難解極まる命メ館の殺人
・・・・
「嘘……本当に? 冗談じゃなくて? まことですか? ドッキリ?」
遅れて二階から下りてきた〈こもる〉は、死体を指差しながら繰り返した。橙色のニット帽を被り、髪が外側へ跳ねた童顔の女子。これで俺は客人の全員と対面したことになる。
「真面目な話? 悪戯じゃないの? あれ本物? からかってない?」
「しつこいっすねー。触って確かめたらいいじゃないすか」
智緑にあしらわれると、〈こもる〉は「えっ、ごめんなさい」と委縮した。〈血の円筒〉に這入って行こうとする者はいない。臭いものに蓋をするかのように、自動ドアが閉じた。
俺は〈こもる〉に「ちょっと確認させて欲しいんだが、」と話し掛ける。
「あ、はい。何ですか」
「きみが、外見はこもるで中身は由莉亜、なんだよな?」
「そうです。そうですよ」
〈こもる〉は返答の際、ちらと〈由莉亜〉の方を気にした。〈由莉亜〉は壁際に佇み、明後日の方向をぼんやりと眺めている。俺はなんだか腹落ちしない。
「こもるは輪の中心にいるタイプだと聞いたんだ。〈千里〉もこもるを自称するために、明るいキャラで振舞っていた。だが中身がこもるの〈由莉亜〉はとてもそうは見えない」
「私に云われても分かりません!」
怒られてしまった。まあ血液交換の影響には個人差があるのだろう。〈赤鞠〉ほど露骨に人格を乗っ取られる方が珍しいのかも知れない。
ところで〈赤鞠〉はまだかと思っていると、携帯の着信音が鳴った。智緑がジャージのポケットから取り出した端末を操作する。それから一分ほどしてまた着信音が鳴る。智緑が端末を操作すると玄関扉が開錠され、雪を被った〈赤鞠〉が凍えながら這入ってきた。
「ど、どうしたの。みんな集まって……」
「千里ちゃんが殺されたんすよー」
「え? や、やめてよ。私、そういう脅かしに弱いんだから……」
智緑が片脚をひょいと上げる。反応して自動ドアが開く。不意に死体を目の当たりにした〈赤鞠〉は「ひ、ひええええっ!」と漫画みたいにひっくり返った。
「赤鞠さん……? これはどういう……?」
〈こもる〉が怪訝そうにしている。〈遊〉も同様だ。智緑が「お姉ちゃんも血液交換したんすよ。相手はミコちゃんっす」と明かすと、さらに戸惑いが大きくなった。
「学校で赤鞠さんの挙動がおかしかったのは聞いたし、もしかしてとは思ってましたけど……本当に? あの赤鞠さんが、こんな……」
「こんなと云ったらミコちゃんが可哀想っすよー」
「それにですよ、それにミコさんって、あの……わけの分からない通り魔事件に遭って死んだ……んだよね?」
「っすね。要するにお姉ちゃんの人格はもうこの世にいません」
「うわあ……それ、ホワイトブリムの子達が知ったらどうなるのかな」
引きつり気味の笑みで、〈こもる〉は〈血の円筒〉のドアに視線を向ける。
「まあ、そのこもるちゃんも丁度、殺されちゃったのか……」
うん? それはおかしいのではと思ったら、「千里さんの中身は遊さんでしょう?」と、中身が千里である〈遊〉が先に指摘した。苛立ちを隠し切れない様子で、頭を掻いている。
「あっ、そっか。えーっと……」
〈こもる〉は混乱しているらしい。もちろん彼女だけではない。この期に及んで飄々としている智緑と、そもそも無関心そうな〈由莉亜〉を除いて、みなが表情を険しくしている。
「とりあえず、状況を整理しようか」
仕方がないので、年長者である俺が仕切ることにした。
「まず他殺なのは間違いないな。〈千里〉は両手両足を拘束されているから、あんなふうに自分を刺すことはできない」
「しかも七回っす」
智緑が補足する。
「胸部三回、腹部四回。ひとつは心臓に達してます」
「第一発見者はきみだな、智緑。分かる範囲で経緯を説明してくれないか」
「はーい、分かりました。ちょっとばかし面倒っすけどねー」
