Mirrors
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「お帰りなさい、来須さん。十一月十二日、二十二時三十四分だねえ」
あまねはソファーに沈み込んで読書中だった。
俺が目の前に立つと、彼女は本から顔を上げて風船みたいに頬を膨らませた。
「来須さん、みんなにあまねの恋人だって云ったでしょ? あの後大変だったん――」
「屋上のホワイトボードに描いてあったのは、こうじゃなかったか?」
手帳を広げてページの下半分を手で隠し、あまねへ向ける。
「んー、そうだけど?」
首を傾げる彼女に、俺はページの下半分も開示した。
「どういうことなのか、説明してもらおう」
やりかけの七五三ゲームと水柱一族の家系図が、まったく同じかたちなのだ。
あまねは天井を見上げて、堪らなそうに表情を弛緩させた。
「うわぁ~……すごいじゃん、来須さんってばあ」
それから文庫本をソファーに放り出して、お茶目に両手を上げてみせる。
「最高だね。秋江さんと悠人さんと澪さんを殺したのはあまねです。ハイ」
ひどく頭が重い。胸ポケットからシガレットケースを取る。シュボッと音を立てて、オイルライターで煙草に火を点ける。煙を肺まで深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「……水柱一族の家系図の上で、七五三ゲームをやっているんだな?」
「ご名答。ねえねえ、どうして分かったの?」
「相手は誰だ。誰と勝負してる」
「宇奈赤鞠。あまねと同じ二年アネモネ組の生徒だよ」
「そいつなら今日会った。頭に薔薇を二つつけた腹立つ奴だな?」
彼女にも取り巻きがいた。あまねを馬鹿にする発言もあった。
「見えてきたぞ。あまね派と赤鞠派で対立してるのか」
「そうそう。カリスマの座を争ってるの。赤鞠ちゃんから仕掛けてきたんだよ。あまねが転校してきたことで自分の地位が脅かされていると認めたんだねえ」
「それがどうしたら、こんな連続殺人事件に発展する」
「中途半端じゃあ意味がないでしょ。すべてを得るか、すべてを失うか。敗北が破滅を意味しないとね。重犯罪に手を染めることで、お互い後に退けない真剣勝負になるんだよ」
「脳味噌にバネでも入ってんのか?」
ソファーに腰を下ろして、深くまで沈み込む。あまねのにやけ面が覗き込んでくる。
「もしかして来須さん、ちょっと怒ってる?」
「呆れてる。お前も赤鞠も手錠を掛けられて仕舞いだろ」
「あは。そうはならないよ。負けた方がすべての罪を被る約束だからね」
「負けて約束を守る保証は? 相手に罪を被せようとするか、道連れにしようとするか、いずれにせよ泥沼の展開しか予想できないが」
「来須さんはあまね達のことを知らないんだよ。そんなプライドのない真似、カリスマとして完全に失脚でしょ。あまねも赤鞠ちゃんも、負けたうえに無様をさらそうなんて絶対に思わないよ」
あまねはムキになっている。知ってか知らずか、語調が強くなっている。
「……お前達の高潔な精神についてはいいとして、どうして水柱一族が標的になった?」
「流香ちゃんと話していて、家系図が七五三になっていることを知ったの。だから殺すことを線を引くことに見立てれば、七五三ゲームができるって思い付いた。来須さんが教えてくれたんでしょ? 七五三ゲームは」
まさか、俺のせいだと云いたいのか? 馬鹿げている。何の気なしに教えたゲームが、こんな連続殺人の材料になるなんて想定できる奴がどこにいるんだ?
