暗躍するは聖JKの企み
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自分の客室に戻ってしばらくすると、備え付けの電話機がトゥルルルルと鳴った。内線電話だ。受話器を持ち上げると、智緑の囁くような声が告げる。
『折角だから来須さん、立ち会ってみてはどうすか。〈血の円筒〉に来てください』
返事をする前に一方的に切られた。自分勝手な奴だ。
もっとも他にやることもないので、誘いには乗って一階へ下りる。通路を歩いていても窓がないせいで分からないが、外では雪が積もり始めたころだろうか。
〈血の円筒〉の戸は、前に立つと自動で横にスライドした。半径五メートル弱の半円形の床に、天井は二階分が吹き抜けとなっている。二階にこの空間へ這入る戸がなかったのはこれが理由か。
「ちょっと――どうして這入って来ているのですかっ」
〈遊〉が俺に向けて、質問というよりも非難するように云った。彼女は半円の中心近く、壁を背にして置かれた椅子に、お腹、両腕、両脚をベルトに巻かれて拘束されている。椅子の周りには種々の医療器具や見慣れない機械がゴチャゴチャと犇めいている。
「そいつに呼ばれて来たんだが」と、俺は右奥の本棚の前に立っている智緑を指差した。
本棚は間をあけて二つ、左右それぞれ奥の壁に接するように固定されている。四メートル以上の高さだが、最上部から下りている梯子を横に動かせる仕組みと見える。
「智緑さん、どういうつもりかしらん!」
「お客さんを退屈させないための配慮っすよ。別にいいでしょー?」
〈血の円筒〉は他にも雑多な物で溢れている。標本や模型を入れた陳列ケース、器具や薬品を並べたガラス棚、PCとその周辺機器を収めたラック、組み立て中らしい装置や電飾、手術台や作業机、段ボール箱の山……それらが周りの壁を隙間なく埋めているのだ。
「大丈夫っすよ。任せてくださいって。それにもう始まっちゃってるんで」
ジャージの上から羽織った白衣を翻して、〈遊〉へと歩いていく智緑。〈遊〉は意外なほどの剣幕で彼女を睨み据えている。
「迷惑だったら出て行こうか……?」
そこまでして見たいわけでもない。しかし〈遊〉は「いえ!」と食い気味に引き留めた。
「いてくださって構いません。取り乱しましたわ……」
「はーい、良かったっすねー。それより来須さん、もっとこっちに来てくださいよ」
今の緊張感は何だったのだろうか。俺は腑に落ちないものを感じながら、床を這うコード類を踏まないよう注意して〈遊〉のもとへと近寄った。
「カメラと遊ちゃんの間には立たないでくださいねー」
椅子の斜め前にビデオカメラを取り付けたスタンドが立ててある。撮影中のようだ。
智緑はそれぞれ機械や器具の名称と用途、モニターに表示された内容などを説明したが、耳慣れない単語が多く、大して興味もない俺の頭にはいまいち入ってこなかった。とにかく最新鋭の設備が揃っていること、被験者の健康状態に問題がないと確かめたうえでおこなっていること、智緑に相応の知識と技術があることは分かった。
「麻酔も効いたころっすね。遊ちゃん、深海と戦国と魔法と宇宙、どれがいいっす?」
「どれでも構いませんわ」
「じゃあ魔法で。オルトロスを倒したころには終わりますよー」
智緑は〈遊〉の頭にVR装置を被せて、両耳にイヤホンを嵌めた。血液交換中、気分が悪くならないようにするための配慮らしい。それからスタジャンとシャツの袖をまくって露わになった両腕にそれぞれ針を刺し、ベルトで固定する。針はチューブに繋がっていて、どちらも様々な機械を経由した先は奥の壁に埋まっている。
