Moonchild
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〈月の天鵞絨〉を出て、こもると別れた。彼女の家は歩いて五分ほどの場所らしい。
俺は澄神と共にタクシーに乗った。「家まで送りますよ」と云う澄神だが、もとよりそうさせるつもりだ。発進すると、こいつはまたすぐに喋り始めた。
「萬くんが死亡した翌日、彼の家に泥棒が入りました。盗られたのは衣服や靴、枕に布団カバー、小物の数々――すべて萬くんの私物です。それから家族の写真を収めたアルバム」
相槌は打たない。窓の外を流れていく、夜の街を眺める。
「萬くんの私物がなくなるのは、以前から時折あることでした。聞けば、彼の双子の妹である千里さんが盗んでいたそうです。他にも萬くんの部屋のゴミ箱を漁ったり、シャワーを盗撮したりと、ストーカーまがいの行動が目立っていました。しかし彼女は先月二十八日、同級生の宇奈智緑の自宅で起きた殺人事件によって命を落としています」
クリスマスを控え、イルミネーションに彩られた街。その中を歩く人々。
「では梅郷邸に入った泥棒は誰なのか。千里さんの他にもストーカーがいたのでしょうか。こもるさんはどうでしょう? 萬くんの死の真相を知るため、探偵まで雇った彼女です。ただ不思議なことに、ベロニカ組の萬くんとルピナス組の彼女には、大した接点がありません。中学までも別々。彼女の恋慕は経緯が不明なのですよ」
俺には、あんなふうに誰かと肩を並べて街を歩くことなど、一生……。
「血液交換とは何ですか、来須くん。梅郷千里に戻れるわけもない、とは」
「は?」
俺は振り向いた。探偵は悠然とした態度で、俺の肩を指差した。
「それ、返してもらえますか?」
自分の肩に手をやる。指が異物に触れる。何やら小型の機械が、ジャケットに引っ掛かっていた。〈月の天鵞絨〉で澄神が席を立つ際、手を置いたところだ。
「……盗聴器か」
「睨まないでくださいよ。きみは私の助手として働くことを承認したはずです」
「俺とこもるが知り合いだと分かっていたな? これが目的だったんだろ」
「前者はYesですが、こんなのはついでに過ぎませんよ。もっとも依頼人の本心が聞けたのは有難い。由莉亜さんへの復讐――確証を得るまで待つぶん、真織さんよりは冷静ですな」
「依頼を断るのか」
「まさか。私の諾否を決めるのは、報酬の程とスケジュールの都合のみです。さて来須くん、説明してください。こもるさんが萬くんの私物を盗んだ理由が分かるのでしょう?」
「クラキ・クラミジア事件とは無関係だ」
「それを判断するのは私です。安心なさい。Meddle not with another man's matter.――無関係であれば、既に幕を下ろした事件をどうこうする気はありませんよ」
正義感とは無縁に違いないこの男だから、その点は信用できそうではある。だが此処はタクシーの中だ。先ほどから、第三者への警戒が足りていないのではないだろうか。
俺の考えを視線から読み取ったのか、澄神も運転席へと顔を向けた。
「伊勢、こちらの窓を少し開けなさい」
「かしこまりました、澄神様」
仏頂面の運転手は即答した。窓が開くと、澄神は当然のようにパイプをふかし始めた。
「彼は私専属の運転手であり用心棒です。秘密が漏れる気遣いはありません。三度目ですよ、来須くん――聞かせてくれますね? 暇つぶしの雑談になれば結構じゃありませんか」
何を云っても、引き下がりそうにない。俺はまたしても降参した。
宇奈智緑がおこなった血液交換と、その結果として起きた人格シャッフルを説明する。梅郷千里が殺された事件についても簡単に触れたが、水柱一族連続殺人事件やあまねの存在には言及しないで済ませる。幸い、深く突っ込まれはしなかった。
「ありがとう、来須くん。たしかにクラキ・クラミジア事件には関係しないかも知れませんが、依頼人の正体を知れたことはノイズの軽減です。主旋律を捉えやすくなったでしょう」
「……ずっと来須くんと呼んでるが、お前、歳はいくつなんだ」
「おや。古い体質の企業に勤める者らしい、ナンセンスな疑問ですな」
「分かった、もういい。……それより、俺の家とは方向が違うぞ」
説明している途中から気になっていたことだ。はじめは渋滞を迂回しているのかと思ったが、先程ついに逆方向となった。
「はい。向かっている先は私が宿泊しているホテルですからね」
「俺を家に送り届けるのが先じゃないのか」
「ホテルは由莉亜さんのマンションの斜め向かいにある〈ホテル・パの淵〉です。安いホテルは趣味ではありませんが、由莉亜さんの部屋の玄関を監視できるように取りました」
「答えになってない」
