13.「予兆」
サラサラと流れるように降り続ける細かな雨が、鍛冶場の小さな窓をポツポツと叩いている。
鈍く、高い金属音が鳴り響き続ける中でも、なぜだかその音は耳にこびり付いて離れてくれない。
ほんの小さな雑音が、バクバクと刻み続ける鼓動よりも大きく聞こえて。酷く、耳障りに感じた。
「・・・ふぅ」
一つ息を吐きだして、手を止めた。
たったそれだけの雑念が、致命的になりうることはここ10日で十分すぎるほどに理解していた。
ただの一度だけ、息を吐きだして再度鎚を振るう。
キィン。キィン。
鎚を振り下ろす度に高く澄み切った綺麗な金属音が鼓膜を揺らす。
そうして叩き続けた赤熱した鋼の塊は、いつの間にか片手剣よりも長く、さりとて両手剣ほどの長さと重厚さはない、片手半剣と言うにふさわしいフォルムを模っていた。
額から流れ落ちた汗が一粒、赤熱した刀身に落ちて弾けた事にすら気づかず、俺は一心に鎚を振るった。
(―――まさか、此処までとは)
その様を傍から眺めていたクロウはたらりと冷や汗を流した。
こうして彼に鍛冶を教える事になったのは勿論、娘のためであり息子のため―――ではある。
彼に才能があるといったのも嘘ではない。
その才能の片鱗は始めてか1週間の時点で垣間見せていた。
鍛冶の腕・・・というのも、元々の器用さと、半年間でオレの仕事を間近で見て学んだ知識のお陰もあって、もはや素人の域は脱していた。
これだけでも10年に一人の逸材と言っても過言ではない。
だが、彼の本当の才能はそこではない。
1週間前、垣間見せていた才能の片鱗。
それは、彼の打った剣の形すら保てていないただの鋼の塊に精霊が宿ろうとしていた形跡があった。
本来であれば、ありえないことだ。
熟練の鍛冶師ですら、武器に精霊を宿すことは至難であり、100本打って、ようやく一つに精霊が興味を示してくれる。
故にこそ精霊剣や魔剣の打てる鍛冶師は国家に手厚く保護され、一生遊んで暮らせるほどの名声と富を与えられる。
それほど「精霊鍛冶」と呼ばれる者たちは希少なのに、だ。
鍛冶師が一生を掛けてたどり着けるかどうかの境地に、コイツは悠々と踏み入れてしまった。
才能、そんな一言で片付けていいのか分からないような天賦の才。
ここまで精霊に好かれた人間を見るのは―――師匠以来だ。
当然、始めて10日目のレイの鍛冶の腕はお世辞にもいいと言えたものではない。
だが、もうすでに半人前と呼べるほどの技術をレイはもう身につけている。
現に、もうオレの手助けも補助もなく、一本の剣を作り出そうとしている。
こうしている間にー――
じうぅぅぅ。
急速に冷やされた刀身が、水に触れる度にごぽごぽと音を立てて、その煤けた全身を露わにした。
輝きの一つもないはずのその剣は、瞬くように淡く光ったと思えば、溶けるように刀身に沈んでいった。
「―――っずはぁ~~~ッ!!!」
今まで息すら忘れて作業していたレイは、心底安堵したようにようやく息を吐き出して、高鳴る鼓動を必至に抑えようと胸を抑えていた。
それもそうだろう。
―――彼は生涯で初めて、剣を作り上げたのだから。
(―――本当に、凄まじい)
本来ならば、よくやったとでも声を掛けてやりたかった。
だが、それよりも彼が作り上げたその一振りの剣は確かに―――
(・・・始めて打った剣が精霊剣となるとは)
今の自分は、ひょっとしたらとんでもない場面に居合わせていたのかもしれない。
「―――よくやったな」
そうやって達成感にも似た思いに浸りながら、クロウはレイの肩へと手を添えて。
今日の晩は少し豪華にしてやってもバチは当たらないだろうと、静かに笑みを浮かべて、いつもどおりぶっきらぼうに労うのだった。
・・・
―――そうやってスミス家でいつもより豪華な夕食が催されていた頃。
聖皇国・首都 イクレッドでは異世界から勇者を召喚する儀式が行われていた。
真っ白な大理石に覆われた大聖堂の中心には巨大な幾何学模様の描かれた魔法陣があり、それを囲む様に汚れ一つ無い真っ白な儀式服に身を包む者たち。
その中でひときわ豪華な装飾の施された真っ白な修道服に身を包む10代後半の少女が杖を掲げて、祝詞を唱えていた。
周りの者達も、少女に追随するように祝詞を唱えると、徐々に炭で描かれた真っ黒な魔法陣は、少女の目の前からなぞっていくように真っ白な光が魔法陣を再構築されていき、やがて、光は一周し少女の目の前へ再度たどり着くと、一際眩い光が室内を包み込んだ。
その光が晴れた頃、魔法陣は灰色に色を変え、その中心に3人の人間が呆然と立ち尽くしていた。
魔力切れで朦朧とする意識の中、杖を抱えた少女はやり遂げたという心地よい安堵と安心で意識を手放しかけたが、自分の使命を思い出し、蒼白な顔を悟られぬよう表情を正し、杖に体重を預けその3人に向けて、ようやく決めていたそのセリフを投げかけた。