「まだ栓をしている状態なんで、血液交換は始まってません。北側にいる千里ちゃんに針を刺してから、遠隔操作で開栓します」
「〈千里〉は〈こもる〉と交換してもらえるつもりでいるのか」
「っすー。ボクはあくまで元に戻すことしか約束してないすからね」
こちら側で行う作業は一旦終わったらしく、魔法の世界に没入した〈遊〉を残し、智緑と俺は〈血の円筒〉を出た。〈千里〉は健康状態の確認や麻酔を済ませて、北側の〈血の円筒〉で同じく椅子に拘束され待機中とのことだ。
「ボクは北側に行きます。来須さんは一旦、お部屋に戻っていいんじゃないすかね。あとは二本のチューブの中を血液が流れていくだけすから。終わったらまた呼びますよ。ま、すぐに人格が元に戻ることはないと思いますけどねー」
智緑は玄関扉を開き、外へ出て行った。俺は自分の客室に向かいながら、釈然としない気分が強くなっていく。例の便箋の差出人が俺をこの場所に引き合わせた目的は依然として分からない。もしかして俺が会うべき人物は北口組の中にいるのではないだろうか。
西北西の部屋に戻って、簡易ベッドに寝転がる。ゆっくり考えようと思った矢先、扉がノックもなしに開けられた。上体を起こして見ると、知らない女子が立っている。
「貴方が来須さんだね……」
蚊の鳴くような声だ。病的に肌が白く、無気力そうな表情。無造作に切られた髪は少し傷んでいるのが目立つ。花天月高校の制服だが、濃紺のセーターの上にブレザーは羽織っていない。スカート丈がやけに短く、露出した両脚は折れそうなくらい細い。
「……きみは?」
「由莉亜。智緑ちゃんが、貴方の相手しろって云うから」
俺は手帳を開いた。昏木由莉亜……こもると血液交換した奴か。
「北口の方から来たってこと? 外見と中身、どっちが由莉亜なんだ」
「どっちもうちだよ。そうじゃないことが、あるのかな?」
噛み合わない。一旦〈由莉亜〉と思っておいて、もう片方に会えばハッキリするだろう。
「いつまでも戸口にいないで、這入っていいぞ」
俺も椅子に移ろうと思い、立ち上がる。すると〈由莉亜〉がふらふらと近づいてきた。
光が宿っていない双眸で俺を見上げ、「身長、高いね。格好良いし」なんて云い出す。
「格好良くはないな。身長は高いが」
「うん。高い。もてそうだね」
「よく云われるけど全然だよ。もてそう止まりの男なんだ」
「もてそう止まり? 面白い……けど悲しいね?」
「別に。二十人から五ずつ愛されるより、ひとりから百愛されることに価値があると思うよ」
「ああ。うちも、そう思うかも……」
〈由莉亜〉はベッドに上がり、壁に背中をあずけると両膝を抱えた。「下着、見えてるよ」と指摘したが「いいよ」とのこと。よくはないが、俺もまたベッドのふちに腰掛けた。
「来須さんは彼女、いないの?」
「いないよ」
「つくらないの?」
「つくるっておかしな云い方だ。それが目的として先行していて、自分の都合しか考えてない……そんな態度でつくった関係が長続きするかね」
それよりも、こんな俗っぽい話題を掘り下げたくない。俺は例の便箋を広げた。
「こんなものが俺の家のポストに入っていた。だから此処に来たんだ」
「……あまねちゃんが此処にいるの?」
「俺の興味を惹くための戯言だろう。あまねは死んだ」
「あまねちゃん、生きてるって噂だよ」
「なに?」
「うち、噂とか疎いけど知ってる。見た人もいるって」
くだらない。悪ふざけか願望か、いずれにせよ無責任な話だ。
「あ……」
由莉亜の小さな鼻から、赤い血がつーッと垂れた。
「ハンカチならあるぞ」
「ありがと。よく出るの……」
