体から繰り出された攻撃は、普通の魔獣の攻撃とは比較にならないほどの威力で、爆発的なその威力は街路のモノクロのタイルを砕き、俺の体を容易に吹き飛ばした。
「―――ッ!!?レイっ!!!」
(・・・やっ、べぇ)
何度もアスファルトの地面に叩きつけられ、混濁する意識。
遠くから聞こえたリンの声は、あっという間に消え失せて。
だが、全身に刻まれた擦り傷と打撲で痛む体を庇いながらもなんとか立ち上がれたのは、その直前に何とか構えていた剣を割り込ませることは出来ており、多少のダメージは軽減出来たからだ。
本当は攻撃を受け流そうと試みたが、今の俺では到底受けきれるものではなく、なすすべなく吹き飛ばされてしまった。
圧倒的な戦力差に心が折れそうになるが、それでも立ち上がる。
(少しでも、時間を稼がなければ)
今の一撃で、このケルベロスとの絶望的な戦力差は身に沁みて理解できた。
だけど、それは立ち止まる理由にはならない。
勝つことは出来ないかもしれない。
でも、俺に出来ることはまだある。
なら、立ち上がらなければ。
戦わなければ。
皆は―――レクスさんや、リンはこれ以上に辛い想いを抱えながらずっと戦い続けた。
その想いを、無駄にしてはないけない。
途切れさせてはいけない。
「―――まだ、終わってねぇぞ・・・ッ!」
痛みと恐怖で震える体を無理矢理ねじ伏せて、ロングソードを強く握り込む。
熱に浮かされた思考の中で、はっきりとあの化け物の姿を捉える。
「ヴァォォアアアァオアォアアォアアアオッ!!!」
勝ちを確信した勝鬨の咆哮なのか、俺を仕留めきれなかったことに対しての怒りの咆哮なのか・・・遠くからでも鼓膜を揺るがす咆哮に、今度は怯むこと無く一歩を踏み出した。
(―――そうだ)
勝てないかもしれない、なんて弱気では勝つものも勝てない。
この世界で俺は、少しだけ強くなれた。
それは―――リンが居てくれるからだ。
(初めて、名前呼んでくれたな)
こんな時だと言うのにその事実がなんだか嬉しくて、笑みが溢れる。
リンは過保護だから、無茶をすれば怒るだろう。
でも、此処で頑張れなきゃ・・・俺が俺でなくなってしまう気がするんだ。
今まで積み重ねてきたもの、背負ってきたもの。
それらが崩れて、もう立ち上がれなくなってしまいそうな気がする。
だから―――
(俺は、戦うよ)
もう、覚悟は決めた。
あの時と同じ様に。
「―――ぐぉ!?」
ガチガチに固まって強張っていた俺の思考が、ようやく解けて動き始めたその時、不意に腹部に強烈な衝撃が襲いかかった。
あまりに急な出来事に、体を支えきれず俺はその場に押し倒され・・・ようやく自分に起こったことを理解した。
「リン!?な、なんで!?」
俺に襲いかかった衝撃の正体は、ケルベロスの攻撃ではなく・・・『次元転移』の準備中で動けないはずのリンで。
どうしてこんな所に居いるのか・・・なんて愚問であるはずなのに、そう言ってしまったのはリンの表情を見てしまったからだ。
「私を、孤独にしないでくれっ・・・!」
必死に俺に抱き縋りながらボロボロと泣き崩れるリンは、俺の覚悟を察しているからこそ、こうして来てしまったのだろう。
「で、でも、リンが『次元転移』出来なきゃ―――」
「そんなのはどうだって良い!私は・・・貴方が居てくれればそれで、いいんだ・・・」
泣きじゃくるリンの悲痛な叫びに、思わず頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受け、ようやく気が付いた。
(俺は、バカか)
下手に力を付けたせいで、俺は自分一人で何もかも解決出来る気でいた。
頑張ればどうにかなる。
その結果、俺が死んでもリンが助かればなんていう身も蓋もない自分勝手な結末が、最善の結末なんだと思いこんでこの命を投げ出そうとした。
でも、リンはそんな事これっぽっちも望んでいないだろう。
この1年近い年月、ずっとリンと一緒に戦ってきてこの子の気持ちは痛いほどに理解しているつもりだ。
それに初めに戦うと決心した時、約束したじゃないか。
『私と一緒に戦って欲しい』
これまで、俺はリンという少女に救われてきた。
始めから、今までずっと。
だからこそ、俺は助けたかった。
それこそ、決死・・・自身の命すらも投げ出してしまってもいいと思えるほどに。
(だけど、そうじゃないだろ)
俺が死んで、リンだけが助かる?
俺が求めたのは、そんな妥協の末の最善じゃあない。
どんなに辛くても、どんなに苦しくても、全部掻っ攫って、皆で笑えるような。
そんな―――最高のエンディングだ。
リンが俺の元へやってきたこの時点で、もう最善はありえない。
もうケルベロスも、着々とこちらへと近づいている。
だったら、俺がするべきことは一つ。
「―――リン」
リンの目頭に浮かんだ大きな雫を優しく掬い上げて、俺は腰に回されたリンの手を取り、そして過去に受けたあの言葉をそのまま。
「俺と一緒に戦ってくれないか」
俺のそんな言葉を受けたリンは一瞬驚いたように俺の瞳を覗き込み。
目元に溜め込んだ大きな雫を振り払う様に、いつも通りの下手くそな笑みを浮かべて―――
「―――とう、ぜん!」
リンは俺へ抱きつくように飛び込み、そして―――お互いの唇が触れ合った。
歯が当たる感触に悶えるような暇も、驚いている暇もなく俺達は眩い光に飲み込まれて行き。
やがて、その光はモノクロの世界を真っ白な光で包み込んで、急速に一点へと収束していった。
そして・・・その中から闇に溶け込むような艷やかな光沢を放つ漆黒の機兵が、輝かしい光を斬り裂くように現れた。
一歩踏み出すごとに関節部からガシャンとけたたましい金属音が鳴り響かせ、街路のタイルを易々と踏み砕く、5m程の重装甲の機兵は悠然とその場に佇み、ケルベロスと相対していていた。
10体の魔獣が集合したこのケルベロスもどきは、5m程もある機兵よりも大きいが、その存在感は漆黒の機兵のほうが遥かに上で。
なんの感情の籠もっていないケルベロスもどきの真っ黒な双眸に、わずかに恐れの感情が宿った・・・が、そんなことなど関係ないとばかりに振り下ろされた撓る爪撃は、漆黒の機兵へと直撃した―――かに見えた。
「グヴァアァアアオァオアァ!!?」
いつの間にか機兵の手に握られていた巨大なロングソードがケルベロスの片足を斬り飛ばしており、その攻撃は機兵へと届くことはなかった。
根本から斬り飛ばされたケルベロスの片足は、街路にどちゃりと落ちるとそのまま地面へと吸い込まれるように消えていった。
どぼどぼと黒い液体を垂れ流すケルベロスの切断された片足に体の一部である漆黒の粘体がうぞりと集い、まるで闇を編み込むような動きで失った片足を再度形成し、一瞬にして元通りに状態に再生した。
だが、そんな一瞬ですら致命的。
次の瞬間、懐に突然現れた機兵によってその身を斬り刻まれ、その体を霧散させた。
「―――これで、終わりだ」
堂々とその場に仁王立ちする漆黒の機兵・・・俺達の手によって、あまりに刹那的な決着を迎えることとなった。