「―――ようこそ、異世界の勇者様!どうか魔王を打倒し、この世界をお救いください!」
少女―――聖女が口にした古より受け継がれし伝説のそのセリフは、諸君らが聞けば「ぶっふぉッ!?」と吹き出してしまうようなモノ。
異世界に召喚して第一声でそれはね―よ、と思わせるような現実味のないお決まりのテンプレートは、この3人は知らなかった様で、困惑したようにきゃいきゃいとにわかに騒ぎ始めた。
「こ、これって、アニメとかである異世界てんせーってヤツ!?」
「いや、死んでないから転移じゃないかな?」
「そんなのどっちでもいいでしょ!?」
3人は高校の指定制服に身を包んだ、男女だった。
下校途中だったのか、その手にはカバンが握られており、こんな状況だと言うのに呑気に戯れていた。
勇者と言うには適さない集団ではあるものの、この儀式によって呼び出された人間は間違いなく勇者の素質を持った人間を呼び寄せる。
過去にもこの儀式は3度行われており、その度に異世界の勇者は魔王を打倒してきたのだ。
それに、聖女は彼らから迸るような強大な魔力を一目見て、彼らは間違いなく勇者だと確信していた。
「立ち話もなんですから―――」
いきなり別の世界へ呼び出されるなどという事が非常識で非人道的なことだということは理解していた。
だが、彼女たちは彼ら―――勇者にすがらなければならないほどに切迫した状況にあった。
故に、聖女はそれらを理解した上で、彼らを召喚したのだ。
綿密に練られた計画故に、この後の展開などもある程度想定しており、このまま彼らをもてなす準備もできていた。
だが―――
「やぁ!人間ども!コソコソ何やってんの?ボクも混ぜてよ!」
気がつけば、儀式の間の上空に浅黒い肌をしたヒトが腕とコウモリの羽が一体化した羽で悠々と聖堂の上を羽ばたいていた。
この襲撃も当然計画に入っている―――わけもなく。
「え、衛兵!衛兵は何をしていっ―――」
予想外の出来事に状況確認をしようとした騎士の首が飛んだ。
あまりにもあっけなく、人に命が消えゆくのをその場に居た者達は、ただ眺めていることしか出来なかった。
「ぎゃあぎゃあ騒ぐなようるっさいなー。つい殺しちゃっただろ?」
たった今人を殺した魔族は、まるで汚いものを触ってしまったかのように、羽に付いた血を払っていながら、そんな場違いな軽い言葉を口にした。
その様子を眺めるこの場にいる者たちただ震えることしか出来なかった。
この目の前の存在はおもちゃでも壊してしまったかのように、人の首を跳ねた。
その事実すら受け入れられていない者たちの恐怖は、爆発し、伝染した。
「わぁあああああ!!?」
「たすけてえええええ!!!」
そうやって声を上げ、この場から立ち去ろうとした者たちは、先程の騎士と同じ結末を辿ることとなり、その場に残ったのは数名の騎士と聖女、そして3人の勇者だけだった。
彼らが今こうして生き残れているのはただの魔族の気まぐれであることはこの場の殆どの人間が理解していた。
逆にそれを理解出来ず、未だ状況に困惑するだけの勇者たちはただ運が良かっただけだが、その思考放棄はある意味正しい選択だったと言える。
そうやって残った人間達を魔族はその黒と白が反転した瞳で見渡し、勇者であろう3人を見つけて、一瞬で近寄った。
「ふぅーん。これが勇者?」
音もなく滞空をしなから、魔族は興味なさげに3人の勇者の顔を覗き込んだ。
思わず、悲鳴を上げかけた彼らだったが本能的に口を両手で抑え込み、悲鳴を無理やり飲み込み、ひたすら耐えた。
「なぁんだ。全然弱っちいじゃん!」
そんな彼らを小馬鹿にするようにきゃいきゃいと嗤いながら、すぐに勇者たちから興味をなくして魔族は大聖堂の上を手持ち無沙汰にぐるりと旋回し始めた。
「こんなのボクたちの敵じゃないのに、魔王サマは何怖がってんだろー?」
一瞬考えるような素振りを見せたが、すぐにそれが無駄なことだと結論付けた魔族はすぐに元のヘラヘラした軽薄な笑みを受かべて、己の本来の目的を果たそうと、何人もの命を瞬く間に奪い去ったそのコウモリの羽を勇者たちに振り下ろした。
「ま、いいや。コロそ―――ッ!?」
―――その時。
金色の閃光が魔族の羽の皮膜を穿ち、穴を開けた。
突然の痛みに思わず、上空へと羽ばたいて緊急避難した魔族が見たのは、煌めく様なプラチナブロンドの女騎士が勇者たちの前に立ちふさがっていた。
「―――申し訳ありません。遅れました」
その女騎士は、この様な自体にも関わらず、周りを安心させる様な穏やかな口調で聖女へと語りかけた。
「シュヴァリエ!」
聖女は思わず、泣きそうになって上ずった声で彼女の名前を叫んだ。