俺のハンカチを受け取って、鼻を押さえる〈由莉亜〉。少しの鼻血でも貧血を起こしそうに見えるけれど、大丈夫だろうか。
「あまねちゃん、話してた。肉体は単なる入れ物で、その生き死にには意味がないって」
「口では何とでも云える。現実を知らないうちは、そういう形而上の理屈に熱中するものだよ。肉体が死んだら終わりさ。あいつも最期に思い知っただろう……」
「それ、予定どおりだったみたいだよ」
「……何が? 死んだことがか?」
「うん。あまねちゃん、最初から赤鞠さんに勝つつもりじゃなかったの」
「どういうことだ」
「あまねちゃんが目指してたのは、聖JKなんだって」
「セントジェーケーって何だよ」
何かの本の言葉? それとも造語? 〈由莉亜〉の話はいまいち要領を得ない。
「うちはよく知らないけど。あまねちゃんは生きてて、全部、思いどおりに進ん――」
トゥルルルル。電話機が鳴り出して、会話は打ち切られた。
どうせまた智緑からだろう。ベッドから立って受話器を持ち上げる。
『あー来須さん。由莉亜ちゃんも一緒っすねー? すんません。実は困ったことになりまして、手伝って欲しいことがあるんすけどいいすか?』
相変わらず抑揚はないものの、少しだけ早口気味だ。
「構わないよ。何をすればいい」
『由莉亜ちゃんと二人で、遊ちゃんのとこ行ってください。〈血の円筒〉っす。そしたら携帯に電話ください。番号を教えますんで』
急ぎめでお願いします、と最後に念押しされた。
俺は〈由莉亜〉と一緒に一階へと下り、自動ドアをくぐって〈血の円筒〉に這入った。先ほどと変わらない光景だ。〈遊〉は椅子に座ってVRの世界を楽しんでいる。イヤホンのせいで俺達の出入りには気付かないらしく、反応はない。
「何これ。あれは誰……?」
〈由莉亜〉は不思議そうに室内を見回している。
俺は携帯を手に取って、教えられた番号に電話を掛けた。
『〈血の円筒〉に着きましたー?』
「ああ、着いたよ。きみはどこにいるんだ」
『北側の〈血の円筒〉っすよ。では来須さん、早速なんすけど遊ちゃんの両腕に刺した針、どちらも抜いてください』
「いや、簡単に云うけどな、俺は素人だぞ」
『針を抜くだけっすよ? 開栓はしてないんで大丈夫っす。注射と同じで出血はほとんどありません。針を抜いたらガーゼを貼って、それから遊ちゃんの拘束を解いて――』
突如として部屋の照明が消えた。赤や緑のランプが蛍の光のように点在しているだけで、身動きが取れない程度には真っ暗闇だ。受話器から緊張感のない声が続く。
『うわーっすね。もしもーし』
「停電か……?」
『ブレーカーが一部だけ落ちたみたいっす。分電盤は〈血の円筒〉にあるんで、ボクが上げますよ。無暗に動かないよう、由莉亜ちゃんにも伝えてください』
「ああ――〈由莉亜〉、」
「聞こえたよ」
すぐ隣にいる彼女は、俺に身体を密着させた。腕に柔らかくて暖かい感触がある。
「この音、何だろうね?」
「音……?」
耳を澄ませても特段、聞こえない。〈命メ館〉はどの部屋も防音性が高い。
「うち、耳とか鼻が敏感だから」
彼女は俺の腕をぎゅっと抱いている。声には表れていないが、暗闇が怖いのだろうか。
「智緑、まだか」
『無用に動かしてる機械をオフってるんすよ。何もせずにブレーカー上げたら、また同じことじゃないすかー』
三分後か、五分後か。体感ほど長くはなかったかも知れないが、ようやく電気が戻った。
『お待たせしましたー。さて続きなんすけど、どこまで話しましたっけ?』
「〈遊〉の拘束を解くところまで」
『そうそう。VRの世界から現実に引き戻してください。そしたら由莉亜ちゃんと三人で、こっちまで来てもらえます? 北側の〈血の円筒〉っす』