それから彼女が耳かきしながら語った内容を、俺は手帳にまとめた。
〈死体発見前後の智緑の行動〉
①〈血の円筒(北)〉にて準備を終えた後、〈千里〉を連れてきて椅子に拘束。健康状態の確認や麻酔等を済ませ、VR装置を被せてから退室する。
②〈命メ館〉北口を出て、南口から這入り直す。
③〈血の円筒(南)〉にて準備を終えた後、〈遊〉を連れてきて椅子に拘束。健康状態の確認や麻酔等を済ませ、内線で俺(来須)を呼ぶ。俺が到着すると血液交換の手順や仕組みを説明し、〈遊〉にVR装置を被せ、針を刺してから俺と共に退室する。
④〈命メ館〉南口を出て、北口から這入り直す。道中、携帯で〈由莉亜〉に連絡し、俺の話し相手になるよう促す。
⑤〈血の円筒(北)〉にて〈千里〉の死体を発見。状況確認や対応を考えた後、内線で俺に連絡。〈由莉亜〉を連れて〈血の円筒(南)〉に向かうよう指示する。
⑥〈血の円筒(南)〉に着いた俺から携帯で連絡を受ける。〈遊〉の拘束を解いて、みなで〈血の円筒(北)〉に来るよう指示する。その間にブレーカーが落ちるアクシデントが発生したが、分電盤を操作しおよそ五分で復旧した。
⑦〈赤鞠〉と〈こもる〉に携帯で連絡し、〈血の円筒(北)〉に来るよう指示。通路に出て待っていると、まず俺と〈由莉亜〉と〈遊〉が北口に到着した。
一見すると順当だ。しかし何だろう……俺は違和感を覚えている。
その正体が分からないうちに、〈遊〉が「いいかしらん」と口を開いた。
「犯人はこの中にいる、という前提で間違いなくって? そこを確認したうえでないと、整理も議論も上滑りするだけかと思いますの」
「間違いないっすね」と智緑が即答した。数人が固唾を呑むのが分かった。
「ご存知のとおり、〈命メ館〉の北口と南口はオートロックで、開錠はボクが持つ世界に一台だけの端末で制御してます。窓は一枚もなく、通風孔は赤ちゃんでも通り抜けは不可能っす。ボクの知らないところで何者かが侵入することはあり得ません」
「では、犯人は三人に絞られるのではないかしらん」
〈遊〉は視線の先を順々に移動させた。
「智緑さん、こもるさん、由莉亜さんです。智緑さんが最後に生きている千里さんをご覧になってから、死体となった姿を発見するまでの間、北口側にいたのは皆さんだけですわ」
そのとおりだ。由莉亜は途中で南口側に移動したが、それ以前――〈死体発見前後の智緑の行動〉における②から④――に充分、〈千里〉を殺害するだけの時間がある。その他には智緑当人を除き、北口と南口の移動ができた者はいない。〈命メ館〉は入館だけでなく退館も、智緑の許可なくしては不可能なのだから。
「じゃあ……犯人は智緑ちゃん、ですよね?」
容疑者のひとりである〈こもる〉が、少し遠慮がちに口を開いた。
「人を殺しそうなの、智緑ちゃんだけだもん……」
「あー。ロジカルじゃない断定は駄目っすよー?」
智緑は妙に楽しそうだ。抑揚こそないが、語尾の伸ばし方が上がり調子である。
「残念ながらボクも犯人になり得ないんす。証拠を見せましょうか」
〈血の円筒〉の中へ這入って行く彼女。「ほら早くー」と云われて、俺達も渋々ながら続いた。〈赤鞠〉は「ひいい……見たくない見たくない……」と呟きながら、老婆さながらに腰を折って歩いている。
北側の〈血の円筒〉も少し見た限りでは南側のそれと区別がつかないくらい、物から配置まで揃えられているようだ。正面奥に坐するのが〈千里〉の死体。早くもその肌は土気色に変色し始めていた。さすがに同じ部屋に這入ると、鉄臭いにおいが鼻を衝く。
智緑は躊躇なく死体の傍らまで近寄って、人差し指を床へと向けた。
「これっすよ。まだ撮影中なんす」
ビデオカメラだ。〈遊〉の方と同じく、〈千里〉のことも撮影していたらしい。カメラを固定するスタンドは床に倒されていて、レンズは〈千里〉の足元へ向いている。
