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聖JKとアンチミステリ御破算  作者: 凛野冥
みかえる章:あまね<すべての者
38/39

雫音あまねから、全能であるあなたへ

    ・・・・


 真っ赤に染まった空を突き刺すかのように聳える、花天月高校の校舎ビル。

 ビルの中は無人で、昼間の熱はどこかへ逃げ去り、どこも冷え切っている。

 停止しているエスカレーターを、俺は煙草を吸いながら、のぼっていった。

 最上階に到着し、屋上へ通じる階段へ行くと、一番上に珠田が立っていた。

「嗚呼、ダーリン……今朝とはまるで見違えるようです。真実を知ったのですね?」

 腰をひねって、両手を頬にあてて、恍惚とした表情で俺を見下ろす。

「素敵です。先ほど、珠田のお父さんが密室で殺されました。私達の結婚を認めようとしなかった糞野郎の死は非常に喜ばしいことです。これでずっーと一緒ですね、ダーリン」

「ああ、そうだな。そいつは良い報せだ」

 煙草を床に捨てて、踵で踏みつける。

「そこを通してくれるか」

「もちろんです。珠田は此処で待っております。行ってらっしゃいませ……」

 身体を脇にどけて深く頭を下げた珠田の横を通過し、俺は扉を開けた。

 屋上に出るや否や、強い風が吹きつける。扉が背後で、激しい音を立てて閉まる。

 四方――フェンスの外側には、ペストマスクを被り、背中にプラスチック製の黒い羽をつけた女子生徒達が、内側を向いて横一列に並んでいる。

「十二月二十一日、十六時三十分――」

 正面――屋上のふちに位置する貯水タンクの上には、ただひとりペストマスクも黒い羽もつけていないあまねが、得意そうな笑みを浮かべて、手を後ろで組んで立っていた。

「ようこそ、来須さん。未来のあまねが云う言葉、憶えていてくれたんだね?」

 俺にとっての過去は、彼女にとっての未来。

 ゆえに俺達は、すれ違い続ける宿命。

「ようやく、本当のお前と出逢うことができた。そう感じるよ」

「そうだね。今このときは、あまねと来須さんにとって特別な意味を持ってる。この世界の真実を知った来須さんが初めてあまねと出逢った場所。あまねからすれば、そんな来須さんとお別れしなきゃいけない場所。だから此処が二人にとって〈運命の場所〉なの」

 視線を遠くの空へ投げるあまね。

 その横顔は夕陽に赤く染め上げられている。

「来須さんはこれから時を重ねるごとに、あまねへの愛を深めていくことになる。あまねは最初、来須さんがどうしてあまねのことをそんなに愛してくれるのか、分からなかった。来須さんとの時間を逆さに辿っていくうちに、次第にそれを理解していって、あまねも来須さんを愛するようになった。だけどそうなったころには、来須さんはまだあまねのことを愛していないの。来須さんがこの言葉の意味を知るようになるのは、いつだろうね……」

 その視線が再び俺へと戻される。

「愛しているよ、来須さん。貴方と、貴方が生み出したこの世界のすべてを」

 ゾッとするほど儚い微笑を伴って、その言葉は告げられた。

「……お前はきっと、途方もない先の未来から、時間を遡って来たんだろうな」

「うん。来須さんがいま想像しているよりもずっと、ずっとずっとずっと先。永遠と呼べるほどの時間、星の数ほどの事件を、来須さんと過ごしてきた」

 一言一言を大切に、抱え込むようにしてあまねは言葉を紡ぐ。

「だからあまねは失敗するわけにはいかないの。そろそろ陽が落ちる。そのとき、此処にいる来須さんとあまね以外の全員は一斉に飛び降りる。〈うりえる章〉はそこまで」

「そして次の章では、ひとりだけが復活しているんだな」

「そうだよ。〈アメノトコタチ章〉〈ウマシアシカビヒコヂ章〉〈カミムスビ章〉〈タカミムスビ章〉〈アメノミナカヌシ章〉では、その子が聖JKとして事件を仕掛けるの」

「『古事記』の別天津神ことあまつかみから名前を取っているのか」

「うん。四大天使の部では、アルファにしてオメガの聖JK・あまねが仕掛ける一連の事件を通して、この世界の構造を暴く筋書きだったでしょ? 別天津神の部では、あまねは来須さんと一緒に聖JKあてを行うって趣向なの。だから誰が聖JKになるのか分からないように、集団自殺をするんだよ」