「思い付いちゃったんだから、仕方ないじゃん」
その一言で、俺は頭が熱くなった。あまねのブレザーの襟を掴んで強引に引き寄せた。
「思い付いたってやらないんだよ普通は。実行に移してどうするんだ」
「ふ――普通って何? 来須さん、やっぱり怒ってる!」
「怒るに決まってんだろ。どうすんだよ。お前、クソくだらない小説ばかり読んでいるからだな。自分が特別な知識だとか崇高な思想の持ち主だと思い上がって、ろくでもない妄想を現実に持ち込むようになる。普通が何かも分からないアッパラパーの完成だ」
「く、来須さんだって! 昔は本が好きで、小説家――目指してたって云ってたくせに!」
「ああ?」
「昔の自分を否定することで成長した気になってるみたいだけど、ただ挫折しただけでしょ。妥協していまの詰まんない生活してるんでしょ。軽蔑するよ。あんたは終わった人間だ。あんたに否定される筋合いなんか――」
首を掴んで黙らせた。細い首だ。ドクドクと脈を打っている。こいつをどうしてやろう? そう考えたが――次の瞬間、我に返った。
目の前で、あまねが両目をギュッと閉じて唇を噛んだのだ。まるで殺される覚悟をするかのようだと思い、自分が今そうしかねない体勢を取っているのだと気付いた。
何をやってる? こんな直情的な真似。怒りのままに首を絞めようなんて……。
愕然とした俺に、あまねが小さく「熱いっ……脚……」と云った。見れば、煙草が落ちてスカートを焦がしていた。「ああ……」俺は意味のない声を漏らして、拾い上げた煙草を卓上のティーカップに投げ入れた。中に紅茶が残っていたらしく、ジュッと音がした。
「ちょっと待て。喋るな……」
俺は軽く腰を上げて、ソファーに座り直した。醜態だ。身体は正面に向け、胸ポケットからシガレットケースを取り、二本目の煙草を指でつまむ。しかし火は点けず、フィルターを下に向けてケースに小刻みにトントントントン打ち付ける。
あまねが隣から「来須さん、ごめんなさい」と声を掛けてきた。神妙な声音だ。
「悪かったな。太腿を火傷させたか」
「大丈夫。スカートは穴が開いちゃったけど……」
俺は再び手帳を開き、家系図に視線を落とす。既に殺人は行われた。それを責めたって仕方がない。分かっている。冷静になれ。問題解決のために何をすべきか考えるのだ。
「お前が殺したのは、秋江と悠人と澪だって云ったよな」
「うん……」
「つまりお前が先行か。今日、波歌を殺したのが赤鞠なんだな」
「うん……」
「残りは〈二・二・二・二〉――お前の負けが確定しているな」
「うん……」
「何か逆転の策はあるのか。諦めてお縄に掛かるつもりじゃないだろ」
「もちろん諦めてないよ。だけど策は……」
あまねへ振り向くと、彼女は肩を落としている。俺が乱暴したせいで乱れた髪が顔に掛かっているのを、まだ直そうともしない。すっかり弱気になってしまったようだ。
『あまねが死んだら、悲しい?』
昨晩、彼女が俺に問い掛けた言葉を思い出した。
「お前が勝てば赤鞠がすべての罪を被るというのは確かなのか」
「彼女は勝負事に命を懸ける。その点だけは信用に値するよ……」
「お前、二度とこんなことはしないと誓えるか?」
あまねの目が見開かれた。「え?」と意外そうな声を発して、俺を見詰め返した。
「法律を犯すような遊びをするな。それとも大人の云うことなんて聞きたくないか?」
「来須さん、もしかして……」
「誓えるなら、お前を勝たせてやる。俺は七五三ゲーム無敗だからな」
充分に葉が詰まった煙草に、火を点けた。あまねは「うわ~ん」と泣き出した。勢い良く抱き着かれる。俺はその頭を撫でながら、もう一度謝った。
「さっきは怖がらせてごめんな」
「いいの。いいんだよお……それよりも来須さん、あまねのこと嫌いにならないでえ……」
「ならないよ。だから安心しろ」
何があろうとも、俺はこの子の味方でいようと決めているのだ。