1.「憑依、しちゃった・・・?」
人生の中で、不思議な体験をしたという人は多々存在する。
その殆どは「幽霊を見た」という怖い話だったりするが、あいにく俺は二十数年間の人生において、幽霊とやらに出会ったことは一度もない。
そんな、極めて平凡な日常を過ごしてきた俺が唯一、体験したと言える不思議ことと言えば、小学生の頃に疲れ果て、心地よい疲労感と共に身を委ねようと瞬きをすると、もう朝だった。
そんな子供の頃のあるあるネタレベルのショボい体験しかしたことがなかった俺は、大人になってもパッとしない日常を送ってきた
―――今日一日だけでそのショボい日常とおさらばすることになるなんて、思いもしなかった。
「出てけ――――!?」
焔のように透き通った快活なソプラノの音色が慌てたように、拒絶の言葉を発した瞬間。
突如として感じた圧倒的な衝撃と、風を切る感覚と遠ざかっていく視界。
浮遊感と相まって、横に落ちて居るような錯覚を与えた。
さて、突然だが知っているだろうか?
落下というのは、落ちるのに掛かった秒数分だけ深くなる。
大体5秒ほどで100mは落ちるそうだ。
地球の正常な重力下でのことではあるが、俺は今その浮遊感を数秒間感じている。
正確な秒数まではわからないが、木製のドアをブチ破りるような強烈な勢いがついているということは、相当な威力で吹き飛ばされているということになるだろう。
つまり俺は―――
(あ、死んだ)
くの字で吹き飛ばれた俺は、腰から地面に落ち、水面を跳ねる石のように地面に叩きつけられること数回。
ぼろぼろになった俺は、無事意識を失う事となった。
あぁ、どうして。
俺の平和な日常は、どうしてこんな事になってしまったのだろう―――?
~~~~~~~~~~~~
「あ”ぁ”・・・あだまいだい」
酒盛りの後。
正確には気絶するように眠った次の日は、いつも決まってコレがある。
色褪せた世界。
押し寄せる吐き気と頭痛。
思わず世界を破壊したくなるような衝動を噛み殺しながら、覚束ない足取りで洗面所へ向かう。
倒れそうになる体の支えを求めて両手で右往左往とあちこちの空間を弄って、やっとの思いで手をついたテーブルは俺の体重を支えきれずに大きく傾いた。
(やっべ)
頭では分かっていても、手を回す余裕がない。
なんとか自分のバランスは保つも、テーブルの上に並べられていた酒瓶がいくつも地面に転がり、甲高い破壊音を響かせた。
(あっちゃ~)
いくつか無事のモノもあるが、殆どが割れてしまって床は大変な惨状となっていたが、すぐに思考の隅に追いやった。
後が面倒だとかそんな考えは一切湧いてこず、今はただ冷たい水を求めて洗面所に体が動いていた。
「みずみずみず・・・」
その姿は水を求める亡者のようであったが、そんなことは気にする必要もないとばかりに、ようやく辿り着いた洗面器の両端を両手でガッチリと固定して、蛇口を捻った。
・・・いや、捻ろうとしたと言ったほうがいいだろう。
「―――あれ?」
そこにはあるはずの蛇口はなく、代わりに変な青色の石の埋め込まれた管が一つ伸びているだけ。
上部に回せるようなパーツもなく、何だこれ?と辺りをよくよく見渡してみると、いつも通りのマンション備え付けの白で統一されたユニットバスはなく、鉄で作られた四本脚で鎮座するデカめのバスタブと小学校や公園にあるような古い黄ばんだ陶器の洗面器。
そして洗面器の正面に備え付けられた鏡は水垢がこびり付き、モザイクのようにぼやけてしまっている。その鏡に辛うじて映り込む自分の姿を見て―――ようやく俺は、気が付いた。
―――鏡に写る自分の姿のほうがもっとおかしいことに。
「い、いやいや。ありえんありえん」
二日酔いでぼやけていた思考が急速に形を取り戻していくのを感じながら、俺はその疑問を払拭するため、掛けられていたタオル・・・いや、布切れといったほうが良さそうだが・・・を手に取って鏡を擦る。
綺麗とは言い難いものの、見れるぐらいまでにスッキリした鏡に写っていたのは―――。