「死体を発見したときにはこの状態でした。犯人は自分の姿が映らないようにスタンドごと倒しましたけど、撮影を終了まではしなかったんす。おかげで助かりましたよ。このカメラには電波時計が内蔵されていて、撮影時刻を正確に記録できるんすからね」
彼女はビニール手袋を嵌めるとカメラをスタンドから外して撮影を終了し、SDカードを抜いた。それからPC類が収められた壁際のラックまで行って、手慣れたふうに操作した。照明が弱い光へ変わり、本棚と本棚の間、壁の二階に相当する高さに埋められた大きなモニターに映像が映し出される。
「南側の〈血の円筒〉では遊ちゃんを撮影してたんすけど、そのSDカードは来須さんに回収して来てもらいました。いま映っているのは右側が遊ちゃん、左側が千里ちゃんっすね。それぞれ右上に日付と時刻が表示されてます。先に千里ちゃんを再生しますよー」
「え、ちょっと待ってよ! 殺されるところが流れるってこと?」
ただでさえ血の気が引いている〈赤鞠〉が、さらに動揺し始めた。
「む、無理だよっ。私、見たくない!」
「じゃあ見なければいいじゃないすか」
「やっ、やだああ……」
頭を抱えて床にうずくまる。こんな情けない姿をさらす〈赤鞠〉には、やはり慣れることができない。〈遊〉や〈こもる〉も、彼女を気味悪そうに見ている。二人の中身は赤鞠派ではなかったようだが、カリスマとして君臨していた赤鞠のことは知っているはずだ。
〈千里〉の映像が始まった。椅子に座らされて、智緑によって拘束されるところからだ。
『この映像、えっちなビデオにして売るつもりじゃないの! 絶対やめてよね!』
『こもるちゃんまったく色気ないんで売り物になりませんよ』
『そ、それはこいつが、梅郷千里がって意味だよね? 私が私の身体なら――』
『なおさら駄目っすねー。陸揚げされた魚の方がまだ昂奮するんじゃないすか?』
『こいつ本当に殺したい!』
「なんて云ってたら自分が殺されちゃいましたねー」とへらへらしながら、智緑は早送りを始めた。映像の中で智緑が出て行って、VR装置を被った〈千里〉だけになる。しばらく変化はなかったが、急に映像が〈千里〉の足元に変わった。
「いきすぎました」
少し逆再生して、今度こそ問題の時刻から再生される。
右上に表示されている時刻は十九時三分。スピーカーから、微かに自動ドアが開く音がした。何者かの足音が近づいてくる。イヤホンを嵌めている〈千里〉は気付かない様子だ。映像が揺れる。〈千里〉の顔が画面の外へ消えて、足元だけが映る。それから数秒後だ。
『んあ? なに?』
寝惚けたような〈千里〉の声が、急変する。
『きゃあ! 何、何! 誰! やあ! 痛い――やめっ、うっ、ぐ・ウエエエッ、エッ、やめでえ――』
ベルトで堅く拘束された脚が、必死に暴れようとしている。どろどろと大量の血液が伝い、床に広がっていく。
『げエエ・エエエエエッ、エッ、げエッ、エエエエ――』
「もういいよっ!」
叫んだのは〈こもる〉だ。智緑は映像を停止させた。床にうずくまっている〈赤鞠〉が涙ぐんだ声で呟き続けている。
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだ……」
「重大なヒントが見れたり聞けたりするかもなんすけどね、ま、分かりました。犯人はこの後すぐに出て行ったことでしょう。時刻は十九時三分から七分くらいすかね」
〈千里〉の映像は停止したまま、今度は〈遊〉の映像が早送りで開始された。問題の十九時三分になって、智緑は通常の速度に戻した。
『まだ栓をしている状態なんで、血液交換は始まってません。反対にいる千里ちゃんに針を刺してから、遠隔操作で開栓します』
『〈千里〉は〈こもる〉と交換してもらえるつもりでいるのか』
