カリスマが支配する学校
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『学校であまねがどんなふうなのか、気になる?』
昨晩の質問を受けてというわけでもないが、昼休みに初めてあまねの通う花天月高校に行ってみることにした。午後に社外打合せがあるため、どうせ外出ついでだ。
最寄り駅で降り、オフィス街のなかを徒歩五分。狭い土地に二十階建ての校舎ビルと体育館とグラウンドと駐車場とが詰め込まれている。受付で生徒の保護者であることを告げて運転免許証を見せると、首から下げる〈来館者カード〉を渡された。
あまねが所属する二年アネモネ組の教室は十六階にあったが、覗いてみても彼女の姿はなかった。十名ほどの女子生徒の集団が廊下を歩いてきたので、声を掛けてみる。
「雫音あまねがどこにいるか知らないかな」
不審そうに俺を見るだけで誰も答えない。しかし彼女達もなかなか異様な佇まいだ。流行りのファッションなのか、みながメイドみたいなホワイトブリムを頭につけている。
「あまねの保護者だよ。届けたいものがあって来たんだ」
「へえ、貴方が?」
先頭の真ん中に立ち、ひときわ異彩を放っている女子が片眉を吊り上げた。
彼女だけはホワイトブリムでなく、位置が高めの長いツインテールの付け根にそれぞれ、赤色のレースで大きな薔薇を象った髪飾りをつけている。髪は鴉の羽みたく真っ黒で、両の瞳も同じ色。肌は抜けるように白く、唇は赤く映えている。スタイルも良いし、えらく大人びた顔立ちだ。
「私を紹介して」
彼女の言葉に、右隣に立つ巻き髪の女子が「はい!」と応じた。真ん中の女子を両手で示して、誇らしげに説明する。
「このかたこそ、宇奈赤鞠様であらせられます。お前みたいな下賤の者が赤鞠様のお姿をその目に映していることが、どれだけ栄えあることか理解していますか?」
「下賤では足りないわ」
赤鞠という女子は、開いた両手の甲を顔の高さまで上げた。自分に注意を引き付けるためか、単に薔薇をあしらった赤いレースの手袋を見せたいのか、いずれにせよ大仰な仕草だ。変な連中に絡んでしまったらしい。
「卑しいどころでない罪人よ。カビの生えたパンですら与えるのが惜しいほど」
「……あまねの居所を知らないならいいんだ。他をあたるよ」
後列から「ねえ!」と声が飛んでくる。
「赤鞠様の前では床に片膝をつきなさい!」
「自らの分も弁えないで、なんたる無礼!」
構わずに踵を返そうとしたところで、また赤鞠が口を開いた。
「馬鹿と煙と雫音あまね。彼女ならきっと屋上でしょうね」
取り巻きがくすくすと笑い始める。俺は礼だけ述べてさっさと屋上を目指すことにした。
一体何だったのだろう。エスカレーターを上っていると、他のフロアにも頭にホワイトブリムをつけた女子生徒が目につく。みな、先程の腹立つ連中のお仲間だろうか……?
最上階は食堂となっていた。屋上へ行くにはエレベーターホール脇の階段を使うようだが、其処では一番上の段に腰掛けて、行く手を塞いでいる女子生徒がいた。
「残念! 屋上はあまねちゃんが使用中です。お引き取りください」
頭の天辺で髪をお団子にして、黒ぶちの眼鏡を掛けた地味な女子だ。
「そのあまねちゃんに用があるんだ」
「あっ、みんなの指導者を気安くちゃん付けで呼んだら駄目ですよ」
「俺が探してる雫音あまねはきみ達と同じ生徒なんだが」
「そうですよ? でもあまねちゃんは遥か高みにいて、みんなを引き上げる存在なのです」
ホワイトブリム集団に続いて、この学校にはおかしな生徒しかいないのだろうか。
よく分からないけれど強行突破する。
「ちょっとちょっと! 駄目ですって!」
スーツの裾を掴まれても気にせず扉を開けると、耳慣れたあまねの声が聞こえてきた。
「――我々がこの世の中にいる限り、我々にとって益となるのは、我々自らに復活を生み出すことである。それは我々が肉を脱ぎ去るときに、安息の中に見出されることとなり、中間の中を彷徨うことにならないためである」
あまねは貯水タンクのふちに腰掛けて、片手に文庫本を持って話をしている。その下には二十人ほどの女子生徒が不規則に配置された椅子に座り、あまねを見上げている。
「以上が『フィリポ福音書』からの引用だよ。グノーシス主義の特徴〈肉体の蔑視〉がよく表れているね。ギリシアにおいては古くから、人間の肉体が霊魂を幽閉する一種の牢獄だという思想が、オルフェウスやピタゴラスのそれとして伝えられてきた。後にプラトンが紹介した『肉体(ソーマ)は魂の墓場(セーマ)である』という文言も――」
「あまねちゃーん! 侵入者ですう!」と、俺に半ば抱き着く格好で制止しようと努めているお団子ヘアーが叫んだ。みなが一斉にこちらを振り向く。ざわめきが起こる。
「わっ、来須さん! なんでいるの?」
あまねは貯水タンクから飛び降りると、生徒達の間を縫って駆け寄ってきた。
「なんでいるの? なんでいるの? なんでいるの?」
若干の気恥ずかしさを覚えつつ、「様子を見に来た」と正直に答える。
「えー、いきなり困るよお!」
言葉とは裏腹に嬉しそうだ。
「みんなあ、悪いけど来須さんと二人にしてくれる? 続きはまた後でやるからさ!」
