27.「そ、その、だ、大丈夫、だった、か・・・?」
魔剣に手が触れた途端、自分の中から何か抜け出るような妙な浮遊感に包まれた。
次の瞬間には、視界がぐにゃりと歪んで一帯が闇に包まれた。
辺りを埋め尽くす漆黒は、俺が一度瞬きをする度に形を変えて。
濁った白と黒色が、見覚えのある街並みを創り出して行った。
「・・・なんだ、これ」
そのモノクロの街並みは、酷く既視感に塗れたものだったが、それは俺の知る「どこか」ではなかった。
シピオの街に聖都の街並みを付け足して、コピーペーストで焼き増ししたような、そんな「どこかで見たことがある気がする」もので埋め尽くされた街。
どこを見回してみても同じ様な光景の連続により生じる既視感が、徐々に違和感と不快感に変わって行く感覚に、背筋が震えた。
いきなり病室から街へと移動したことの驚きよりも、強く、深く、俺の脳内にを支配していたその感情は―――
―――恐怖、であった。
生理的な嫌悪、拒絶に体が震えた。
その恐怖を押し殺すために、俺は唾を飲み込んで、腰の聖剣へと手を伸ばした。
「・・・あ、れ?」
が、俺の伸ばした右手は腰撫でるだけで。
そして、腰に視線を向けるとそこには何もなく。
「お嬢・・・?」
俺のその呼び声は虚しく虚空に消えていった。
こんなおかしな空間で、たった一人だという事実に少々動揺してしまったが、自らを奮い立たせるように腰にやった右手を固く握り込んで。
俺は前へと、歩み出した。
・・・
このおかしな世界にやってきてそれなりに経った。
何が起こるかわからないため、周囲を慎重に警戒しながら探索して、少し分かった事があった。
このモノクロの街は、どこまでも同じ光景が続いているわけではなく、いくつかのパターンが存在して居るようで、店などが立ち並ぶ商店街、住宅街、大通り。
その他にもいくつかのパターンが存在しているが、基本的にはそれらパターンがランダムに点在している様な感じだ。
だがそれらの光景も所詮はコピペに過ぎず、多少の違いがある、程度だ。
通りを一つ曲がれば、同じ光景が広がっていた、なんてのはよくあった。
そして、店や家には入ることが出来ず、店に並ぶ商品は触れることさえ出来なかった。
というか殆どが写真のような感じで、ドアノブがあるように見えても平面であったり、物があるように見えてもなにもない平面であったり。
まるでこの街全体が巨大なトリックアートかの様だと思った。
そして。
「・・・腹も減らない、喉も渇かない、眠くもならない、か」
実は、こちらの世界に来て・・・恐らく1日以上経っていたが、未だにそういった感覚を感じていない。
恐らく、というのはこの世界には昼夜の概念はなく、固まっているかのような灰色の空があるだけで、時間の経過が全くわからないからだ。
目の前の景色も代わり映えしないので、更にその違和感は加速して今ではもう、どれほど時間が経ったのか全く分からなくなってしまっていたのだが、その時ふと感じた違和感の正体がこれだった。
「とはいえ疲れはするし、痛みも感じるのに・・・ホントに変な場所だな」
ずっと歩けば疲れるし、足腰も疲労が蓄積して痛みもする。
だから時間が止まっている、と言うよりは極限まで時間が圧縮されて遅くなっているみたいな感じなのだろうと勝手に想像しているが、正解かはわからない。
そもそも、俺、一人だし。
あと、そのせいなのかはわからないが、この世界に来てから独り言の頻度が増えた。
たった一人でも、こうして口を動かしていないと、気持ちが折れてしまいそうだと感じたからだ。
それほどまでに孤独というものは過酷なのだと思い知らされた。
今もこうして様々なことを考えて、孤独を誤魔化してみてはいるが、正直限界は近いかもしれない。
「レスクさん・・・」
だが、あの人はこんな感情を抱えながらずっと一人で戦ってきたのだ。
俺がここで折れるわけにはいかない。
そう言い聞かせながら俺は終わりの見えない街をひたすら歩いていた。
・・・そんな時だった。
―――うぞり
今まで、俺の足音以外になにもない無音の世界に、突如としてソレは街道の石畳の隙間から、這い出て来た。