『っすー。ボクはあくまで元に戻すことしか約束してないすからね』
智緑と俺の会話だ。智緑の方は画面の端に見切れている。
「というわけで、千里ちゃんが北側の〈血の円筒〉でグサグサやられてるのと同時刻に南側の〈血の円筒〉にいたボクは、完全にシロっす。ありがとうございましたー」
ちなみに、と言葉を区切って、彼女は〈千里〉の方の動画をコマ送りした。
「この会話のすぐ後にボクと来須さんは〈血の円筒〉を出ました。なのでこのくらいの時刻に、死体を発見したボクの驚いた声が入ってるはずっすよ」
血にまみれた〈千里〉の足元を映した動画が再開される。十九時十三分。自動ドアが開く音と『わーお。こうきましたかー』という智緑の声が確かに記録されていた。
「ギリギリで犯人と入れ違いになったみたいっすね。これが少しでも早かったら口封じでボクまで殺されていたかもなんすから、おっかないものっす」
心にもないことをぺらぺら喋っているような軽薄さ。誰でもまずはじめに疑うのは智緑だろう。しかし彼女のアリバイは今、完全に保証された。
「じゃあ……由莉亜ちゃん、なの?」
額に汗を浮かべた〈こもる〉が、信じられないといった様子で〈由莉亜〉を見る。しかし〈由莉亜〉が答えるよりも先に、智緑が「違うでしょうねー」とかぶりを振った。
「由莉亜ちゃんは十九時十分くらいにボクから電話を受けて、すぐに来須さんと合流しました。来須さん、合流は早かったんじゃないすか?」
「そうだな……俺が智緑と別れてから、五分も経っていなかったと思う」
なにせ真っすぐ西北西の客室に戻って、ベッドに寝転がるとすぐ扉を開けられたのだ。
「とすると由莉亜ちゃんが犯人では時間に余裕がなさすぎますよ。このとおり、現場には凶器が残されてません。犯人は凶器を処分したり手を洗ったりしたはずっす。まだ見てませんけど、調理室にある包丁を使ったんじゃないすかね。洗って戻せば、そこから足がつくことがないんで」
「え、待ってよ。待ってください。おかしくない? 何これ?」
〈こもる〉が強張った笑みを浮かべて、俺達を見回す。
「だって、それじゃあ犯人、私ってことになっちゃいますよ?」
「そう思ってますよ?」
智緑は首を縦に振った。続いて〈遊〉が「そうなりますわね」と同調した。
「貴女は此処に来るのも遅かったですわ。人を殺した直後で、震えが止まらなかったのではないかしらん」
「勝手なこと云わないでよっ!」
声を荒げた〈こもる〉自身が、一番驚いたような顔をした。それを誤魔化すかのように、媚びたような調子で訴え始める。
「ち、違うからね? ねえ、よく考え直して? 変ですよ。だって私じゃないもん。本当に違うの。もう一回考えよう? ねえ?」
その慌て方こそ怪しく見える。〈赤鞠〉は歯をガチガチと鳴らしながら床の上を後退して、〈こもる〉から距離を取ろうとしている。〈こもる〉は「もう!」と再び語調を変えた。
「だいたい私には動機がないでしょ! 千里ちゃんを――中身は遊ちゃんだったかも知れないけど、どっちにしろ関係ない! 殺す理由がないです!」
〈千里〉の中身は遊だが、本人はこもるを演じていた。こもるに憧れていた彼女は、これを機にこもるに成り代わるのが狙いだったと云う。由莉亜に戻りたい〈こもる〉はそれを邪魔に感じた……では弱いだろうか。そもそも血液の再交換は正しく〈千里〉と〈遊〉、〈こもる〉と〈由莉亜〉の組み合わせで為されようとしていたのだから……。
「理由ならあるじゃないすか」
智緑だ。彼女はまたしても、重大な事項をさも平然と告げる。
「貴女が血液交換をした相手は千里ちゃんなんすから。由莉亜ちゃんに成り代わろうとしている貴女にとって、千里ちゃんは邪魔者でしたよね?」
「は?」
「え?」
「なに?」
みなの頭に、一斉に疑問符が湧き上がった。




