29.「私のこの命、貴方に預けよう」
あのまま寝てしまいそうなほどに安らかな表情を浮かべていたリンだったが、泣き止んだことを確認したのでやんわりと離れようとしたのだが、その瞬間腰に回されていただけの腕がきゅうっと力が込められた。
「り、リン・・・さん?」
「も、もう少し、こうさせて欲しい・・・」
よっぽどハグがお気に召したらしく、もう少しと所望する姿は年相応の少女のようだった。
子どもに甘えられる親の心境を味わいつつ、手持ち無沙汰気味にリンのサラサラの黒髪を撫で梳きながら、少しずつリンにこの世界について質問をしてみる事にした。
「なぁ、リン。あの化け物ってなんだったんだ?」
「あれは、この世界に取り込まれた者たちの末路。魔に汚染された意識を持たない獣のような存在。だから私は、奴らのことを「魔獣」と呼んでいる」
淡々とそう告げるリンだったが、その言葉を聞いて俺はゾッとした。
アレがもしかしたら元々は人間だったのかと思うと、背筋が凍りついた。
「・・・あ、いや。魔獣達は絶対人間だったというわけじゃない。この剣に取り込まれた獣や魔物なども魔獣になるからな。寧ろ大半はそれだ」
「な、なるほど」
そんな俺を察してか、リンは急いでそう言ったが・・・やはり人間も居るということなのだろう。
その中にはレクスさんのパーティーメンバーも居るのかもしれない、なんて一瞬考えてしまったがすぐに頭を振ってその思考を誤魔化した。
「じゃあ、この世界については?なにか知ってるか?」
「・・・私も永い間この世界にいるが、大して分かっていることはない。法則のいくつかがわかる、その程度なんだ」
「それでも十分だよ。良ければ、教えてくれるか?」
「分かった」
そうしてリンはこの世界の情報を少しずつ語り始めた。
「あの魔獣達は一度倒すとしばらく出てこなくなる。原因は・・・世界の『変異』に関わって来るからだと思っている」
「世界の『変異』?」
「この世界は、何かの条件を満たすと姿を変えるんだ。今は街のような場所だが、森や砂漠なんかになったりする」
この不気味なコピペの街よりかは森などのほうが良いのかもしれないが・・・世界が姿を変える、か。
どんなものなのかイマイチ想像できないが、ここでずっと過ごしてきたリンが言うなら、恐らくもうそろそろこの世界も変異するはずだ。
「『変異』するまでの時間とかはどうなんだ?」
「まちまち、だな。数分の時もあれば1日ほど掛かることもある」
いつその変異が来るかわからない以上、下手に動かないほうが良いのか?とも思ったが、寧ろあの化け物が出てこないのなら今のうちにこの世界を探索したほうが良いのだろうが、ランダムなのであれば少々面倒だ。
「ただ、貴方のように「なにか」がこの剣に取り込まれた際は、何の前触れもなく変異することもある」
「なるほどな・・・」
「この世界の時間の流れは恐ろしく緩慢だ。だから、そんな事が起こるのは本当に稀な上に―――」
一拍置いて、リンが口に出したその言葉は―――
「―――貴方のようにこの世界に取り込まれず、無事な人間を見たのは初めてだ」
俺を大いに、驚愕させた。
「は、初めて?」
「あぁ。大抵は私が気が付く前にあの化け物に殺されているか、この世界に取り込まれてしまって手遅れになっているかの二択だった」
「・・・マジか」
「だから、こうして人と話すのは本当に久しぶりだった。お陰で始めは何を言ったら良いのかと、混乱してしまったよ」
ふふふと、俺にしなだれかかりながら上品に笑う上目遣いのリンからは妙な色気のようなものを感じて思わず目を逸らしてしまった。
そう言えば、口調も徐々に元に戻っていっていると言うか、ガチガチに固まっていた緊張感が消えて自然な口調になっている。
少女のような甲高さを残しつつも落ち着いた冷静さが入り交じる、凛と透き通る様な綺麗な声はするりと俺の頭の中に入ってくるようだ。
