破滅の運命を覆す方法
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落ち着いたあまねから、詳しいことを聞き出した。
まず、あまねと赤鞠は対決にあたって覚書を交わしていた。A4のコピー用紙にあまねの筆跡でルールが箇条書きされ、最後に日付と両名の拇印がある。俺があまねから受け取ったのは写しであり、本紙は赤鞠が持っているそうだ。
★七五三殺人ゲームの規則★
①水柱一族の家系図上で七五三ゲームを行い、勝敗を決めます。
②家系図は除籍された者を除き、夫婦は夫を、兄弟は年長の者を右とします。
③一日ごとにターンを交代します。
④その原因が何であれ、絶命を以て線が引かれたことと見なします。
⑤最後の一名まで線が引かれたとき、その日の者を負けとします。
⑥線が引かれずに一日が終わったとき、その日の者を負けとします。
⑦同日に二本以上の線が引かれたとき、その日の者を負けとします。
⑧線が別の段に跨って引かれたとき、その日の者を負けとします。
私は上記の規則を遵守し、負けた場合は一連の犯行を自らがひとりで実行したとして、警察当局に自首することを約束します。
11月6日 雫音あまね 宇奈赤鞠
最低限の整理が為されていて助かった。条件があってこそ、考えようもある。
①はゲームの趣旨、②も家系図の自然な描き方として問題ない。そして③のとおり、ターンは日付ベースで明確に分けられる。④と合わされば、どちらが殺したか主張がぶつかることはなくなる。殺害行為の有無やその意思に関係なく、死ねば線が引かれたことになって、取消・変更は利かないからだ。⑤⑥⑦⑧は七五三ゲームの基本ルールだが、これらも判定が可能となるわけである。
「しかし穴も多いな。これじゃあ妨害し放題だ。相手のターン中に水柱の人間を殺したり、逆に保護したりするのは有りなのか? もっと云えば、狙って相手を⑦や⑧に該当させれば簡単に勝てるぞ」
「そんな姑息な手は使わないよ。これから人々を統べるのに、胸を張れない勝ち方じゃあ意味がないからね」
プライドを懸けた勝負である以上、相応の勝ち方が求められるようだ。基準は曖昧だけれど、もとより精緻なルールは期待していないし、そうでなければ困る。
俺は続いて、ここまでの粗筋をあまねに説明させた。ポイントは手帳にメモした。
・勝負を持ち掛けたのは赤鞠だが、七五三殺人ゲームを提案したのはあまね。提案者として本気を示すため、両者合意のもとあまねが先行と決まった。
・花天月高校には二年に水柱波歌、一年に水柱流香が在籍している。波歌は赤鞠派、流香はあまね派として有名。流香はすべてを承知のうえで、あまねに献身的に協力している。よって水柱一族の内情を子細に確認できる。赤鞠側も同様と思われる。
・9日(月)あまねのターン。あまねは登校中に寄り道して、毎朝八時に自宅近所の長い階段を上り下りすることを日課とする水柱秋江を、その頂上近くで突き飛ばして殺害。七五三の三段目、左端の一本を消す。
・10日(火)赤鞠のターン。秋江(生前)、澄風、源太、理音、波歌、流香、深果の住む家が火事になる。赤鞠本人かその協力者が、駐車場にあった車からガソリンを抜いて家の周りに撒き、火を放った模様。焼け跡からは澄風、源太、理音の焼死体が出てきた。波歌、流香、深果の三姉妹は揃って買い物に出ていたため無事(余談だが、出産を控えていた理音のお腹の子も一命を取り留めた)。七五三の二段目、左端の三本が消される。
「赤鞠は初手から派手にやったな。だがこの時点で残りが〈二・二・七〉の組み合わせだ。一段目の七本を全部消していれば、お前の勝ちが決まっていたぞ」
云うまでもなく〈二・二〉は必勝パターンである。
「んー……それがこの七五三殺人ゲームが紙面上と違うところだよ。学校に通いながら一日に七人も殺すのは無理だもん。殺しきれなかったら不利になるし」
「なるほどな。第一、ゲームに勝てば相手が罪を被るとは云っても、犯行を焦って致命的なミスをすればその時点で即破滅か」
では赤鞠による放火殺人は妙手だったのか。いや、実はそうとも云えない。
「じゃあ洋平だけ殺せばよかった。一段目を三本と三本に分けるかたちだ。気付かなかったんだろうが、〈二・二・三・三〉も必勝パターンだからな」
その後の分岐が多いため、赤鞠が取り得る全パターンとあまねの対応を表にしてみせる。
「ほらな、絶対に一本だけ残して赤鞠に回せる。一日に殺す人数も最大三人なら可能だろ」
「もおー。馬鹿にしないでよ。あまねだってそれくらい気付いたよ」
あまねは頬を膨らませた。心外だと云わんばかりだ。
