Tomorrow and Tomorrow
・・・・
あとは〈遊〉が気絶しているうちに〈赤鞠〉と血液交換が行われ、それから外見と中身の一致した宇奈赤鞠が証拠の映像とともに、殺人犯として警察に引き渡される。赤鞠が何を訴えようとも、犯行時の赤鞠は中身が別人だったなんて話を本気にする者はいないだろう。当然、智緑も、外見が〈遊〉となったミコも、すっとぼけるつもりなのだ。
「あのー……」と、〈こもる〉が恐縮そうに手を挙げた。
「結局、私はどうなるんですか?」
「そのままっすよ? 由莉亜ちゃんとの血液交換の話は白紙でお願いします」
智緑は悪びれもしない。〈こもる〉は反論しそうな素振りを見せたが、結局は飲み込んで、しかし飲み込みきれずに重い溜息を吐いた。
彼女の中身は千里で、その身体は殺されてしまった。智緑には最初から彼女と由莉亜を交換するつもりがなかったのだから、彼女も今回、大いに踊らされたひとりである。
「まあいいですよ。お兄ちゃんのことは、この身体でなんとかモノにしてみせます……」
それで納得したらしい。〈梅郷千里〉でさえなければ、希望はあるのだろう。智緑もそれが分かっていたようで、「そう云ってくれると思ってましたよー」と笑った。
俺は無粋と知りつつも、最後にひとつ訊ねておくことにした。
「赤鞠を嵌めるだけなら、こんな面倒な段取りはいらなかったんじゃないか」
ミコが〈赤鞠〉の身体を手に入れた以上、凶悪犯罪に手を染めて証拠を残せば、それだけで事足りたはずだ。そうでなくとも、俺を呼んで探偵役をやらせる必要はない。
「そうすかねー。だけど人間って、娯楽でも、芸術でも、学問でも、必要じゃないものこそ求めますからねー。有用性のない対象へ情熱を燃やすことが、人間の本質っすよ」
耳かきを始める智緑。〈赤鞠〉が気絶している〈遊〉の両脇を抱えて、〈千里〉の死体が拘束されている椅子の方へと引きずっていくのを眺めながら、彼女はあくまで気楽そうだ。
「ま、理由を付けようとすればいくらでも付けられますけど、一言で云うなら、此処がどこだか知ってるでしょう来須さん――ってとこすかね?」
皮肉っぽい薄笑い。やはりそうだったか。
俺をこの館に招き入れたとき、彼女は云っていた。
『ようこそ、来須さん。ボクの支配領域――〈命メ館〉に』
此処で起きる出来事はすべて、智緑によって支配されている。それがこいつの愉しみなのだろう。思いどおりにする対象が複雑であるほどに、きっと彼女は満たされるのだ。
しかし計算外は最後に起こった。小さな支配者のもとに〈こもる〉が駆け寄った。
「やっぱり、これくらいはしておかないと気が済みません!」
〈こもる〉は、耳かきしている智緑の肘を思い切り押した。
耳掻きが根元まで耳の中に入った。
智緑はひっくり返って、絶叫した。
「ぎゃあああああああああ? 耳ッ――ボクの耳! えええええ? これ! これええええええええッ! ぎえええええええええええええええ――――」
もう飄々としてはいられない。床の上で無様に暴れ回る。
「全然おあいこじゃないですからね。これで許してあげるんですから、感謝してください」
両手を腰にあてて、〈こもる〉は困った生徒に注意する優等生そのものだ。
「〈こもる〉、その端末を拾ってくれるか」
「え? これですか?」
救急車あ救急車あ、と叫び散らしている智緑のジャージのポケットから、中身が飛び出して床の上に散らばっている。その中に〈命メ館〉の玄関扉を開錠する小型端末があった。
「もしかして帰ってしまうんですか?」
「ああ。もう此処で俺がやることはないからな」
「そうですか。何と云いますか、お世話になりま――うるさいですよ智緑さん! ――お世話になりました」
律儀にお辞儀する〈こもる〉から端末を受け取って、俺は〈血の円筒〉を出た。半回転によって丁度、こちらが南口の側である。
玄関へと真っすぐ通路を歩いていく。その途中、後ろからスーツの裾を摘ままれた。振り返ると、上目遣いの由莉亜と目が合った。
「もらったハンカチ、洗って返すね」
「ああ……いいよ。そのまま貰うか捨てるかしてくれて」
だが由莉亜は首を横に振った。スーツの裾を放そうとしない。
「電話番号、教えて。また会いたいから……」
初対面なのに、妙に懐かれてしまったようだ。手帳を開いて携帯の電話番号を書いたページを破って渡すと、由莉亜はようやくスーツの裾を放して、小さく手を振った。
「またね」
よく分からないが、また会うことになるらしい。此処に来て唯一、それは意味があったことと云えるかも知れない。そうでなければ俺とて、単に踊らされただけなのだ。
・・・・
〈メゾン・天野サンクチュアリ〉八〇一号室に帰った俺は、まず部屋の電気が点いていることを不思議に思った。しかし予想できなかった。リビングに這入って、ソファーに人が座っているのを目にした瞬間、驚きのあまり硬直してしまった。
誰だ……? こいつは誰だ……?
ソファーに座る謎の侵入者は、ピンク色のレインコートを着て、黒いペストマスクを被っている。鴉の觜のようなものが突き出した、奇妙なマスクだ。
「お帰りなさい、来須さん。十一月二十八日、二十三時七分だねえ」
マスクが取り払われる。そして現れたのは、あの懐かしい、得意そうな笑顔。
雫音あまねが其処にいた。
今日は色々なことがあったけれどすべて吹っ飛んで、俺は真っ白になってしまった。
「あはっ。どうしてそんなに驚いてるの?」
「…………〈鴉面の通り魔〉は、お前だったのか?」
なぜか、最初に口から洩れたのがその疑問だった。別にどうだっていいのに。
あまねは「半分正解で、半分間違い」と答えた。
「KARASUMENを並び替えれば、AMANE、KRSU――これはあまねと来須さんの二人を示すアナグラムだからね。あまねと来須さんは、二人でひとつでしょ?」
「そうか…………」
血液交換による人格シャッフル。
被害者の外見と中身が一致しない殺人事件。
『肉体は単なる入れ物で、その生き死にには意味がない』
智緑もまた、あまねの指導を受けていた生徒だったのだ。
あるいは指導ではなくて、支配か?
『雫音あまねに会いたいなら、明日の十七時に此処へ来て』
あの場に居合わせた俺。与えられた役割は探偵。
『来須さんはそれを一番の特等席で楽しむことができるんだよ』
この瞬間、俺はすべてが分かったようで、すべてが分からなくなった。
「…………煙草を吸わせてくれ」
【がぶりえる章:智み取り選り取り緑】終。