「あ~・・・。えっと、そう言えば!取り込まれるって、どういうことなんだ?あの化け物・・・魔獣にやられたらこの世界に取り込まれる、ってことだと思ってたんだけど違うのか?」
俺はなんとなく気まずさを感じて咄嗟に話を戻してみたが、リンはその事を気にも留める事はなく、その笑みを俺に向けながら、話を続けた。
「ん・・・そう、だな。それは半分正解、だな。確かにあの化け物に殺られても、取り込まれるのは間違いない。だがこの世界は常人では生きられないらしくてな・・・1日もこの世界に滞在すれば、ああなる」
「それって俺もやばくない・・・?」
「こうしていて分かったが貴方は人間だが・・・ほんの少し、こちら側に寄っている。それに、すごく微弱ではあるが『外』との繋がりを感じる。その繋がりが途切れてしまわない限りは、貴方がこの世界に取り込まれることはないだろうな」
「なるほど・・・」
精霊ってそんなことまでわかるのかと少し感心しつつも、俺は内心でお嬢に感謝していると、リンは少しむくれたように、またジト目を俺に向けていた。
「えぇっと、どうした・・・?」
「・・・貴方は精霊と契約しているのだな、と」
「まぁ、なし崩し的に・・・?」
俺がお嬢と契約した時、俺は死にかけていたし、俺一人では到底マレットちゃんを救うことなど出来なかっただろうし、お嬢には感謝しきりだが。
「・・・そのおかげで貴方とこうして話ができているのだろうが、少し、嫉妬してしまうな」
「お、おう・・・」
リンの反応的に契約というのは、精霊にとってかなり大きな要因なのだろうが、俺は未だに契約という行為がどれほどの意味を持っているのか理解していない。
前にお嬢にそのことについて尋ねると決まって―――
『ど、どうでもいいでしょ!?』
と顔を赤くしながら強引にはぐらかされるので、もしかしたら精霊たちにとってはちょっと恥ずかしいことなのか?程度に思っていたのだが、多分パートナー的な意味合いなのだろう。
リンもずっと一人でパートナー的な存在には凄く憧れていただろうし「嫉妬」というのも自分もそうやって寄り添ってくれる人がいて欲しいという思いからだろう。
本当に、この短時間で随分と好かれたものだ。
リンのそんな純粋な想いに少し照れくさく感じて、思わず頬を掻いた。
「と、まぁ。私がわかるのはこれぐらいだな。本当に大したこと無い情報だが・・・貴方の役に立てただろうか?」
そう言って締めくくるリンは、少し不安そうに俺の顔を覗き込んでいたが、安心させるように俺は柔らか笑みを浮かべて、もう一度リンの頭を撫でた。
「・・・いや、十分過ぎるぐらいだよ」
「・・・そうか」
少しこそばゆそうに目を細めるリンを眺めながら、俺は少し思案する。
今聞いたリンの情報から、なんとなく見えてきたこの世界の法則。
一見手抜きでランダムのように見えるこの世界には、その随所で垣間見えるなにかの意図が俺達を阻んでいる。
ずっと引っかかっていた違和感が、徐々に俺の中で膨らんできているが・・・まだこの世界を攻略する糸口にはなりえないだろう。
まだもう少し時間と、情報がいる。
リンは、お譲渡の繋がりがある限りは俺の安全は保障させていると言っていたが、いつまでそれが持つのかも分からない。
出来る限り短期で決着を付けなければならないが、今の俺は一般人とさして変わりがないような状況だ。
やはり、この状況を打開するには―――この子の協力が必要不可欠だ。
「―――リン」
俺に抱きついていたリンの体を少し離して、改めて真っ向からリンの瞳を見つめながら、俺はこの子の名前を呼んだ。
「・・・ん。貴方の言おうとしている事は分かる。だから、敢えて言おう」
リンは名残惜しそうにしていたが、そんな俺の様子を見てふっと小さく笑って、胸に秘めたその確かな決意を口にした。
「―――私のこの命、貴方に預けよう」
―――それが、俺達の初めての契約になった。
・・・でも、俺は少し思った。
(・・・ちょっと、重くね?)
やっぱりこの子は少し真面目過ぎるな、と少し笑ってしまう俺だった。




