33.「稽古」
「・・・そろそろだ」
あれからまた数日間掛けて魔獣の存在位置にまでやって来た俺達。
「―――リン、ちょっと待って欲しい」
いつも通り、魔獣の存在を寸前に感知すると俺の手を離し、いつも以上にキリリと表情を引き締めたリンだったが、俺はそんなリンを引き止めるように、急いで腕を掴んで引き止めた。
「・・・どうしたんだ?」
俺の方を向いて可愛らしく小首を傾げるリンは、早く済ませてしまいたいのか少し焦っているような様子だが、少しずつでも進めておかなければならないこともある。
「少し、俺に稽古をつけて欲しいんだ」
「ここで、か?」
「あぁ」
俺がこのタイミングでこんな提案をしたのは、2つの意味がある。
まず1つは魔獣の出現条件の調査。
『特定ポイントへの侵入』が出現条件の一つであることはわかったが、他にも時間経過などの条件も調べておきたい・・・が、これは正直おまけみたいなものだ。
というのも、俺は魔獣達の出現条件は『特定ポイントへの侵入』で間違いないと思っているからだ。
現状得た情報と、状況証拠からほぼ確定と言っていい。
だからこれはおまけで、さっき俺が言っていた「稽古をつけて欲しい」というのが本当の理由。
森の世界で魔獣たちと戦って、痛感した自分の弱さ。
所詮付け焼き刃に過ぎないかもしれないが、何もやらないよりも少しでもなにかしておきたい。
「俺も、リンと一緒に戦いたいから。少しでも、強くなりたいんだ」
「・・・そう言われては、断ることも出来ないな」
一般人よりも少し強い程度でしか無い俺では、まだリンの背中を守るなんてのは無理だけど。
いつかはそうなる。
なりたい、なんて不透明なことは言わない。
やるからにはそれぐらいは出来なければやる意味がない。
―――それが俺の、通すべき覚悟だ。
・・・
リンに稽古をつけてもらうことになってから・・・どれぐらい経ったただろうか?
少なくとも、魔獣の出現位置までやってくるまでに掛けた時間よりも長いのは何となく分かるが、酷く時間の感覚が曖昧だ。
「・・・す、少し厳しすぎただろうか?」
「い、いや・・・。これぐらいしてもらわないと身に付かないから、な」
というもの、リンの稽古はとんでもなく実践的で、剣の素振りなどの基礎的な動作の研鑽ではなく、リンとの模擬戦を繰り返すことによって、戦いの地力を積み上げさせるというものだったからだ。
リンも、元々はこうして魔獣と戦うことによって今の実力になったからなのか、自分のやっていることを言語化して伝えることが難しいとのことで、こういう形式になったわけなのだが・・・。
「今回はどれぐらい寝てた?」
「ん・・・。数時間、だろうな」
こういう実践的な形式を取っている弊害として、基本的に決着が俺の気絶になってしまうために、俺の時間感覚はどんどん曖昧になって行っている、というわけだ。
それでも、リンに稽古をつけてもらっている成果は間違いなく現れ始めていた。
「―――はぁ!!!」
「っ!」
リンの繰り出した手刀を躱しつつ、牽制に放った攻撃は躱されることを前提に振るい、改めて距離を取ってリンの動きを観察する。
リンの戦闘スタイルは高速で接近して一刀で仕留める、という効率的に敵を殲滅することに特化したモノだ。
スピードに翻弄され、一度でもリンの姿を見失えば、次は殆ど不可避の超高速の一撃で沈められる。
そのために、初見殺しと不意打ちにかなり比重が寄っている。
故に、その対応策は実に単純。
(―――良く、観ろ!)
リンの動きに合わせて、カウンターを合わせる。
実際はリンの動きが速すぎて合わせるというより「置いている」様な感じだが、それでも完全に対応できているわけではなく、カウンターを「置いている」せいで、リンからも見てから対応されてしまう。
だからこそ、リンの動きを見切った上で最適な方法、タイミングで迎え撃たなければ逆にカウンターにカウンターを合わせられ、俺が沈められてしまう。
だが―――幾度かの立ち会いで、俺は自身の強みを認識し始めていた。
(―――そこ、だッ!)
砂漠を縦横無尽に駆け回るリンは移動の軌跡すら掴ませない程に速いが、俺の眼はきちんとリンの姿を捉えており、俺の死角・・・背後から攻撃してきていたことは分かっていた。
「っ!?」
振り向きざまに振るわれたロングソードの鞘は、リンの顎を少し掠めただけだったが、それで体制を崩したリンの手刀は軌道が逸れ、俺に当たることはなかった。
俺は返す刀でリンに追撃しようとしたが、その時にはリンは俺の射程圏外まで退いており、俺の攻撃は空を切ったが・・・この一撃は俺にとっては大きな前進だ。
(やっと、掠らせられた・・・!)