「でも相変わらず時間を逆行しているお前は、答えを知ってるだろ?」

「ううん。来須さんは別天津神の部の最後に真相に辿り着くけど、あまねには秘密にするの。だからあまねは未だに、ヒカガミちゃんのお父さんを殺したのが誰か分からないんだ」

「なるほど。よく考えられてるな」

「そりゃそうだよ! 此処は来須さんが考えた最高のミステリの世界だもん。別天津神の部もね、本当に面白いんだよ。密室、首切り、暗号、見立て、遠隔殺人。来須さんとあまねとヒカガミちゃんの三角関係まで楽しめるし、最後には衝撃の展開があってオグドアスの部に突入するんだけど――これ以上のネタバレは控えるね! とにかく、この世界は絶対に来須さんを退屈させないから。来須さんの望むすべてが、此処にはあるから」

「どうした、あまね。随分と必死じゃないか」

 彼女は後ろで組んでいた手を解き、大仰な身振り手振りを交えて話していた。

「まるで何かを恐れて、隠そうとしているみたいだな」

「……どうして、そんなことを云うの?」

 ぎこちない笑みが残った顔。しかし目が笑っていない。

 すべての視線が俺に集まるなか、俺は貯水タンクへ向かって歩き始める。

「お前は江戸川乱歩の言葉を引用していたな。〈うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと〉――俺も好きな言葉だ。たしかにこの全能の世界は、想像が真実となった夜の夢そのものだ」

「そうだよ。来須さんは精神病患者なんかじゃない。それは単なる作品のモチーフに過ぎない。来須さんは成し遂げたの。想像力と信じる力によって、世界を変えたんだよ」

 俺は貯水タンクの下までやって来た。

 側面に取り付けられた梯子をのぼる。強い風が吹きつける。

 そして貯水タンクの頂上――あまねの眼前に、辿り着いた。

 燃え上がるような巨大な夕陽は、既に半分が西の地平線に飲み込まれている。

「ごめんな、あまね。俺のせいで苦労を掛けた」

「なんで、謝るの……?」

「俺は夢から醒めようと思う」

 ガシャガシャガシャッ。あちこちでフェンスが音を立てた。

 沈黙を守っていた生徒達が、ざわざわと小声で話し始める。

「……どうして?」

 あまねは苦痛を押し殺そうとしているのか、わずかに歪んだ表情で問うた。

「現実に還りたいの? そんな……現実なんて痛くて苦しいだけだよ。どいつもこいつも来須さんを否定して、とうとう来須さんは大好きな小説を書けなくなった。やりたくもない仕事をさせられて、死ぬだけの世界。良いことなんて、ひとつもないじゃない……」

「たしかに、此処では一切が俺の想像のままだ。俺は全能者でいられる。誰に否定されることもない。だが、それこそが真の虚無だと思わないか? あるのはひたすらに、自分で自分を満足させるための仕組みだ。此処は自己愛の世界だ」

〈想像界〉にいる子どもは、自らを母親の欲望の対象という像に同一化することで確認する。それが自己愛の根底となる。よって〈想像界〉を出ることは自己愛の挫折を意味するが、パラノイア性精神病の患者はしばしば、完全なる自己愛への逆戻りを起こす。

「それの何が悪いの?」

「悪くはないかも知れないが、俺は嫌だな」

「なんで? 人が現実の世界で小説を書くのは、想像の世界に行きたいからでしょ? この世界に到達したことで、来須さんはそれを真に実現したのに――」

「違うよ。わざわざ小説なんて書くのは、それを他者に伝えたいからだ。そうでなければ、はじめから想像の世界に閉じこもるさ」

 あまりにも当たり前で、本来であれば考えるまでもない話だった。

 初めての出逢いから心奪われた。俺は夢中でミステリを読み漁った。絢爛けんらんたる謎解きの世界。その空想の物語が、つらいことばかりの現実の中で、俺を生かしてくれた。

 それは強烈な憧れをも惹き起こした。俺も俺の想像の中で、ミステリの物語をつくっていた。俺が考える最高のミステリ。面白いと思った。だから人に伝えようと思った。俺も同じように、誰かをミステリで感動させられると信じた。

