10.「私、知ってるよ」
俺がこの世界で初めてぶつけられた感情は、怒りだった。
俺を害そうと、貶めようとする明確な敵意。
だが、残念なことに俺はそれを理解してやれなかった。
だって、それは俺に向けられたものではなかったから。
それは勿論、この世界の「俺」のことでもない。
パーティーのことを思って、なんてことでもない。
あのパーティーメンバーらしき女は、俺へただ悪感情をぶつけて正義のヒロイン面したかっただけで。
あの女の目に写っていたのは、「シオン」という存在だけだった。
結局、アイツは俺が嫌いなだけだったんだろう。
俺もアイツのことは嫌いだ。
死ねばいいなんて冗談ですら無い言葉を軽々しく、人に向かって使えるヤツなんて、好きになれる要素ないだろ。
俺の言葉はきっと何も届かない。
屁理屈だ、揚げ足取りだ。
大した確証もないのに、「シオン」とやらの言葉を真実だと盲信して、俺の主張を聞き入れようともしないヤツに、俺が一体何をしてやれる?
恋愛感情なんて言う私情で、俺の意思を無視して人を貶して良いのか?
そんな自己中心的で一人よがりな主張を、どうしたら理解してやれる?
無理だ。無理。到底不可能。
だから俺は―――諦めた。
理解することを。
許容することを。
和解することを。
全部、諦めた。
あれがきっと一つ目の分岐点。
俺はあの時、過去と「決別」した。
・・・
「―――だから、俺は冒険者を辞めた」
「そんなの・・・レイさん悪くないのに!」
俺の面白くもない自分語りを真剣に聞いてくれていたマレットちゃんは、両手を握り締め、怒りを隠そうともせず俺を庇ってくれた。
その純粋な優しさには嬉しくはある。
だが、俺は静かに頭を横に振って続けた。
「マレットちゃんは優しいね。・・・でも、きっとそうなった理由は俺にある。じゃないと、あんなに怒らないだろうしね」
恐らく、それに関しては単純な答え、なんだろう。
アイツは俺のことなんてどうでも良かったんだ。
本当に何かを思って怒っていたのなら、すぐに俺を追いかけて来たはずだ。
数カ月間も探しもせずに放置なんてしないはずだ。
「そんなこと―――!」
「―――それに俺は結局、逃げ出してしまった。他にできることがあったかもしれないのに、面倒くさくなって放り出した。・・・最低だろ?」
正直俺はもうアイツ・・・いや、アイツらには関わりたくない。
だから、早々に考えるのを放棄した。
どうでもいいって、投げ出した。
でもそれは、きっと正解だった。
今の今まで誰も不幸にならず、こうして生活できているんだから。
そうやって言い聞かせて、俺はこの数カ月間、自分を騙し続けてきた。
本当なら、親父さんに話すべきことなのに、それすら出来ずにただ親父さんの好意に甘えて。
本当に、最低だ。
「―――私、知ってるよ」
「レイさんが誰よりも真面目で優しい人だって。悪いことなんて出来る人じゃないって。きっと、勘違いしちゃっただけなんだよ」
そんなネガティブな思考を塗りつぶすみたいに、静かにマレットちゃんは笑って。
「レイさんが居てくれたから私今、笑っていられるんだよ?」
俺へ慈愛に満ちた優しい笑顔を浮かべた。
あぁ、本当に。
俺が救われてどうすんだ。
熱くなった目頭を抑えて、なんとか言葉を吐き出す。
「・・・アイツらに一つだけ感謝しないとな」
「え?」
「おかげで、みんなに―――マレットちゃんと会えた。それだけで俺が選んだことは間違いじゃなかったんだって確信できる」
「え、えへへ」
だから、今度は俺がマレットちゃんへ手を差し出す番だ。
「だから、さ。マレットちゃんが俺を救ってくれたように、俺も君を救いたい」
「レイ、さん・・・?」
わざわざこうしてマレットちゃんへ俺の過去を告白したのは、せめてもの償いだ。
「俺なんかが力になれるかなんてわからないけど。それでも、話してほしいんだ。君の抱えてるモノの事、教えてほしい」
そっか。そう言ってマレットちゃんは少し目を瞑った。
何か考えているのか、それとも覚悟を決めているのか。
それでも、次マレットちゃんが目を見開いた時、雰囲気が変わったように思えた。
「・・・私ね。怖いの」
「怖い?」
「・・・うん。学園が冒険者育成のために、戦闘訓練とか実習でモンスターと戦う事があるんだ、って前言ったよね?」
俺は静かにうなずいて、マレットちゃんの次の言葉を静かに待った。
「それで私、モンスターに襲われちゃって。怪我、しちゃって。1ヶ月ぐらい入院してたの」
この世界の医療がどれほど進んでいるのかはわからないが、全治するまでに一ヶ月相当な大怪我だった筈だ。
ポーションや治療魔法なんかも当然この世界には存在しているが、治療の過程は「再生」ではなく「回復」なのだ。
それらの殆どは、人間に備わる自己治癒力の強化を促し、超回復を引き起こす。
超回復とは細胞を新たに生み出す行為であって、元に戻るわけではない。
筋肉痛などもその一種であり、トレーニングによって断裂した筋組織が作り変えられる過程には、痛みとエネルギーを要する。
故に、大きな怪我をした人間を一度にすべての傷を完治させることは不可能。
もし一度に全治させようとしたら体は負荷に耐えきれず、死亡してしまうだろう。
