4.「聖剣って知ってるか」
「知らない天井だ」
お決まりのセリフと共にベッドから起き上がると、そこはやはり知らない部屋。
タンスやクローゼットはあるが、他には殆どモノはなく、えらく閑散とした部屋という印象を受ける。
だが犬?いや猫?のぬいぐるみや、鏡に薄っすらと埃の積もった化粧台など、この部屋が元々どういう人間が使っていのかという推測はできる程度には物が残っている。
それらの状態と相まって、どことなく寂しさというか、物足りなさを感じるこの部屋は、主を失ってそれほど経って居ないのだろう。
このベッドもちょっとホコリっぽいが、人の手が全く入っていないわけではなく、定期的に掃除はされている。
まぁこの部屋を端的に表すなら子供の居なくなった子供部屋、そんな感じの部屋だ。
「なんで俺はこんなところに・・・」
此処は俺が今日目覚めたあの宿とはまるっきり違う部屋だ。
あの部屋は掃除はされていたが、酒瓶がそこら中に転がっていたし、家具なんてものはテーブルと椅子、ベッドにクローゼットぐらいなものだった。
いや、まぁ元の俺の家もそんな感じではあったが、もうちょっと家具はあった。
殆ど見ていないテレビとか、何も入ってないからコンセント抜いてる冷蔵庫とか。
・・・あれ、なにもないのと同じでは?
そんなどうでもいい事実は置いておいて、少し部屋を散策しようとベッドから立ち上がる。
「いたた」
立ち上がろうと体を撚ると体が痛む。よく見ると腕などあちこちにすん、と鼻につく刺激的な清涼感が漂ってくるガーゼが貼り付けられていた。
湿布的なものかとも思ったが、その香りはミントに近くどことなく青臭い。
ガーゼは乾いてカピカピになっていたが、ガーゼを触るとぬめりとした感覚が指先に伝わった。
「なんだこれ?」
軟膏的な塗り薬でも塗っていたのか、怪我していた部分はもう瘡蓋が出来ていて、殆ど傷は治っていた。
あれだけ派手にぶっ飛んで、気絶してしまった割には結構ピンピンしているし、打撲すらなく、ちょっと擦り傷が出来たぐらい。
飛ばされた時は死んだと本気で思ったが、異世界すげぇ。
いや、もしかしたら彼女が手加減してくれたのかもしれないが―――
「あ」
そうだ。
そこでやっと思い出した。
彼女は―――さっきの真っ白な空間は一体何だったのだろうか?
剣に見惚れていたはずなのに、気が付いたら剣どころか武器屋ごと真っ白な空間に早変わりしていたし。
まぁ、間違いなくあの剣に何かしらの曰くというか、理由があるんだろうが・・・。
それらのことが気にならない訳がないのだが、それよりも先にやらなければならないことがあるのだ。
それは―――
「腹減った・・・」
生物であれば誰であれ抱えている生理現象。
朝?は邪魔され、昼は気絶し、今の時刻は夕方近い時間帯。
それを知らせてくれたのは、時計ではなく窓から差し込む茜色の夕日だったが―――まぁ、正確な時間なんて関係ない。
ご飯が!食べたいの!そう訴えるように、俺の胃袋も唸り声を上げている。
とはいえ此処は異世界。
俺にとっては外国と何ら変わりない異邦の地。
そこで、言語や文化よりも高く立ち塞がる問題が存在している事を知っているだろうか。
そう、当然この流れであれば食事だ。
八角、パクチー、ナンプラー。
現地の人間は自分を受けれてくれるし、文化も自分が合わせれば問題ないが、食事だけはどうにもならない。
いや、マジで。
好き嫌いを矯正するなんて子供の頃から躾けていても難しいのに、大人がそれを正せるわけがない。
―――だが、その逆もまた然り。
本場のピザが食べたい!とか、海鮮食べたい!とか。
食の好みが旅の理由になることもしばしばある。
まぁぶっちゃけ、安牌を選ぶなら日本国内で〇〇料理専門店とかに行けば良いのだが、それは無粋というもの。
てか、俺は異世界に居るからその安牌は選べないし。
・・・と、さて。
なんでこんなどうでもいいことを長々と語って居るのかと言うと、この部屋の外・・・ドアを一枚挟んだその向こう側から良い匂いが漂って来ているからだ。
肉の焼ける匂いと、デミグラスソースのような濃厚でスパイシーな香りが混ざり合った香り。
食欲を強烈に掻き立てるこの香りは、思わず、台所をひょっこりと覗き込んで
今夜の夕飯はなんだろな?と期待に胸を膨らませる、そんなどこか懐かしい香り。
空きっ腹にそんな匂いを嗅いだら腹も減る。
別に他所様のウチで飯をたかるほど厚顔無恥ではないが、恥も外聞もかなぐり捨てても良いぐらいには腹が減っていた。
実は体に貼られたガーゼの匂いを嗅いだ時からずっと感じていて、さっきからずっとお腹が鳴りっぱなしだし。
俺は急いで体に貼られたガーゼを剥がして、その匂いを辿るようにドアを押し開いた。
「おじゃましまーす・・・?」
そのドアの向こうは、キッチンを兼用したリビングだった。
長方形のテーブルには4つ椅子が並べられ、その向こう側でお玉を持って佇むずんぐりとした人影が、ゆっくりと俺の方へと顔を向けた。