すると全員がその言葉に従った。お団子ヘアーも「え? え?」と戸惑い、それから不承不承という様子で離れた。みなが怪訝そうに、俺をじろじろと眺めながら左右を通り過ぎていく。
最後のひとりが扉を閉めてから、俺はまず肩をすくめた。
「……これがお前が云うカリスマってやつか?」
「そうだよ。お昼休みの青空教室。あまねちゃんの有難い授業」
あはははっと無邪気に笑う。まあ慕われているなら結構なことだろう……。
屋上には椅子が残されたほか、大きなホワイトボードが貯水タンクに立て掛けられている。
「どうして七五三ゲームなんかやってるんだ?」
ボードに黒ペンで描かれている内容が気になった。あまねは「んー?」と首を回した。
「あーこれ? 別に。来須さんのイカサマを暴きたくなったんだよ」
先週に俺が教えて、数回だけ二人で遊んだのだ。俺はこのゲームで負けたことがなくて、あまねにも当然のように全勝した。意外と根に持っていたのだろうか。
ルールは簡単だ。下から一段目に七本、二段目に五本、三段目に三本の縦線を引く。それらを交互に、横線を一本だけ引いて消していき、最後の一本を消した方の負け。ただし、必ず一本以上は消さなければならない。別の段に跨がることはできない。既に消された縦線を跨ぐこともできない。以上。
「このゲームにイカサマの余地なんてないぞ」
あまねも俺もボードに向かって歩く。現在、ボード上の七五三には横線が三本引かれた状態だ。一段目は右端の二本、二段目は左端の三本、三段目は左端の一本が消されている。
「じゃあ次が来須さんの番なら、どう消すの?」
ボードの前までやって来ると、赤ペンを手渡された。俺は一段目に残っている五本のうち真ん中の一本を消して、二本と二本に分割する。考えるまでもなかった。
「ほらあ、やっぱり〈二・二・二・二〉の組み合わせで残した。二本が偶数個のパターン。これであまねの負けが確定だね?」
あまねは我が意を得たりとばかりに手を叩く。
「次に二本消した場合、来須さんも二本消して残りを〈二・二〉にする。こうなるとあまねが〈一・二〉にしても〈二〉にしても、最後の一本はあまねに回ってきちゃう。次に一本だけ消した場合、来須さんも一本消して〈一・一・二・二〉にする。これをあまねが〈一・二・二〉にしたらやっぱり〈二・二〉で返されるし、〈一・一・二〉か〈一・一・一・二〉にしても〈一・一・一〉で返される。一本を奇数個も当然、必勝パターンだね」
「ああ。三本を偶数個とか〈一・二・三〉とか〈二・四・六〉とか、他にもたくさんあるよ」
必勝パターンを多く知っていれば、それだけ早くから勝ち筋をつくれるというわけだ。
「イカサマじゃん。情けないんだあ、来須さん」
「ルールに準じた真っ当な勝ち方だと思うが」
「こういうことなら、はじめから教えて欲しかったかも」
微風になびく藍色の髪を耳に掛けると、あまねは両手を後ろで組んでボードを見詰める。
屋上は陽に照らされているが、ずっといるには肌寒い。俺はフェンスまで近づいて地上を見下ろした。寂しいことに、グラウンドは無人だ。
「誰もグラウンドで遊んだりしないのか」
「あー、高校生にもなればね、元気に外で駆け回ったりしないんだよ」
あまねも隣までやって来ると、フェンスに手を掛け足を掛け、よじ登り始めた。「危ないからやめろ」と云っても聞かず、フェンスの上に座って両脚をぶらぶらと揺らす。
「あの十二月二十一日は、風が強かったなあ」
「何の話だ?」
「終業式の日、夕陽が西の地平線に沈むころだよ。鴉のお面を被って、背中にプラスチックの黒い羽をつけた大勢の女子高生がね、校舎の屋上に横一列で並んだの。それからみんな一斉に飛び降りると、真下の地面に叩きつけられて死んじゃった。ただひとりだけが翌朝に、校舎から一キロ以上も離れた河川敷で眠っていた。その子は空を飛んだんだと思う?」
「さあ。作り話じゃないなら、そいつは飛び降りなかったんだろう」
「はずれ。来須さん、もしかして謎解きは苦手?」
大きく身体をひねって、あまねはくりくりとした目で俺を見下ろした。
「やり方を教えたのは、あまねなんだよ。あまねも同じことができるの。飛べるから平気っていつも云ってるのはそういうこと。だから安心して」
「うーん……むしろ心配になったな。お前の頭の調子が」
俺は腕時計を確認して、フェンスから離れた。
「そろそろ行くよ。邪魔したみたいだし」
「えー。気にしないでいいのに」
「次の予定もあるんだ。何であれ、お前が楽しそうで良かったよ」
新しい学校生活に順応できているか、気にしていたのは事実だ。順応どころか指導者めいた地位にいるのは驚いたけれど、当人達がそれでいいなら俺が出る幕はないだろう。
「今日は早く帰ってくる?」
「いや、遅くなる」
「また残業?」
「そんなところ」
「やーだー。たまには早く帰ってきてよう」
駄々をこねるような言葉に適当に手を振って、俺は屋上を後にした。
扉を出てすぐの階段には、先ほど一時退場させられた生徒達が溜まっていた。
「やっと出てきた!」
「およそ八分間ね」
「あまねちゃんと二人きり……」
「羨ましい!」
そのうちのひとりが両手を腰にあてて、正面に立ちはだかる。
「おじさん、あまねちゃんの何なのですか!」
緊張の面持ちで俺を注視する一同。水を打ったような静けさが訪れた。
おじさんと呼ばれたことに軽くショックを受けた俺は、「恋人」と答えてやった。