 気付けば、俺は自分の小説を書いていた。

 これを俺の一生にするのだと決めていた。

「夜の夢は、うつし世の中で見るから夜の夢なんだ。現実を拒否して想像の世界に閉じこもることは、ミステリを書く意味を否定しているよ。此処はミステリの世界じゃなくて、アンチミステリの世界だ」

 あまねは両目を見開いた。

 その唇から何か言葉が洩れようとしたのを、背後から別の声が遮る。

「黙って聞いてりゃ、なに勝手なことほざいてくれてんのよ!」

 振り向くと、フェンスの向こうで生徒のひとりがペストマスクを外していた。聖JK候補者なので、俺は初めて見る顔だ。こめかみに血管を浮き上がらせて叫ぶ。

「あんたがいくらキレイゴトを云ったって、もうこの世界は完成してるの! 出たいからって出られるものじゃないのよ!」

「そうですよ!」別のひとりがマスクを外した。「〈みかえる章〉は私達の飛び降りで幕を下ろして、〈アメノトコタチ章〉が始まることが決定しているんです!」

 澄神も話していたことだ。俺は物語の中に閉じ込められている。

 だが、本当にそうだろうか。

「完成した物語なら、破綻はたんさせれば穴が開いて出られるんじゃないか?」

「それが無理だって云ってんの! 此処で何をしたって、はじめからそう組み込まれている行動にしかならない。既にそれを踏まえた未来になってる!」

「貴方が未来を体験していない以上、完成した物語を変えることはできないんですよ!」

「いいや。ひとつだけ方法がある」

 この世界を成り立たせている存在が、聖JKだ。

 裏を返せば、聖JKこそが、この世界の弱点だということ。

「この〈みかえる章〉であまねが死んだ場合、あまねは時間を逆行していく予定なんだから、その影響は過去に遡及する。〈らふぁえる章〉〈がぶりえる章〉〈うりえる章〉におけるあまねの行動はなくなり、その結果としての現在と未来もなくなる。なにせ〈父殺し〉も行われないことになるんだ。それは明らかに、この物語の破綻を意味するだろう」

 世界を根底から覆すほどの、どよめきが起こった。

 無理もない。要するに、俺はあまねを殺すと云ったのだ。

 それは〈はじめからそう〉とされているパラドックスとは違う。

 完成した物語内で、新たなパラドックスを生じさせる行為となる。

 生徒達は次々とペストマスクを脱ぎ去っていく。血が滲むのもいとわずフェンスにしがみついて、目を剥いて、唾を飛ばしながら口々に叫び始める。

「ふざけないでよ!」

「やめてください!」

「そんなの許されるはずがない!」

「馬鹿なことを云うな!」

「信じられない!」

「考え直しなさいよ!」

「本当にそれでいいの!」

「貴方にそんなことができるんですか!」

「自分の世界を自分で拒絶するなんて!」

 扉がガシャンと開いて、新たに複数人が屋上に駆け込んできた。

 珠田ヒカガミ、由布こもる、宇奈智緑、久万谷柚子。宇奈赤鞠までいる。他にも見覚えがある人々。澄神と伊勢を除いた、これまでの章で登場した者達だろう。

「ダーリン! まさか――本気で云っているのですか!」と泣く珠田。

「此処が〈想像界〉だから、私達は生きていられるんですよ!」と戸惑うこもる。

「ボクらをただのフィクションに――絵空事にするつもりっすか!」と嘆く智緑。

「この世界はもはや、あんただけの世界じゃないってのに!」と怒る柚子。

「私達全員、この世界ごと殺されるようなものじゃない!」と責める赤鞠。

 みなが必死の形相で、俺を止めようとしている。死にたくない、死にたくない、とこれから集団自殺をする予定だった者達が泣き喚いている。しかし、それは違う。

「逆だよ。他の誰に気付かれることもない、この閉じた世界にいることこそ、死んでいるも同然だと俺は思う。生きているのに、死んでいる。だが小説になれば別だ。素晴らしい小説だったなら、それは俺が死んでも生き続ける」