だから、ポーションや治療魔法はあくまでも応急処置としてしか使われない。
だが、それほどの大怪我を負ったのなら、当然ポーションや治療魔法の補助ありきで治療をしたはずだ。
その間の超回復の反動は―――想像もできない苦痛を伴っただろう。
「それが、2ヶ月前。それから戦うことが、モンスターが。どうしても、怖くて。怖くて、動けなくなっちゃうの」
心的外傷。
心に深く刻まれた痛みと恐怖は、そう簡単に克服できるものではない。
彼女の性格なら克服しようとする努力はしたはずだ。
だが、それも報われることはなかった。
以前やって来たマレットちゃんの友人たちは、そんな彼女の状態を知っていたからこそ、わざわざウチまでやって来たのだろう。
いきなり訪れたにしては、お膳立てされすぎていたし、元々計画していたといわれたほうが納得出来る。
そして、彼らがやろうとしていたのは、根本に立ち向かうことで無理やり克服させる、いわば力技の荒療治だ。
荒療治に荒療治を重ねるというのはかなりアレな発想ではあるが、間違いなく一定以上の効果は見込めるだろう。
その分失敗した時の反動も大きいが、そのフォローする為に彼らも集まって、何らかの準備もしていたはずだ。
だが、それを始める大前提を満たすほどマレットちゃんは立ち直れて居なかった。
「でも、ホントに怖いのはモンスターとか、戦うことじゃなくて」
―――あぁ、そうか。
「みんなに心配かけて、私何してるんだろって。このままじゃいけないって分かってるのに、失敗したらどうしようって、考えて。皆が傷ついたらどうしようって、思ったら、また、動けなくなっちゃって」
やっと、分かった。
彼女の苦悩の根幹は、自己嫌悪と自信の喪失。
これまで積み上げてきたモノを失い、周囲から向けられる同情に押しつぶされそうになってしまっている。
繰り返す自問自答に答えなどないのは分かっているのに、どうすれば良いのかと考えるだけで満足して動けない現状が、マレットちゃんを取り囲み、思考の牢獄に閉じ込めてしまっている。
こんな時「同情」なんて安っぽい言葉はほとんど意味を為さない。
慰めなんて苦しいだけだ。
じゃあ、どうしたらいいか・・・なんて、殆ど答えが出ている。
だから俺がマレットちゃんにしてやるれることは、一つだけだ。
「よく、頑張ったね」
「っ」
今のマレットちゃんが現状を打開するために必要なのは、立ち向かうことでも、試行錯誤を重ねることでもない。
「でもね、マレットちゃん。心配かけたくないって言ってたけど、みんなが望んでるのは、きっとそうじゃない」
恐怖を受け入れ、許容し、和解することだ。
「・・・え?」
俺とは正反対のその選択は、最も簡単で難しい。
「みんな、心配したいんだよ。友達だから、家族だから。みんなみんな、マレットちゃんのことが好きだから。だから―――」
だってその選択は、自分一人では到底選べないんだから。
「―――困らせて良いんだよ。泣いて良いんだよ。そうしたら、みんな助けてくれるから。支えてくれるから」
この娘は俺とは違う。
みんなが居る。
友達、家族―――俺。
この娘を笑顔に救われた人がいる。
「で、でも―――っ!」
「俺のためにマレットちゃんが怒ってくれたみたいに。俺だってそうしたいんだから」
マレットちゃんが善意に報いようとするように、みんなに優しくある様に。
それに報いたいと思うのは、当然のことなんだ。
「れい、さん・・・」
耐えきれなくなって、潤んだ瞳から大粒の涙が一粒零れ落ちた。俺はそれを受け止めるように、マレットちゃんを優しく抱きとめた。
俺はマレットちゃんの代わりに戦ってやることは出来ないし、その苦悩を分かっていても、解決してやることは出来ないだろう。
でも―――。
「れいさあぁん・・・」
―――流した涙を拭いてやるぐらいは出来る。
決壊したように大粒の涙を流し、嗚咽を漏らすマレットちゃんに周りの客は何事かとチラチラこちらを見ていたが、すぐに興味を失った。
周りのカップルたちが元の喧騒を取り戻した頃、落ち着きを取り戻したマレットちゃんは何度か、すんすんと鼻をすすって、ゆっくりと俺の胸の中から離れていった。
「ありがと・・・レイさん。私、もうちょっと頑張ってみる」
「うん」
一頻り泣いたマレットちゃんは、幾分かスッキリした表情で、赤くなった目元を拭って、ぎこちない笑顔を浮かべた今のマレットちゃんには、もう迷いは一切感じられなかった。
「戦うのは、怖いけど。でもね、レイさんに勇気を貰ったから」
そう言って改めて浮かべたいつも通りの愛らしい笑顔は、なんだかいつもよりも少し、大人びて見えた。
「それで、ね?またどうしたら良いかわからなくなったら、またこうして頼っても良い、かな」
「―――もちろん」
俺がしてやれるのは、これぐらいなんだから。
マレットちゃんと俺は穏やかに笑った。
それから、少しして。
今の状況を思い出して、少し恥ずかしくなって、二人して赤くなって。
困ったように笑い合った。
それもまぁ、きっといつか良い思い出だと笑い話にできる時が来る。
―――この、乱入者さえ居なければ。
「―――アンタ、こんな所で何してんのよッ!!!」