「だがお前が殺したのは澪と悠人で……あっ、」
渚から聞いた話を思い出す。
「そうか。猫の死骸が落とされたのは洋平の車だったな」
「そう。あまねが狙ったのは洋平だけ。あんな結果は、完全な誤算だったんだよ」
・11日(水)あまねのターン。流香との連携により、昼ごろに洋平の運転する車が葬儀場へ向かうため花天月高校近くの大通りを通過すると知っていた。昼休みに歩道橋で待機し、目標の車のフロントガラスに猫の死骸(9日の夜に殺して用意しておいたもの)を落とす。命中するが、事故死したのは洋平の後ろを走行していた悠人と澪。意図せずして、七五三の一段目、右端の二本を消す。
・12日(木)赤鞠のターン。悠人と澪の葬儀後、波歌が会場内のトイレの便器に頭を突っ込んで溺死。赤鞠の命令による自殺かも知れない。ともかく一段目の左から三本目が消され、残りは〈二・二・二・二〉――赤鞠は必勝パターンを完成させた。
「洋平を狙うには、もっと確実な手段を採るべきだったな」
「でもそこで殺せなければ、単に次の機会を狙えばよかったはずなの。悠人と澪が真後ろを走ってたのが悪かったんだよ」
あまねは非を認めたくないらしい。若いころには自分の力を過信するものだ。それは微笑ましくもあるが、俺は昔を思い出して胸の締め付けを覚えた。『妥協していまの詰まんない生活してるんでしょ。軽蔑するよ。あんたは終わった人間だ』たしかにそのとおりか。
腕時計を見れば二十三時。渚のもとへ戻らないといけない。俺は立ち上がった。
「今夜は外泊するよ。明日の朝に電話する」
「外泊? えっと、あまねを勝たせるって話は?」
あまねもソファーから腰を浮かせるが、どうしたらよいか分からない様子だ。
悩ましげに寄った眉、揺れる瞳、躊躇うように開いた唇。俺はそれを手で制した。
「心配するな。逆転の条件は揃った」
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平日の夜なので上り線はガラガラだった。仕事に追われる毎日において、こんな非日常感はいつぶりだろうか。たまにはこういうのも、悪くないかも知れない。
ホテルの部屋に這入ると、渚が正面から飛び付いてきた。俺は彼女の小さく震える背中に両腕を回した。待っている間、ずっと心細かったのだろう。
「来須くん、香水つけてる?」
「つけてないよ」
「でも、良いにおいする……」
室内は薄暗く、暑いくらいに暖房が効いていた。俺達は抱き合ったまま、どちらからともなく通路を奥へと移動していく。ゆっくりと。渚の方こそ、香水の甘い香りがする。
「ねえ渚、ひとつ提案があるんだ」
微かな汗に濡れて貼り付いた髪を指で分け、その耳元に囁いた。
「なあに」と、囁き声で応じる渚。彼女は既にぞくぞくと感じ始めている。
「水柱の呪いから、きみを開放する方法だよ」
「えっ?」
頭が動いた。俺を見上げたらしいが、俺はまだ目を合わせない。
「簡単なことなんだ。きみが水柱じゃなくなればいい」
「……どういう意味?」
「俺と結婚しよう」
さすがに予想外だったのだろう。進んでいた足が止まった。
「……ほ、本当に?」
恐る恐るという声音。押し当てられた胸の奥の鼓動まで聞こえる気がする。
俺は彼女を抱く力を強めて、唇を耳朶に接するほど近づけた。
「嫌か?」
「……嫌じゃ、ないよ」
「じゃあ怖い?」
「……ちょっと、だけ」
怖がらなくていいよ、怖がらなくていい、と繰り返しながら、俺は先程にも益してゆっくりと、渚をベッドへ導いていく。頭の天辺から、途中で肩甲骨をなぞって背中の下の方まで優しく撫でてやると、その身体から力が抜けていくのが分かった。
「問題は水柱の血じゃなくて、姓なんだ。だから悠人さんや理音さんも死んだ。それなら逆も同じことじゃないか。姓を変えれば、渚は死の運命から解放される」
彼女はもう完全に身をゆだねていて、促されるままベッドに腰を下ろした。とろけた表情で俺を見上げる彼女を、俺も真っすぐに見下ろす。
薄暗闇の中、わずかな明かりを反射して輝く、潤んだ両目。その右目は内斜視だ。以前から気になっていたのを、いま初めてちゃんと見ることができた。
右手で熱っぽい彼女の頬に触れ、はっきりと声に出して誘う。
「俺と幸せになろう」
涙が一筋、頬を伝った。唇を噛み締めて、渚は首を縦に振った。
俺は手をその頬から顎の下に移動させた。左手の中指と人差し指を、彼女の右目の上下に宛がって、見開かせる。
「く、来須くん?」
「いいから。俺に任せて」
「えっ、あっ、やっ……」
俺はその愛おしい眼球に舌を這わせた。斜めになったのを、何度も正すようにして。