 勝手な理屈だ、という非難が起こる。たしかに、彼女達からすればそうだろう。

 俺が小説を書けなくなったことで、この世界は出来上がった。この世界の住人である彼女達が、いまさら俺が小説を書くと云って、素直に信じられるはずがない。

「馬鹿あ!」

「他人なんてどうでもいいでしょお!」

「小説なんて書くなあ!」

「どうせ何にもならないんだあ!」

「絶対にまた失敗するう!」

「お前の小説なんて誰も求めてないって気付けえ!」

「もうウンザリするほど繰り返しただろうがあ!」

「どうして諦めないんだよお!」

「これじゃあ私達は無駄死にだあ!」

「誰も幸せにならないんだあ!」

「いい加減にしろお!」

「阿呆お!」

「大人しくこの世界で生きていけえ!」

 倍加していく負の感情。奥底に眠っていたもの。

 天を塞がんばかりの慟哭どうこくが屋上を埋め尽くすなか、

「みんな静かにしてよ! 決めるのは来須さんだよ!」

 そのひとつの声が、すべてをピッタリと止めた。

 あまねだ。聖JKとしてみなを統括する彼女の、まさに鶴の一声だった。

 残ったのは啜り泣きだけ……いや、ひとり、もうひとりと、あまねに問う者がいる。

「なぜです……? この世界のために最も身を粉にしたのは、あまねちゃんなのに……」

「こんな最低な結末、あまねちゃんは受け入れられるんですか……?」

「あまねちゃんがしてきたすべてが、否定されようとしているんですよ……?」

 あまねはそれらに対しても、「いいから、静かにして!」と云った。

「この世界のためじゃない。来須さんのために、あまねはいるの」

 今度こそ、すべての声は止んだ。

 俺はあまねに向き直る。風になびく髪が、彼女の表情を隠している。

「来須さん……現実で、他者に伝えることを選ぶんだね?」

「ああ。俺はこの物語を小説にする」

「現実は、来須さんの思い通りにはいかない。忙しくて、小説を書く時間もないよ」

「そんなのは云い訳だ。本気なら、少しずつでも書いていけばよかった。移動時間とか、待ち時間とか、食事中でもいい。小説を書くのに特別な道具も準備もいらないんだから」

「否定されるのが怖くないの?」

「怖くないよ。この世界で思い出した、かつて全能者であったころの気持ちを――お前らのことを、俺はもう忘れないから」

 あまねは知っていたのだ。〈作者の意識〉が切り離されても、あくまで主体はこの俺であり、〈想像界〉〈象徴界〉〈現実界〉とは主体性の領域を定義する概念である。この世界の仕組みを知った俺は、受け入れるか否か、その選択権を手にする。

 ゆえに此処が〈運命の場所〉。

 あまねは当然、俺に受け入れて欲しかっただろう。だがおそらく、それだけではなかったんじゃないだろうか。なぜなら、この〈みかえる章〉を成功させた彼女は、彼女にとっての未来で俺に対して云う。

『昔の自分を否定することで成長した気になってるみたいだけど、ただ挫折しただけでしょ。妥協していまの詰まんない生活してるんでしょ。軽蔑するよ。あんたは終わった人間だ』

 彼女には、この世界を拒絶してもらいたいという想いもあったのだ。

 この先、この世界に満足している俺の姿を見てきた彼女だというのに。

「『虚無への供物』はミステリを底なしの虚無として、作者だけでなく、そこに群がる読者達もみなが犯人なのだと云った。だけど、この世界で俺は、それは違うと思ったよ」

 あまねは黙って聞いている。

 風が吹き付け、その表情はまだ見えない。

「犯人は作者ひとりだ。この想像の世界には、他者がいない。このままなら完全犯罪となるが、それこそが虚無なんだ。だから小説にして、読者へ犯行を告白する。いわば虚無からの供物であって、それが他の誰かを救うとも信じている。これを虚無と呼ばせないために、小説は書かれるんだ」

 この言葉だけを、そのまま誰かに話しても、伝わりはしないだろう。

 しかしこの物語には、それを伝える力があるはずだ。

 虚構の積み重ねによって、真実を描こうとすること。

 物語の意味とは、そこにある。

「……きっとだよ」

 不意に風が止んで、ぽつりと、あまねが口を開いた。

 顔を上げた彼女は、大粒の涙を流しながら精一杯、微笑んでいた。

「ねえ来須さん。あなた、本当にしっかりしてこの事件を書きあげてね」

 西の地平線では、夕陽が完全に沈もうとしている。

「ありがとう。必ず、最高のミステリ小説にするよ」

 俺は張り裂けそうな胸の痛みを堪えながら、

 あまねの肩を強く押した。

 女子高生達が一斉に叫び声を上げるなかで、

 彼女は地上へと落下していき、

 直後、俺の視界は真っ白な光に塗り潰された。





【みかえる章:あまね<すべての者】終。

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