「飲み込みが悪いですねえ。きみが帰る先は由莉亜さんの部屋でしょう?」
「なんでだよ」
「きみを助手にした目的です。由莉亜さんの部屋に出入りし、得た情報を私に提供してもらうこと。きみだって真相を知りたいのではありませんか?」
呆気に取られた。こいつ、はじめは由莉亜を救いたくないのかと訊いていたくせに、すり替わっているじゃないか。
とんだ食わせ者だ……。
・・・・
「来てくれて嬉しい」
相変わらず表情の変化に乏しいが、由莉亜はそう云って俺を迎えた。
「変なことに巻き込んじゃったから、もう会ってくれないかと思った」
「むしろ心配してる。連絡せずに来たのは良くなかったが……予定とかなかったか?」
「大丈夫。キャンセルの電話はないけど、きっと来ないから」
布団の上で、俺を見上げている由莉亜。その眉が少しだけ悩ましげに寄った。
「知っちゃったでしょ? うちが学校の人達からお金もらって、してること」
「……ああ、知ってる」
どう切り出そうか悩んでいたから、由莉亜の方から話してくれて助かった。
警察での事情聴取は別々だったので、そこで聞いたものと考えたのだろうか。あるいは、湯浦が喚いていた内容からある程度は察することも可能か。
「きみの方は知ってるのか。花天月高校で相次いでいる変死について、きみから感染したんだって噂になっていること」
「うん。気付いたのは今日だけど。湯浦さんが云ってたから」
俺が隣で胡坐をかくと、由莉亜は顔を俯けた。髪が垂れて表情が隠れる。
「昨日の夜、しなくてよかったね……」
抱えている両の膝がぴたりと閉じている。怯えているのだと、俺には分かった。
澄神に送り届けられて来たはいいものの、俺はノープランだった。もちろん、澄神の目論見どおりにスパイの真似事をしてやるつもりはない。いま由莉亜に質問しているのは、あくまで俺の意思……だが、その先どうしようということは考えていなかった。
それが、この瞬間、不意な思い付きに打たれた。
「親からの仕送りじゃあ、生活費も足りないのか」
「先月から、なくなったの。その前も足りてたわけじゃないけど……」
ぽつりぽつりと、由莉亜は話し始めた。
両親は昔から喧嘩ばかりだった。愛情を受けずに育てられてきた。高校入学を機に一人暮らしを始めた。家賃等の他は、月一万円の生活費を与えられるだけだった。生活費が足りずに何度か、夜の街にも立った。
そして先月に、父親が母親を殺して逮捕された。
高校は中退が決まっている。頼れる親戚はいない。ひとりで生きていかなければならないが、あてはない。そんなとき、梅郷萬から告白を受けた。知らない大人の相手をするよりはと考えて、当座しのぎにしかならないとは分かっていたが、例の提案をした。
「話してくれてありがとう。事情は理解したよ」
すべては単なる事実として語られた。同情を誘うような話し方を、彼女はしなかった。
そうでなくとも、俺とて殊更に胸を痛めはしなかっただろう。世の中に数ある不幸のうちのひとつと思うだけだ。だからこれは、そういうことではなく。
「由莉亜が嫌じゃなければ、今後の生活は俺が世話しよう」
彼女は顔を上げた。表情を見るに、驚きより困惑が先に立ったようだ。
「でも、うちとしたら、死んじゃうかも知れないよ……?」
「そんなことを求めてるんじゃない」
彼女は代償もなしに施しを受けたことがないのだろう。だから戸惑うのも無理はないけれど、それは変えていくべき考え方だ。搾取されるだけの人間になってしまう。
「放っておけないから、そうするんだよ。要は自己満足だ」
由莉亜はまだ黙って俺を見詰めている。俺はその髪を撫でた。
「とりあえず、まともな働き口を見つけるまでだな。どうしても気が引けるなら、その後で少しずつ返してくれ。それでいいだろ?」
それでも間があったけれど、ようやく「ありがとう」と応えてくれた。
彼女の身体に入っていた力が、幾分か抜けたように見えた。
「ただ、その前に解決しないといけないことがあるな……」
「変死のこと?」
「そうだ。きみが感染源だと疑われたまま、放置することはできない」
またいつ湯浦のような人間に襲われてもおかしくない。事実、こもるは確証を得れば由莉亜を殺すつもりでいる。そういった直截的な危害の他にも、噂がどんな尾ひれをつけて、どこまで広がっていくか分かったものではない。
「だけど解決って、どうするつもりなの?」
「きみへの疑いを晴らすよ。こっちも俺に任せてくれるか」
これが先程、思い付いたことだ。
ジェントル澄神は若者の間では有名人らしい。ならば、こいつにクラキ・クラミジアを公的に否定させればいいではないか。俺はそれが可能な立場にいる。
虚偽の報告をして、あの探偵を誘導するのだ。




