The Court of the Crimson King
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「お帰りなさい、来須さん。十二月十九日、十九時五分だねえ」
一週間ぶりに帰った部屋は荒れていた。テーブルもソファーも棚もすべてひっくり返されて、書類や本や衣類が散らばり、その中であまねが手を後ろで組んで立っていた。
「何してんだ」
「あまねじゃないよ。来須さんがいない間に、強盗が入ったの。お金や通帳は無事だけど、印鑑と書類をいくつか持って行かれちゃったよ」
まあ、そんなことはどうでもいい。
俺はソファーを正しく置き直して腰を下ろした。それから改めて、あまねを観察した。
ボブカットにした藍色の髪。くりくりとした目。得意そうな笑み。ピンク色のパーカーの上から羽織った黒色のブレザー。首から掛けた懐中時計。丈が短いスカート。
「なあに、来須さん。やらしい目であまねのこと見て」
「お前が実在していることは認める。だが俺はあまねの死体を確認した。いくらあまねとそっくりの外見をしていても、お前はあまねじゃないと結論される」
「じゃあ何? 双子? クローン? 高度な変装? 最先端の整形手術かな?」
首を左右交互に傾けながら、唄うように話すあまね。
「全部違うよ。出来の悪いミステリじゃないんだからさ」
「もうひとつ、俺が確認したあまねの死体が偽物だったという可能性もあるが……」
「だーめ。警察医まで欺ける偽物の死体なんて、どうやって用意するの?」
今度は取るに足らないとばかりに首を振った。
「あまねは正真正銘のあまねだよ。復活したんだって、何度も話したよね」
「また抽象的な――」
「じゃあ具体的なことって何? それはそんなにも信用できるものなの?」
じりじりと俺の方へ歩を進めながら、彼女は滔々と述べる。
「『荘子』斉物論にある〈胡蝶の夢〉を知ってる? あるとき、夢の中で胡蝶となっていた荘子が目覚めて思った――もしかして、いまが夢なのではないか。胡蝶となった夢から目覚めた人間と、人間となった夢を見ている胡蝶、どちらが真実なのか」
「それがどうした」
「人間は自分が認識するようにしか世界を捉えられない。世界とは、主体となる人の認識。だけど主体の認識は曖昧なもの。なんて、改まって説くまでもないよね?」
優しく諭すようでその実、俺を丸呑みにして、溶かそうとしているみたいな態度だ。
「これを踏まえて考えてみて。〈うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと〉――江戸川乱歩はそう云った。うつし世は現実のことで、夜の夢は乱歩が小説に書いたような空想のことだね。これは退屈な現実でなくミステリの世界に身を置こうとした、夢想的なレトリックとして解釈されがちだけれど、本当にそうなのかな?」
「何が云いたいんだ」
「すべては世界の捉え方の限界じゃなくて、可能性を示しているってことだよ。人は認識したままに世界を変えることができる。想像力と信じる力を失わなければ、世界には不可能なことなんてひとつもないの」
まるで全能者の如く。あまねは慈しむように俺を見下ろしている。
「それは……狂人の理論だよ。あるいは単なる、世間知らずだな」
「世間知らずは悪いこと? 狂人は悪いことなの?」
その問いは昔に散々、考えた。嫌でも答えられる。
「ひとりきりで生きていくなら、勝手にすればいいかも知れない。だが社会の中で生きていくには周りの認識と、周りの世界と、合わせていくことになる。狂人や世間知らずでは受け入れてもらえない。詰まんない生活と思うだろうが、お前だってこうなるんだぞ。まだ高校生だから、自分は違うなんて根拠もなく信じていられるが――ああ、まったく――こんな馬鹿馬鹿しい、説教臭いこと、話したくないのに!」
「大丈夫。この世界は来須さんを裏切らないよ」
あまねは俺の頭を撫でた。いつかのように俺の言葉に反駁することもなく、しかし納得したふうでもなく、ただ相手にしていない。
「今はゆっくり眠って。そして目覚めたら、真実に向かって歩き出すの」
「さっぱりだ。何を云っているんだか……」
突如、睡魔が俺を襲った。まぶたが下りて、急激に意識が遠のいていく。
「〈運命の場所〉で待ってるよ」
慈愛に満ちたあまねの表情だけが、網膜に焼き付いた。