光も飲み込んでしまいそうな程の粘着質で、へばりつくタールのような、どろりとした漆黒の流体は、まるで生きているかの様に隆起し、やがて熊ほどの大きさまで膨らみ、その側面から8本の足を生やした獣・・・蜘蛛?・・・へとその形を変えた。
べチャリと流れ落ちる漆黒の体に、ポッカリと空いた体と同じ真っ黒な双眸が俺の顔を覗き込むように、首を傾げた。
ソレを見た瞬間、俺は―――迷う事無く逃走を選択した。
「―――きもいキモいキモイッ!!!アルティメットキモいいぃいいいっ!?」
生理的嫌悪の化身のようなその化け物を前にした瞬間、俺の頭を埋め尽くしたのはその単語であった。
情けないだとか、怖いだとか。
そんな感情が湧いてくる前に、体が瞬時に拒絶反応を示し、勝手にその化け物とは反対方向へ全力疾走していた。
そもそも、今は聖剣は無いし、戦うすべを持たない俺には逃走以外には選択肢はなかったわけだが、多分聖剣が俺の手元にあったとしても恐らく俺は全く同じことをしていたと思うぐらいには、アレは駄目だ。
無理だ。
そうして、必死の逃避を行っていた俺だったが―――
「「「―――ヴェアアァアアァア!!!」」」
「うわぁああぁああぁああぁ!!!?」
その化け物はやはり俺を追ってきていたのだが、一瞬目を離した隙に3匹に増えており、しかもその不定形の体からは想像できないような速度で、側面にある家々にへばりついて俺の方へと迫ってきていた。
ここは殆ど障害物のない上に全く入り組んでいないので、コイツらを撒く為にはぶっちぎらなければならないのだが、全く距離があかない。
「―――誰か助けてくださぁあああぁい!!!?」
そんな現状に生じる焦りに任せて、誰にも届かない助けの声を上げた時。
「「「―――ヴェアアァアアァア!!!」」」
「―――ちょぉッ!?」
俺の目の前の道の角から、3匹の化け物が現れた。
突然の増援に思わず足を止めてしまった俺は、その化け物たちに囲まれてしまったその時―――
―――突如として、艶やかな黒髪を靡かせながら、俺の目の前に一人の少女が降り立った。
「・・・下がっていろ」
黒髪の少女は俺にそれだけ言って、手に持っていたキラキラと煌くような黒色のロングソードを構えて―――消えた。
「ヴェ―――?」
いや、実際は消えたわけではなく、そう錯覚してしまうほどの急加速を持ってして、眼前の化け物を一体斬り捨てた。
斬られた化け物も何が起きたのか理解する前に、その体を両断され。
一瞬で形を失って元の流体に戻り。
そして、化け物は跡形もなく地面に染み込むようにして消えていった。
「「「「「ヴェアアァアアァア!!!」」」」」
味方をやられ、更に興奮した様子の化け物たちは、最早俺のことなど眼中にはなく。
その場に残っていた5匹全員で、黒髪の少女に押し寄せていった。
だが、黒髪の少女はどこまでも冷淡に、一度剣を払って化け物たちに向き直って、先頭の化け物を先程と同じ様に両断し、返す刀でもう一匹を斬り裂いたが―――
「―――危ないっ!?」
既に少女の包囲を終えていた化け物たちは、一斉に少女へと飛びかかっていた。
黒髪の少女は俺の声にピクリと反応し、一瞬俺の方へ視線を向けて―――
「―――『次元転移』」
凛として、透き通った声は驚くほどにこの場に響いて。
次の瞬間には、化け物たちの巨体によって退路を塞がれていたはずの少女は、上空へと移動しており。
少女はそのまま重力に身を任せながら、その手に携えたロングソードを流麗に振り下ろし―――残りの化け物3匹を、いとも容易く葬り去ってしまった。
「・・・すっげぇ」
1分にも満たない間に、あの化け物たちを一掃した少女は再度剣を振って、そのロングソードを鞘へと押し込んで。
陽の光のないこの世界で、キラキラと煌めくような黒髪の長髪を靡かせながら、少女は俺の方へと振り向いて―――
「そ、その、だ、大丈夫、だった、か・・・?」
俺のイメージとは大分違う感じの、今にも消え入りそうな声で。
何故かもじもじしながら、そう言ったのだった。
・・・これが、俺の二つ目の大きな出会い。
化け物に襲われていた所を助けられる。
そんなありがちとも言える出会いは、こんな締まらない感じだったわけだが。
やっぱりこの時は、この出会いが俺の―――いや。
俺達の運命を変えてしまうなんて、思いもしていなかった。