女騎士―――シュヴァリエは聖皇国が誇る聖騎士団13代目団長。
間違いなく、現聖皇国の最高戦力と呼べる存在だ。
少々遅れ馳せたが、すぐに此処へやって来られたのは、彼女も勇者を迎える計画に組み込まれていた存在だからである。
元々は、こちらへやって来たばかりで未熟な勇者の育成を担当して貰う為に顔合わせさせる程度のことだったが、それが功を奏したらしい。
「いたっ!イタイ!?オマエっ!こんな事してゼッタイ許さないからなっ!?」
瞬く間に羽の傷は治っていき、もうそこに傷があったのかすらわからないほどになっていたが、そんなことは関係なく自分が傷つけられたということに怒る魔族は、シュヴァリエへと攻撃を仕掛けるが、軽くいなされ、ただ傷を増やすだけ。
その傷もその場で修復されていくが、どうやら効果がないわけではないらしく、傷を修復しきれなくなってきていた。
一方的に狩っていた側が、今度は狩られる側へ。
先程まで浮かべていた余裕綽々なニヤケ面はどこへやら、涙目を浮かべ大聖堂の上空を飛び回り逃げ回る魔族は格付けが終了してしまっていた。
「私が来たからにはもうお前の好きにはさせん」
堂々とそう言い放つ彼女はこの絶望的な状況における希望そのもの。
勇者よりも勇者らしい存在に、その場に居た者たち全員が魅入られていた。
「うぅぅううぅッ!!もういい!知らないッ!」
うまくいかない状況に癇癪を起こした魔族は、再度シュヴァリエの攻撃の届かない高度まで逃げると、慌てたように聖堂のステンドガラスを蹴破った。
どうやらそのまま逃げるつもりらしい。
「逃げる気か!」
当然、そのまま逃がすシュヴァリエではなく、剣に魔力を纏わせ斬撃を飛ばし攻撃するも、直線的な攻撃は砕けたステンドグラスのフレームを斬り裂いただけで、簡単に避けられてしまった。
「ふーんだ!お前なんか誰が相手にするか!」
そんなシュヴァリエを嘲笑うかのように、舌を出して小馬鹿にしてシュヴァリエの斬り裂いたフレームの裂け目から外へと飛び出した。
シュバリエの射程圏外でいつもの調子が戻ってきたのか、魔族は負け惜しみと共に、とんでもない事を口走っていった。
「―――ボクがただの囮だってことにまだ気がついてないお前らが僕たちに勝てるわけ無いじゃん!」
「なんだと!?」
シュヴァリエが思わず声を上げたのも無理はない。
なにせ、聖皇国が秘密裏に計画していたはずの勇者召喚の儀当日にピンポイントで襲撃された時点で、何やらおかしいのは感づいていた。
だが、この奇襲はほんの小手調べなのだとしたら。
―――魔族たちは本気で私達に戦争を仕掛けるつもりなのではないだろうか?
そんな最悪な想像が脳裏に閃いてしまった。
「せいぜい足掻けばいいよ!じゃーね!」
「ま、待てッ!!!」
その真偽を問いただす暇もなく、魔族はあっという間に闇の中へ溶けていった。
首の跳ねられた死体が散乱し、赤黒く模様替えした大聖堂には、顔を青くしたシュヴァリエと、緊張の糸が切れて気絶してしまっている勇者と聖女だけだった。
シュヴァリエはあまりにも最悪な状況に頭を抱えたくなったが、残った騎士たちの、縋るような視線をを受けてようやく彼女は、動き出した。
「―――お前たちは先程の事を急いで各地に伝えろ!」
「は、はッ!!!」
シュヴァリエの指示を受け、引き絞られた弓のように慌ただしく弾き飛んでいく騎士たちを眺め、考える。
こめかみに鈍い頭痛を感じながらも、必至に最善と思われる選択を思考する。
「も、申し訳ありませ―――こ、これはッ!?」
「ひ、酷い・・・ッ!?」
「・・・お前たちは、聖女様と勇者様を部屋へ。残った者たちは彼らを―――弔ってやってくれ」
ようやく到着した援軍に指示を出し、破壊されたステンドグラスの向こう側に広がる闇を睨みつけ―――。
「―――クソッ!」
一つ悪態を吐き出し、すぐに踵を返してその場を立ち去った。
本当はやり場のない怒りをなにかにぶつけてやりたかったが、聖皇国の最高戦力たる彼女にこんな所で立ち止まっている時間は、なかった。
今日この日。
人類は魔王に対して反撃の狼煙を上げる記念日となる―――はずだった。
異世界からやって来た3人の勇者は、魔王と壮絶な戦いを繰り広げ、やがて世界を救い、幸せなハッピーエンドを迎える。
それが、本来迎えるはずのエンディングだった。
だが、そんなありきたりなハッピーエンドはどこかで掛け違えられた運命が先の見えない暗闇へと変えてしまった。
それは着実に日常を侵食し、俺たちにも迫って来ていた―――。
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※ここから第一章後半となります。