「外を回るのか?」
『お願いします。それから、ビデオカメラがまだ回ってますよね? 撮影終了してSDカードを抜いて、持って来て欲しいっす。南口を出るときと北口を這入るときには、それぞれ携帯に電話ください。ボクが持ってる端末で開錠します。頼みましたよー』
一方的に切られた。俺はまだくっついている〈由莉亜〉を自然に引きはがしつつ、「こいつ――智緑のことだが、学校で嫌われてないのか?」と訊いてみた。
「分かんない。嫌いって、好きとどう違うのかな」
「哲学的に訊き返されると困るが……」
〈遊〉の傍らに移動して、俺は指示されたとおりに両腕の針を抜いた。誤って自分の手を刺してしまったけれど、その他は問題なく済んだ。麻酔のためか、〈遊〉は反応しない。
わずかに出た血をそれぞれ拭った後、近くに置いてあったガーゼを貼る。それからVR装置とイヤホンを外すと、〈遊〉は眉をひそめて俺と〈由莉亜〉を交互に見た。
「貴女、由莉亜さん……? 智緑さんは? 今はどういう状況かしらん」
「結局、血液の再交換はしてないみたいだ。智緑が北側の〈血の円筒〉に来いってさ」
彼女を椅子に拘束しているベルトを外したり、ビデオカメラからSDカードを抜いたりしながら簡単に経緯を説明した。もっとも理由を知らないのは俺も同じだ。〈遊〉は眉間の皺を深くして、ますます不可解そうになるばかりだった。
麻酔が効いているせいで足元が覚束ない〈遊〉には俺が肩を貸して、三人で南口を出る。電話を掛けると、智緑は応答せずに開錠だけした。
あいにくと傘の用意はなく、屋根もないので、雪を受けながら建物の周りを半周することになる。建物の外壁に等間隔でライトがついているため、視界は問題ない。雪は一センチほどだが積もっていて、俺達の前に南から北へ移動した智緑の足跡が一筋、残っていた。
北口に到着。再び電話を掛けると、ガチャリと開錠の音。扉を開いて、中に這入る。南口から這入った場合とまったく同じ光景が広がっている。〈血の円筒〉の前に白衣を羽織った智緑がいて、こちらに手を振った。
「お手数かけましたねー。お姉ちゃんとこもるちゃんも間もなく来ますよ」
「どういうことか、説明してくださらない?」
さすがに苛立ち気味の〈遊〉が問うと、智緑は「ぎひひっ」と気持ち悪い笑い方をした。
「それが困っちゃいましてー。ま、見てもらうのが早いっすよ。こっち来てください。ボクが現場を離れるわけにいかなかったのも当然なんすから」
〈血の円筒〉の前まで進む。自動ドアが開く。中の光景が四角く切り取られる。
椅子に拘束された〈千里〉が、見開いた両目を入口に立つ俺達へ向けている。
一瞬、どうして赤いシャツに着替えているのかと思ったけれど違った。
流れ出した大量の血液で、赤く染まっているのだ。
そのまま微動だにしない〈千里〉。足元には血だまりができている。
「千里ちゃん、殺されちゃったんすよ。遊ちゃんの血液――記憶と人格を抱えたまま」
誰も驚いたり、叫んだり、しなかった。呆気に取られてしまった。
智緑があんまり平然としているから、余計に理解し難かったのかも知れない。
俺はどういうわけか、最後に聞いたあまねの言葉が、頭の中で生々しく蘇った。
『もっともっと、大勢の人が殺されるよ』
『謎や不思議が溢れ出して、混迷を極めていくよ』
『来須さんはそれを一番の特等席で楽しむことができるんだよ』
血液交換による人格シャッフル。〈鴉面の通り魔〉によって宇奈赤鞠の人格と共に殺された〈舞砂ミコ〉。そして今、俺達の目の前にある新たな他殺体。
すべてお前の予定どおりだと云うのか、あまね……。