「―――起きたか」
くつくつ、と沸き上がる鍋を掻き回しながらそういったのは、あの立派な髭の親父さん。
どうやら俺の介抱をしてくれたのは彼だったらしい。
まぁ、彼が店主を務めている武器屋であんな事になったのだから、流れとしては当然なのだろうが。
「立ってないで、座ったら良い」
親父さんは似合わないチェック柄のエプロンを掛けながら、台所を忙しなく動きながら、あれこれと食器を用意したり、使ったのであろうナイフや器を洗いながら、テーブルに着くように顎をしゃくった。
本当に座って良いものかと少し逡巡したが、俺はおとなしくテーブルに付いた。
だって、本当に美味しそうな香りが漂ってきてるし、我慢しろという方が無理。
「もう少しで出来る。・・・お前さんも、腹が減っているだろう?」
匂いに釣られ、あわよくば少しつまみ食いでもさせてもらえればいいか、ぐらいに思っていたのだが、どうやら俺の文まで食事を用意してくれるらしい。嬉しい反面、ちょっと拍子抜けに感じながらも、俺はきちんとその言葉に答えた。
「めっちゃ減ってます」
色々取り繕うよりも本音が出てしまう。照れ隠しに苦笑いを浮かべながら、首を擦る俺の様子を横目に、親父さんは面白そうに少しだけ微笑んで、鍋の中身を木の器へ流し込んだ。
とろりとした茶色の液体から垣間見えるじゃがいもと人参。
そして、茶色に染まった玉ねぎが垣間見える。
予想通り、この匂いの元はシチューだったらしい。
焼いた長細いパン・・・フランスパンみたいなちょっと硬そうなパン・・・をバスケットに収め、本日の夕飯が出揃った。
シチューとパン。
シンプルなメニューだが、その期待度はかなり高い。
「食うといい」
「―――いただきますッ!」
急いで両手を打ち合わせ、置かれたスプーンを手に取り、シチューを掬う。
ごろりと入ったぶつ切りの肉と、大きすぎるぐらい大きい大雑把に切られたじゃがいも、人参、玉ねぎはじっくりと煮込まれたおかげか、スプーンで押せばほろりと崩れる。
それらを一気に掬って一口。
(うめぇ~)
口に入れた肉は噛み締めるまでもなく、口の中でふわりと解けるように溶けていった。
これは・・・何の肉だろう?
牛のようでもあり、鶏のようでもある。
だが、うまい。
添加物の一切入っていないシチューはかなり大雑把な味だったが、嫌いではない。
むしろこういう方が好みだ。
バスケットに入ったパンを一本拝借し、適当に千切ってシチューに浸す。
食パンのように柔らかくないこのパンは見た目通り少し硬い。
それもこうしてしまえばあまり気にならない。
じゃがいものデンプンが溶け出たシチューはとろりととろみがあり、パンに良く絡む。
シチューの濃厚な旨味と、豊かな小麦の風味が食欲をさらに引き立ててくれる。
あっという間にシチューがなくなり、パン一本を平らげ。
「はぁ~・・・ごちそうさまでした」
空になった器とスプーンを丁寧にテーブルへ置き直して、満足感と共に椅子に体を沈めてもう一度手を合わせた。
満足な食事の充足感に浸っていたい気持ちもあったが、それよりも先に親父さんへ感謝の意を伝えるのを先決した。
本当はこのリビングに来た時点で伝えるべきことだったのだが、俺はどうにもこういうコミュニケーションが苦手で、いつも後回しにしてしまうきらいがある。
だから、本当に自分の思いを伝えたい時はどれだけ遅れたとしてもきちんと伝える。
俺の数少ない矜持だ。
「あー、えっと、今更ですけど手当てして貰った上に、ご飯まで頂いちゃって・・・」
とは言え、改めてお礼を口にしようとしたが、こういう時はなんと言えば良いのだろう?ありがとうといえばいいのか?すいませんと謝るべきなのか?こういう事に慣れていない俺は、返す言葉に困りながら、取り敢えず頭を下げた。
「別にいい。気にすることでもないだろう」
照れくさそうに明後日の方を向きながら、頬をかく親父さんは、頑固で厳しそうな風貌とは異なってとても優しい人なのだろう。
こんな仕草一つでも、その人の人となりは意外と分かるものだ。
「ホント、ありがとうございました」
だから、だろうか。
感謝の言葉も自然と出てきた。
「それに、だ。お前さんを介抱したのは聞きたいこともあったからだしな」
「聞きたいこと・・・といえば、さっきのこと、ですよね」
そうだ、と親父さんは頷いて言葉を繋げた。
「―――あの時、何を見た?」
「―――え?」
その質問に、俺はぎょっとしてしまった。
聞かれた疑問が「何故か」ではなく、「何を」そして「見た」のかだったからだ。
だって、そんなの―――
「・・・俺が何を見たのか、分かるんですか?」
まるで俺が見たものが分かっているような口ぶりだったから。
そういった俺を見て、親父さんは「そうか」とだけ呟いた。
「それだけで十分だ。どうやらお前さんが―――そうらしい」
ここからが本題だと言わんばかりに、親父さんは神妙な面持ちでその一言を吐き出した。
「―――聖剣って知ってるか?」