これまで掠らせるどころか、当てることすら出来なかった事を考えれば、これは非常に大きな進歩と言える・・・が。
「―――ていっ」
「ぐっは!?」
リンが気の緩んだ俺の一瞬の隙を逃すはずはなく。
気の抜けた掛け声とともに、振り下ろされたリンのチョップが脳天に直撃した俺は、膝から地面へ崩れ落ちた。
が、かなり手加減していてくれたらしく、一瞬意識を手放しはしたがすぐに目を覚ました俺は、そのまま息も絶え絶えに地面に倒れ込んで、四肢を地面に投げ出した。
「あぁ~油断したッ!」
一発掠らせただけで満足して、気を緩めてしまったのは良くなかった。
その前が良かっただけに非常に悔やまれる結果になってしまったが・・・リンはふるふると首を横に振って、口を開いた。
「・・・いや、大したものだよ。この短期間で私のスピードに対応されるとは思わなかった」
「偶々噛み合っただけ・・・って言いたいけど、今は素直に喜んでおこうかな」
今の俺の実力では、どうあってもリンには勝てない。
そんなリンからお褒めの言葉を受けたのは、俺が少しでも成長出来た証だ。
とは言え・・・トライアンドエラーと俺の戦い方が噛み合った結果がこれなのだから、まだまだ強くならなければならないのは確かだ。
「ん。今ぐらいの実力なら、魔獣たちに引けを取ることはないだろう」
「アイツらも動きがわかれば大した脅威じゃない・・・なんて、大口が叩ければいいんだけどなぁ」
「そうなる日も遠くはないだろうが、な」
リンのお墨付きもありはするが、慢心は一番の敵だ。
くだらない満身一つで自身の身を滅ぼす、なんてのはしたくないし、どんなイレギュラーがあるのかわかっていない状況では、油断なんて出来るはずもない・・・と思いたいが、慣れとはそんな当然の感覚すら破壊してしまうもので。
こうして強く戒めようとしていても、時間の経過とともにその覚悟は薄れて消え去ってしまう。
俺は・・・それが恐ろしくて仕方がない。
こうしている間にもレクスさんのことやリンの想いを忘れてしまわないか、不安でしょうがない。
忘れてはいけない。
心に刻みつけなければ。
そうやって自分に言い聞かせて、俺なんとか現状を生き延びている。
それすら忘れてしまえば。
きっと、俺は・・・。
そんな漠然とした不安を振り払うように一度だけ頭を振って、俺は元の調子よりも少し気分を上げるために、自分の頬をぱしんと挟むように叩いて直した。
「―――さて!取り敢えずここでの目的はほぼ終わったし、そろそろ次に進まなきゃな」
「・・・ん。もう、いいのか?」
「あぁ。リンのお墨付きもあることだし、ひとまずはな」
この世界での滞在期間は、恐らく1月ほど。
これほどの時間を費やして魔獣の出現が確認できないのならば、魔獣の出現条件は『特定ポイントへの侵入』で決め撃ってもいいだろうが、もう少し調べなければならないことも残っているのだ。
「で、なんだが・・・。今回は俺一人で魔獣の出現位置まで行きたいんだ」
俺がそう言った途端、リンは即座に俺に抱きついた。
「だ、だめだっ」
リンがそうした意味は―――俺への抗議のためだ。
元より過保護なリンが許してくれるとは思っていない。
だが、これは先のことを考えるならやっておかなければならない事なのだ。
「―――リン。何も俺一人でアイツらの相手をしようってわけじゃあないんだ。ただちょっと確かめたいことがあるだけだ。危ないと思ったらすぐに逃げてくる」
「・・・うぅ」
俺の説得を受けて、揺らいでいるリンにもうひと押しするべく、俺はリンの肩を両手で掴みながら、視線を同じ高さに合わせて続けた。
「それに、もしかしたら―――アイツらは出てこないかもしれない」
「・・・ど、どうして?」
「まだまだ推測の域を出ないが―――」
魔獣達は戦闘中、あからさまにリンの方を狙うことが多い。
それはリンの立ち回りが巧妙ということもあるのだろうが・・・一番初めの街の世界でリンに助けられた時―――リンが現れてすぐに、アイツらは俺なんてどうでもいいとばかりにリンへと標的を変えた。
あの時は得体のしれない化け物に追われて正常に判断が出来ていなかったが、今思えばあれは少しおかしい。
あの場での驚異となる者は確かにリンしか居なかっただろうが、それでも目の前に丸腰の獲物がいるのに無視なんてするだろうか?
それに、前の戦闘で理解したが、魔獣達は複雑な思考が出来る能力など無い。
だとしたら―――
「―――アイツらはリンを狙うように創られている」
この世界自体、元を正せばリンの能力が大本。
リンが能力の応用でこの世界の様々な異変を感知出来るように、魔獣達もリンのことを察知し、現れているのだとしたら。
「この世界との繋がりが薄い俺は、アイツらに感知されにくいかも、ってことだな」
そんな俺の説明を黙って聞いていたリンは、目をぱちくりと瞬かせながら俺を見ていたが・・・ふぅ、と息を一つ吐きだして観念したように俺から離れていった。
「・・・凄いな、貴方は。そんなに考えていたなんて、思いもしなかった」
―――私と違って。
そう自虐的に笑うリンだったが、俺はそれを否定するようにゆっくりと首を横に振り、自分の想いを吐き出した。
「どれもこれもリンが居ないと分からなかったことばかりだよ。到底俺一人じゃあ・・・いや。俺一人じゃあ、今生きてるかも怪しいな」
―――だから。
俺はそう付け足して。
「少しでもリンの助けになりたいからさ。・・・駄目かな?」
これ以上は俺も説得できる材料は持ち合わせていないし、これでも駄目だと言われれば俺は諦めるしか無い。
もしも、かもしれない。
そんな推測で無理に動いて、何かあればリンを悲しませてしまう。
それは・・・嫌だから。
だけれど、リンは―――
「―――そこまで言われて、駄目だ、なんて言えるわけもない」
そんな俺の気持ちを察してか、へにゃりといつも通りの下手くそな笑みを浮かべ、背中を押すようにぽすんと拳を押し付けて、俺を送り出した。
・・・なんて大げさなやり取りをしているが。
別に今生の別れだとか、しばらく会えなくなるとかではなく、ほんの数分一人になるだけなんだけどな?
それがなんだかおかしくて、一人歩きながら少し笑ってしまった。