来須による解決編・前
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「犯人は〈こもる〉じゃないぞ」
〈血の円筒〉に戻った俺は早速、話し始めた。何か云おうとした〈遊〉を手で制した。
「まあ聞けよ。俺は今、外に行って雪上に残った足跡を撮影してきた。智緑、映せるか」
携帯を手渡すと、智緑はお茶の子さいさいでその映像をモニターに映してくれた。
「見てのとおり、南口から北口に向かってくる足跡が五筋だ。他にはない。新しい順から考えて、智緑に呼ばれてこっちに移動してきた〈赤鞠〉、俺と由莉亜と〈遊〉、これで四筋。もう一筋は智緑だな。死体発見直前、南側の〈血の円筒〉で〈遊〉の準備を終えてこっちに来たときのものだ。それ以前の足跡がないのは、雪で埋もれたというよりは、まだ雪が積もっていなかったせいだろう」
「あ」と声を漏らした者がいた。〈こもる〉だ。
「何か気付いたようだな?」
「由莉亜さんの足跡がないですよ。北口から南口に向かう方の足跡が!」
「そのとおり。智緑の足跡が残っている以上、このときに連絡を受けて、俺に会うため北口から南口に移動した由莉亜の足跡も残っているはずなんだ」
それがないのはなぜか。俺は由莉亜を見遣る。
「きみは北口から南口に移動なんてしていないんだろ」
彼女は黙って頷いた。それを見た〈こもる〉が再び声を上げる。
「えっと。つまり最初から南口側にいたってことですか?」
「いいや、違う。〈こもる〉、きみが使っている客室は館の中央から見るとどの方角だ」
「え? 西南西、ですけど」
「智緑、〈千里〉の客室はどうだった」
「南南西っすよー」
「じゃあ由莉亜、きみは南南東だな。智緑に云われて、隣の部屋を訪ねたってだけだ」
再び首肯する由莉亜。周りの者は大半が訝しそうにしているが、もう少しだ。
「分からないか? 南口側から北口側に移動していたのは、俺の方だったんだよ」
感嘆の声は上がらない。むしろ〈こもる〉は「意味が分からないんですけど……」と不満そうだ。他の者は押し黙っている。
俺は右奥の本棚へと向かった。薄笑いを浮かべた智緑の横を通り過ぎて。
「俺が最初に〈血の円筒〉を訪れたとき、智緑が立っていたのはこの辺りだったな。あれは此処じゃなくて南側の〈血の円筒〉だが、場所は対応していることだろう」
並んでいる書物の中に一冊、他よりも背が高く、背表紙に題名が書いていないそれがあった。どうせ手当たり次第に試してみるつもりだったが、はじめにそれを調べてみたところビンゴだった。棚から抜き取ることができない。代わりに、手前に倒すことができる。
「これがレバーだな。全員、ドアを見ろ」
その光景を目にして、ようやく「あっ!」と声が上がった。
〈血の円筒〉のドアが、ゆっくりと左へ滑っていくのだ。そしてすぐ脇の薬品棚の背後に隠れてしまい、ドアがあったスペースは何もない真っ白な壁となってしまった。
「何、何、何! これ何ですかあ!」
パニックに陥る〈赤鞠〉。
「バレましたかー」と、智緑が肩をすくめた。
「いわばコペルニクス的転回っすよ」
「ああ。天体のように、中にいる俺達からではドア――というか周りの壁が動いているように見えるが、実際に動いているのは俺達だ。今、この〈血の円筒〉は時計回りに回転している。円形の床と、それから北と南とを区切る壁だけがな」
そのために〈血の円筒〉は円形なのだ。自動ドアとなっているのも、ドアノブがあっては北と南とを区切る壁が回転する際に引っ掛かってしまうためだろう。
同じ理由から、壁には何の突起物もない。ただし横に滑っていく自動ドアが見えないように、所定の位置の他は棚やラックや段ボール箱なんかを並べて壁を隠している。
中にいる者は、振り返らない限り、部屋の回転に気付くことができないのだ。
「この音……停電したときと一緒……」
由莉亜が素朴な呟きを漏らした。しかし「音なんて聞こえませんが?」と〈遊〉。俺も同じである。「由莉亜ちゃんは耳がいいですねー」と、智緑が感心している。
「ほとんどの人間は、この回転によって生じている音をキャッチできないはずっす。回転を知覚できないよう、速度も遅くしてあります。わずかな揺れもありません。〈命メ館〉の設計段階でボクが一番こだわったところっすからねー」
自分がしたい話なのだろう、彼女は作業机から飛び降りて語り始めた。