「・・・誰!?」
日本人らしさの象徴である黒髪は消え去り、代わりに頭部を彩るのは鮮やかな赤色。
同じく、黒色の双眸はエメラルドのような緑に染まり、アジア人特有ののっぺりとした輪郭は消え失せ、彫の深い顔となったイケメンが、俺の代わりに鏡の大部分を占領していた。
「待て待て待て待て待て!ちょっと待って!?」
映り込む赤髪のイケメンは俺の動きに合わせて付いてくる。
その受け入れがたい事実を否定するために、ほっぺたを抓ってみたり、変顔をしてみたりしたが・・・結果は。
「い、意味わからん・・・」
このイケメンが俺であるということを証明しただけだった。
未だにその事実を受け入れられず、呆然と青色の石が付いた管に手を置くと、突然水がしゃー、と音を立てて管から溢れ出た。
「うわっ!?・・・センサー式かなにかだったのか?」
青色の石から手を離すと、水も止まる。
この青い石に触れている間、センサーか何かが反応して水を出しているのだろう。
片手をこの石の上に置いていないと水が出ないのは少し不便ではあるが、丁度いい。
水を出して、右手一本でバシャバシャと顔へ水を打つ。
幾分かマシになった思考で、また鏡を覗き込む。
「やっぱ変わんねぇかぁ・・・」
ぐったりと項垂れながら、どうしたものかと考える。
少なくとも、此処は俺の住んでいたマンションの一室でないことは確実。
同じく俺の姿形も大きく変わってしまっているし、どうにかして現状を確認する必要がある。
取り敢えず、身元証明書とかがあれば身元の確認はできる筈だ。
誰とも知らない人の部屋を探るのはちょっと罪悪感があるが、そんな事を気にしていられるような状況ではない。
もし、この部屋の本当の持ち主がやってきたとしたら、きちんと事情を説明すればきっと分かって貰える。
・・・まぁ俺の脳裏にある考えの通りなら、そんなことは必要ないだろうが、いざという時の言い訳は必要だろう。
取り敢えず、洗面所を出て部屋を見渡してみる。
ワンルームのこの部屋は、俺のマンションと同じような造形をしていて、クローゼットの位置やベッドの位置は殆ど同じで、置いてある家具は現代的なモノではなく木造の古めかしい作りなっているぐらいしか、変わっているところは見受けられない。
先程ぶちまけた酒瓶のせいで酷く散らかった印象を受けるが、至るところに転がった酒瓶以外は大したモノはない。
やはり、大事なモノなどはクローゼットの中にあるのだろう。
散らばるガラス片を避けながら、クローゼットを物色してみるとそこには―――
「―――け、剣・・・?」
余裕で銃刀法に引っかかるサイズの剣が、鞘に収められて置かれていた。
思わず手に取って抜いてみる。
ギラギラと光る刀身は、どんな獲物でも易々と斬り裂いてしまいそうなほど鋭さを帯びていた。
刀剣類には明るくない、俺でさえ分かる。
これは紛れもなく本物だ。
それが分かると、こうして手に持っているのが恐ろしく思えて、急いで剣を鞘に押し込んで元あった場所へと戻した。
もう一つ、クローゼットの中で異彩を放つのは、同じく雑に押し込められた焦げ茶の革で作られた鎧。
こちらはろくに洗っていないのか、饐えた匂いを放っており、思わず顔を顰める。
・・・正直もう薄々気が付き始めてはいるが、できるだけ気付いて居ないふりをして、クローゼットの物色を続けた。
そして、数分の探索で見つかったのは、小さなポーチとずっしりと重たい袋。
やはりと言うべきか、ポーチには大したものは入っておらず、金色のカードが一枚入っていただけ。
身元証明書か何かだと思ったが、このカードには複雑怪奇な模様のような、魔法陣のようなものがびっしりと刻まれているだけで、顔写真の一つすらもない・・・と思ったが、端っこに「レイド=ブラッド」と刻まれていた。
・・・日本語ではない文字で。
もう此処まで来ると流石に誤魔化しきれない。
恐らく、俺は―――
「憑依、しちゃった・・・?」