March for No Reason
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「智緑ちゃん……貴女、どういうつもりですか……」
冷や汗をだらだらと掻いた〈こもる〉が問う。智緑はまったく涼しげだ。
「いやーこもるちゃんこそ、もう隠し通せないすよね? 由莉亜ちゃん全部聞いてますし、血液交換も続行不可能なんすから」
「ああ、あああ、あああ……」
〈こもる〉は目を閉じると、何か莫大なものを封じ込めるかのように身体を震わせる。
「もおおおおおお……最悪ですよおおおおおお……」
「何だ。〈こもる〉の中身は由莉亜じゃないのか?」
俺は智緑に訊いた。何だかずっとこいつに弄ばれている気分だ。
「はい、こもるちゃんの中身は千里ちゃんっすよ。千里ちゃんは双子のお兄ちゃんに恋しちゃってるんす。だけど兄妹は結婚できません。それに千里ちゃんのお兄ちゃんは、自分に恋心を寄せている妹のことを避けているみたいでしてー」
たしかに〈千里〉がそんなことを話していたのは憶えている。
「だから千里ちゃんは千里ちゃんの身体に戻りたくなかったんす。むしろ彼女はこう考えました――お兄ちゃんが想いを寄せている異性に、自分が成り代わってしまおうって」
「それが〈由莉亜〉なのか?」
「由莉亜さん、一部の男子から変な人気があるんですよ……」
すっかり意気消沈している〈こもる〉が云った。それは智緑の暴露を認めたことを意味する。彼女の表情にはいまや、深い失意の念が滲んでいる。
なるほど、〈こもる〉は敬語で喋ったり喋らなかったり、妙に個性が定まっていない印象だったけれど、それは由莉亜本人の前で由莉亜を演じるわけにいかず、とるべき態度を迷い続けていたせいだったのだろう。
「じゃあ由莉亜の方は、誰とも血液交換していないんだな?」
「はい。由莉亜ちゃんは今日が第一回目。血液透析の話をして連れて来ていただけっす」
智緑の言葉に、こくりと頷く由莉亜。
『外見と中身、どっちが由莉亜なんだ』
『どっちもうちだよ』
彼女は最初から事実を語っていたのだ。
それは殺害された〈千里〉も同じである。彼女の中身はこもるに相違なかった。中身を偽っていたのは〈こもる〉だけ……いや、待てよ?
俺は手帳を開いて、前に書いた表を更新した。結果、おかしなことに気が付いた。
〈こもる〉の中身が千里なら、中身が千里であると自称する〈遊〉は何者なんだ?
不良じみた見た目に反して物腰丁寧なその女子を見る。実は誰よりも混乱しているのはこいつなんじゃないかと思うほどに、その顔は険しくなっていた。
「智緑さん……一体、何の冗談かしらん……」
「貴女こそ何の冗談なんですか」と切り返したのは〈こもる〉だ。
「誰なんですか、貴女。さすがに私、そんな馬鹿丁寧なお嬢様言葉で喋ったことなんてないんですけど!」
彼女からしても〈遊〉の中身は謎らしい。由莉亜を自称するために、これまで指摘できないのでいたのだろう。
だが〈遊〉は取り合わず、智緑へ剣呑な目つきを向けている。
「戯れはよしてくださらない? そんな場合ではありませんのよ……」
「怖い顔しないでくださいよー」
「梅郷千里はわたくしです。由布こもるが血液交換をした相手は昏木由莉亜だって、貴女はそう云いましたよね?」
「それはブラフだったんすって。話、聞いてましたー? ボクは千里ちゃんのお兄ちゃん愛が報われるように応援してたんすよ。結局、おじゃんになったわけっすけどね」
「本当に理解できない――本当に理解できない! 何を考えているの、貴女!」
両手で頭を掻きながら激昂する〈遊〉。彼女はまだ自分が千里だと主張するのか。てっきり彼女も、由莉亜と〈こもる〉の血液交換を成功させるために協力していたのかと思ったのに。それ以外に、彼女が千里を自称する理由があるだろうか?
「智緑、その〈遊〉の中身は誰なんだ」
俺は小さなマッドサイエンティストに訊ねた。彼女は首だけ俺へ振り向いた。
「さあ? ボクも分かりません」
「嘘を吐くなよ。交換したのはきみなんだから、把握してい――」
「あー。来須さん、に限らずっすけど、皆さん、少しは自分で考えたらどうすか?」
大きな丸ぶち眼鏡のレンズの奥で、両の黒目が呆れ返ったように真上を向いた。
「質問、質問、質問、質問、質問、質問って正直ね、クソうるせーっすよ。何も考えずに質問ばかり繰り返すのって、この世で一番恥ずかしい行為だと思うんすよね。なぜなに期の赤ちゃんじゃないんすから、勘弁してくださいって」
その言葉によって、場には白けたような静けさが訪れた。
いや、クイズをやっている場合ではないのだ。智緑には説明の義務がある。しかし、そう説いて通用するとは思えないほど、作業机の上に胡坐をかいて耳かきしている智緑は、我関せずと云わんばかりの態度である。
「ともかく、」と口を開いたのは〈遊〉だった。
「血液交換の関係は措いて、犯人がこもるさんか由莉亜さんのどちらかなのは変わりませんわ。より疑わしいのがこもるさんであるのも、疑問の余地はないでしょう」
そう。北口と南口の往来が自由でない以上、一貫して南口組だった〈遊〉、〈赤鞠〉、俺の三人は犯人ではあり得ない。これは智緑の証言からだけなく、外の雪の上に残った足跡からしても……足跡?
「だから! 私じゃないんですって! 由莉亜さんも何か云ったらどうなんですか!」
自分が犯人だとは認めようとしない〈こもる〉。話を振られた由莉亜も「うち、人殺しなんてしてないよ」と答えるだけ。俺と目が合うと、不思議そうに首を傾げた。彼女は集団でいるときにはえらく大人しい。〈赤鞠〉はと云えば床にうずくまり、不安と恐怖が混ぜこぜになった顔でみなを見回すばかりだ。
「なあ智緑、質問じゃなくて頼みがあるんだが」
「何すかー?」
「玄関扉を開錠してくれ。煙草が吸いたいんだ」
「いいっすよー」
智緑は意味ありげに目を細める。
「行ってらっしゃーい」
〈血の円筒〉を出て、通路を真っすぐ進んで、玄関扉を開けて外へ。身を裂くような寒さに襲われるが、意外にも雪は止んでいた。
全開にした扉に背中を凭れて、煙草に火を点ける。数時間ぶりの煙を肺いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。煙は暗い夜空へ、ゆらゆらと揺蕩いながら昇っていく。
視線を下ろすと、雪の上には足跡が五筋。いずれも南口から北口に向かってきている。
ああ……必要な情報は既に出揃っていたのだ。
ずっと曇っていた思考が、ようやく晴れていく。
俺をこの場所へと導いた便箋……血液交換による人格シャッフル……殺人事件……。
真相へと到達した俺は、短くなった煙草を雪の上に捨てて、靴底で踏みつけた。
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▼読者への挑戦状
▼次の節より〈梅郷千里〉殺害事件の解決編が始まる。
▼その前に是非、事件の犯人、手法、動機を推理されたし。