「〈命メ館〉という名称は、〈一の目〉からきているんすよ。間取りがサイコロの一の目になってますよね? で、〈イチノメ〉の真ん中が半回転して〈イノチメ〉。チとノがひっくり返る――〈血の円筒〉が回転するってわけっす」
くだらない言葉遊びだった。どうでもいい。
「どうしてこんなびっくり仕掛けがあるんですか……?」
「面白いからっすよ? これで外に出なくても北側と南側を移動できますし」
挙手した〈こもる〉の質問に、智緑は端的に答えた。後者は、こんな仕掛けを用意しなくても扉を一枚つくるか通路を繋げるかすればいい話なので、理由にはなっていない。
「それよりも、この秘密の仕掛けによってきみが優位に振舞うためだろ? 話しているうちにほら、〈血の円筒〉が半回転したみたいだぞ」
自動ドアが元の位置まで戻ってきて、そして止まった。もちろんそれは北側でなく、南側の扉だ。半回転に要する時間は五分弱といったところか。
「レバーを倒すたびに半回転して停止する仕組みだな」
「でも千里さんの死体が見つかって私達が集まったときには、こっちが北側……つまり元の位置に戻ってましたよね? 半回転は二回、行われたってことですか?」
再び〈こもる〉の質問。理解の早い聴き手がいるとやりやすい。
俺は「そうだ」と頷いて、順を追って説明することにした。
「一度目は、俺が智緑に呼ばれて最初に南側の〈血の円筒〉を訪れたときだ。智緑は本棚に隠されたレバーを倒すと、血液交換の手順や仕組みを説明して俺の注意を引き続けた。半回転が済むまで俺が〈血の円筒〉内に留まり、かつ振り向くことがないようにするためだな。半回転後に〈血の円筒〉を出ても、俺は北側に移動しているとは気付かなかった」
〈命メ館〉は北口と南口どちらから這入ろうが、中ではレイアウトも間取りも変わらない。通路には差分となるような物は置かれていないし、外の景色を見ようにも窓がない。すべてこの仕掛けに寄与するため意図されたものだろう。
「それから俺は自分の客室に戻ったんだが――智緑、これもモニターに映してくれるか」
俺は手帳に書いていた〈命メ館〉二階の見取り図に赤字で名前を書き足すと携帯で撮影した。先ほど部屋割りを確認したのはこのためだ。智緑はその写真をすぐに映してくれた。
南南東の由莉亜から時計回りに、南南西の〈千里〉、西南西の〈こもる〉、西北西の俺、北北西の〈赤鞠〉、北北東の智緑、東北東の〈遊〉、そして東南東のみ名前が入っていない。
「俺は西北西に位置する自分の客室に戻ったつもりが、実際には東南東に位置する別の客室を訪れていたんだ。空き部屋だったから、やはりそうとは気付けなかった。智緑から連絡を受けた由莉亜が隣の部屋を訪ねただけというのも、これで意味が分かっただろう」
道理であんなに早かったわけだ。彼女が自分の疑問点をもっと主張してくれていたらとは思わなくもないが、まあ俺も詳しく訊かなかったのだし、責めるつもりはない。
「一方で智緑は北口から南口に移動していた。ご丁寧に後ろ向きに歩くことによって、雪上の足跡は南口から北口に向かったように偽装されていたな。そして死体発見に至る。智緑は俺に電話を掛けると、由莉亜と二人で〈血の円筒〉に向かわせた。到着した俺達が智緑に電話したとき〈血の円筒〉が真っ暗になったが、これは智緑がわざとブレーカーを落としたんだ。二度目の半回転はこのときに行われた。半回転が完了するまで俺達がその場を動かず、なおかつドアを見ることができないよう、真っ暗にする必要があったんだろ」
「っすー。足跡のことまで細かく拾ってもらえるなんて、気持ち良いっすねー」
智緑は降参でもするみたく両手を上げた。馬鹿にしているようにしか見えない。
「えーっと……すみません、いいですか?」
一生懸命に頭を働かせているらしい〈こもる〉が、訥々と言葉を紡ぐ。
「一度目の半回転に戻っちゃうんですが……来須さんだけじゃなくて、遊さんも気付かなかったんでしょうか。反対側にいた千里さんはVR装置を被ってましたけど、遊さんはそのとき、まだでしたよね……? 椅子は出入口の方を向いてますし……」
「ああ、気付いたはずだよ。〈遊〉は気付いておきながら、あえて俺に隠したことになる」
みなの視線が〈遊〉に集まった。彼女がしばらく口を閉ざしていたのは、そこに着目されたくなかったからだろう。それが叶わず、彼女は苛立たしげに足を踏み鳴らした。
「智緑さん! わたくしはあのとき、貴女に訊ねましたよね? どういうつもりかと」
「やだなー。ただの悪戯じゃないすか。そんなに怒るのはおかしいっすよ?」
智緑の返事を聞くと、〈遊〉は歯を剥いて、鬼のような形相になった。
「もう理解不能! しかし――そうです、わたくしは智緑さんの悪戯に付き合ってあげたに過ぎません。他にやましいところなどありませんわ。だってそうでしょう? わたくしがずっと椅子に座っていたことは映像に残っています。わたくしは絶対に千里さんを殺した犯人ではあり得ません!」
誰もそんなこと訊いていないのに。完全に落ち着きを失っている。
「そうだな。ところで〈血の円筒〉の半回転によって容疑者もまた逆転した。〈こもる〉、たしかにきみは犯人じゃない。良かったな」
「え、そうなんですか?」
〈こもる〉はそこまで理解が追い付いていないらしく、きょとんとした。
「いえ、もちろん私は犯人じゃありませんが! でもどうして……?」
「犯人が〈千里〉を殺すために〈血の円筒〉に這入ったのは十九時三分だった。これは俺と智緑が反対側の〈血の円筒〉を出る直前、つまり半回転が済んだ後のことだ。〈千里〉がいたのは南口側ということになる。したがって、同時刻に北口側にいた〈こもる〉、由莉亜、〈遊〉、智緑、俺は容疑者から外れる」
「なるほど、そうですね! あれ、そうなると南口側にいたのって――」
「ああ、該当するのは〈千里〉の他にひとりしかいない」
俺は視線を、床にうずくまっている、臆病者の皮を被った殺人犯へと向けた。
「犯人はきみだ、〈赤鞠〉」
「わっ――私? えっ、私ですか?」
「なに驚いてるんだよ。云っておくが、他の可能性はないぞ」
「そんなあ! こここ怖がりの私にさささ殺人なんてっ、むむむ無理ですってえ!」
真っ蒼な顔の前で両手をばたばたと動かして、〈赤鞠〉は認めようとしない。
白々しい演技だと思っていると、〈こもる〉がおずおずと手を挙げた。
「すみません。よく分からないんですが……じゃあ赤鞠さんは半回転を知らずに〈血の円筒〉に這入ったんですよね? つまり赤鞠さんが殺そうとしていたのは遊さんで、これは間違い殺人だったということですか……?」
「いいや。〈遊〉と〈千里〉では服装も違うし、〈赤鞠〉は〈千里〉を殺す前にVR装置を外したようだから、間違いなら気付けた。それでも殺したということは、〈赤鞠〉の狙いは〈千里〉だったし、〈血の円筒〉の半回転を予定したうえでの犯行だったということだ。犯行時刻が〈千里〉がひとりになってから随分と後、智緑が戻って来る直前になったのも、半回転を待たないといけなかったのが理由だな」
ぱちぱちぱちぱちと、場違いな拍手の音が響いた。智緑だ。
「ほんとに見事っすねー。さすが七五三殺人ゲームのとき、家系図の組み換えなんて奇策をやってのけた来須さんっす。期待以上っすよ。そこまで分かったなら、残りも当然――」
「智緑さん! 余計なことを云うんじゃありません!」
〈遊〉が歯を剥いたけれど意味はない。
智緑が云うとおり、俺は既に分かっている。
「〈赤鞠〉が半回転を予定していた以上、操作した智緑とは事前に申し合わせていたと分かる。さらにもうひとり、〈遊〉もそれを知っていたな。むしろ〈遊〉こそ、俺に対して必死にそれを隠蔽しようとしていた。あのとき帰ろうとした俺を引き留めたのは、半回転が既に始まっているのが見えていたからだろう?」
「妙な云いがかりは、よしてくださらない?」
両手を勢いよく上げて、〈遊〉は頭を掻く。
「わたくしはただ、この部屋の秘密が貴方に露見してしまってよいのか、智緑さんを心配しただけですわ。まさか殺人が行われるなんて思いもしませんでしたよ」
「ならどうして事件発覚後も黙っていたんだ? 智緑が〈こもる〉を犯人として名指ししたとき、きみは同調したよな? 〈血の円筒〉の半回転を知るきみには犯人が分かっていたはずなのに。この部屋の仕掛けがバレないよう智緑に気を遣ったというのは、殺人事件の真相を隠匿する理由としてはあまりに弱い」
「わたくし――知りません! 思い付かなかっただけです!」
「いいや、きみと智緑は少なくとも共犯者だ。そして結論を先に云えば、きみこそが〈赤鞠〉に〈千里〉殺害を強要した主犯だよ」
「いい加減なことを――」
「何か主張をするときに手の甲を掲げる癖――そのカムフラージュとして頭を掻くようにしているんだろうが、さすがに不自然だぜ。顔が違っても、苛立ったときに歯を剥くその表情は変わらないな」
目を見開く〈遊〉。俺は云い放つ。
「きみの中身は赤鞠だ」




